紫織庵
無明舎の真向かいにあるのが紫織庵。
紫織庵という名前が既にしていい。伝統的な家屋だが、無明舎とは違ってレンガ造りの部分がある。玄関までのアプローチには雰囲気がある。途中のランプや、入り口に点された電球がいい。
大塀造(だいべいづくり)であり、いわゆる「うなぎの寝床」とは異なる京町家で間口の広さが特徴的。元来の町家建築では大塀造がオーソドックスだったらしい。しかし今ではほとんど現存していないという。つまり紫織庵は伝統的な町家建築と言うことができる。
江戸時代の医師荻野元凱が医院を開業していた建物を大正15年に井上利助がモダンな洋間を加えて改築した京町家。その後川崎家の邸宅として平成9年まで使用されていたらしい。
格天井になっており、完全な洋風という感じではなさそう。内部の木材にはチーク材が使用されているためチークの間と呼ばれている。設計した武田五一はフランク・ロイド・ライトと交流があったらしく、彼の建築を参考にしたらしい。そのため、外壁には旧帝国ホテルと同様の大谷石とタイルが貼られたという。
なお、フランク・ロイド・ライトはアメリカの建築家で、帝国ホテルの設計をしている。浮世絵の蒐集家としても知られている。
ちょっと暗めだが、茶室まである。北山杉の中柱。
天井には開閉可能な部分がある。台所ではないので考えにくいが煙だしか、あるいは明かり取りかもしれない。ただ、明かり取りならば、窓で間に合うはず。茶室というものは元来薄暗いものだ。 |
15畳の和室。これは一階。掛け軸には祇園祭の鉾が描かれている。 天袋、地袋、付書院、床の間とほとんどすべての要素を供えている。
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欄干には細かい装飾が。松だと思う。 |
奥にはそれなりの庭園まである。垣らしきものもあり、露地庭園なのかもしれない。窓ガラスは建築当初のガラスであり、表面加工していないため波打っている。
右画像は茶室。 額には「紫織庵」とある。
庭園の奥に見える灯籠は織部マリヤ灯籠と呼ばれている。竿の上部が左右に張り出しているのは十字架に似せるため、そして下部にはマリア像が彫られているとか。遠くて確認できないが…。古田織部がキリシタンであって、信者や茶人の好みに合うよう創作されたといわれているらしい。
奥には蔵まである。 |
二階構造。紫織庵は「京のじゅばん&町家の美術館」と号しており、内部には着物が展示されていた。
蜘蛛の巣をモチーフにした反物。なかなか粋だ。浮世絵で蜘蛛の巣柄の襦袢を着ている女性が描かれているのを見たことがある。 |
二階にも洋間があり、鎌倉杉の間と言われている。20畳。サロンとして機能したらしく、グランドピアノが置いてあった。
床は寄せ木細工。シャンデリアまで下がっている。
京町家の二階とは思えない雰囲気。上部にはステンドグラスが見える。 |
この庭にも垣があった。 |
「鉾見台」というテラス。洋間の屋上にあたる。その名の通り、祇園祭の山車を見るためにしつらえたテラスで、 屋根の上に通した通路を通っていくのがおもしろい。残念ながら外に出ることはできない。
外から見るとわかるが、手前(道路)側に洋間、奥に元の京町家となっている。 |
さて、紫織庵を出よう。
付近でみかけた不思議な建物。ステンドグラス風の窓がいい。 |
予約していたホテルが近いので、一度チェックインして荷物を置き、古本まつりが開催されているという下鴨神社のほうへと行ってみる。 天気予報によれば、18時頃から雨が降るという。しかし雲行きが既にあやしくなっている。