首途八幡宮
今年の夏休みは京都で。この季節の京都には過去何度も行っているため、その暑さなどは覚悟の上。今回は久々に一泊する。各寺で行われている万灯会を観たり、鴨川の川床で夕涼みでも楽しもうかと思った。 今回は季節感を味わい、寺だけではない京都を楽しむつもりだ。 前日まで台風や地震などの災害が起こっており、新幹線の運行が心配されたが、影響なく乗れたのでひと安心。 左は朝ご飯の鰺寿司。夏場だからなのか酢が凄く効いている。 |
まずは雨宝院(うほういん)へ。西陣のあたりにあるが、これまで一度も訪れたことのない寺院。要予約ということなので前日に予約を済ませている。
バス停から雨宝院へと向かう途中で、「首途八幡宮」という神社をみつけた。 ふだんあまり神社には行かないのだが、名前が気になったので立ち寄ってみた。 「首途」は「かどで」と読むそうで、何でも義経が東北へと逃避行を始めたのがこの地とか。首は「はじめ・はじまり」を、途は「みち」を意味するのだろう。 |
さてこの首途八幡宮、境内にやたらと「鳩」がいた。神社境内の門の両サイドに鳩の彫り物が。
絵馬にも鳩が描かれているし、鳩の巣箱らしきものもあった。
拝殿の軒下にも向かい合った鳩。賽銭箱には「八」。八幡宮の八なのだろうが、これさえも鳩が向かい合っているように見えてきた。
手水場にも鳩。水盤舎の瓦にも鳩。
鳥といえば、神武天皇を先導したヤタガラスを思い浮かべるが、この神社にいる鳥はどうみても鳩だし、足は二本だ。
義経の旅路を鳩が先導した、とかいう伝説でもあるのだろうか。ちなみに、狛鳩はなく、ふつうに狛犬がいた。
帰ってきてから調べたところによると、鳩は八幡神の神使なのだとか。義経は関係なかった。
…いや、強ち間違いでもなさそうだ。鳩サブレーという鎌倉みやげがあるが、あれはきっと鶴岡八幡宮の使いということなのだろう。
八幡神はもともと大分の宇佐に祀られていた神だが、応神天皇の化身とも伝えられる。そのために源氏が祖先神として祀っていた。この神社のもとの名は「内野八幡宮」で、大内裏の北東に位置し、鬼門を守護していたという。
義経も例外なく八幡神を信仰していた。さらにこの八幡宮のあたりに、平泉で算出する金を京都でひさいでいた人物が住んでいたといい、義経がその人物の世話になって平泉へ出発したということから、今の首途八幡宮の名があるという。
この辺りは平泉出身者が固まって住み、「県人会」ではないが、互助組織を作っていたのかもしれない。この地の八幡宮に立ち寄る義経が平泉出身者と接触し、何らかの取引を行って手引きをしてもらったのかもしれない。
拝殿へのルートは二つある。どっちかが男坂で、どっちかが女坂だったと思うが、もう忘れた。階段を上った先に拝殿がある。
首途八幡の隣りには立派な公園があった。まだ午前の早い時間だからか、それとももともと人気が無いのか、誰もいなかった。 |
雨宝院の手前に、本隆寺という寺院があったので、またまた寄り道してみた。
本隆寺は法華宗の寺院。いくつかの塔頭を備えた、この辺りでは割と大きい境内を持つ。 |
本堂と経蔵。経蔵には「転宝輪蔵」という額があるので、輪蔵になっているのだろう。割と新しめの堂宇だ。
立派な本堂の手前に緑色のカエデ。今の季節はとても涼しげ。 秋になればまた綺麗なのかもしれない。 |
さて、いい加減に雨宝院へと向かおう。