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北陸の庭園めぐり 2009年9月25〜28日

玉泉園

ぎょくせんえん

石川県金沢市小将町8番3号

金沢駅東口から北鉄バス「兼六園下」下車徒歩2分

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玉泉園

兼六園を随身坂口(兼六園の南)から出る。

兼六園を出てすぐのところに「金城霊沢」なる井戸(?) があった。ここで芋掘藤五郎という名の人物が砂金を洗っていたという伝説からその名がある。そしてこの「金城霊沢」こそが「金沢」の由来である。

芋掘藤五郎とは金沢では知らぬ者のいないほどに有名な人物のようで、昔話の絵本にもなっている。「芋掘」はもちろん姓ではなく通り名であり、ジネンジョを掘って暮らしていることからそう呼ばれていたという。物語中では無欲で清貧な青年として描かれている。不思議なことに彼の掘るジネンジョには砂金が付いていたが、砂金なるものを知らない藤五郎はそれを捨てていた。彼が砂金の付いた芋を洗っていたのがこの金城霊沢なのだという。

なお、金城霊沢は金沢神社の境内にある。

さて兼六園の東側に位置する玉泉園へと向かう。

玉泉園は加賀藩士を出した脇田家にあった池泉回遊式庭園で、その名は前田利長の正室の院号、玉泉院に由来する。現在は西田家所有の庭園となっている。

脇田家とは脇田直賢(なおたか)を祖とするが、彼は李氏朝鮮漢城(今のソウル)の出身で本名を金如鉄という。文禄の役、いわゆる秀吉の朝鮮出兵の際に、7歳で戦災孤児となったのを、岡山の大名宇喜多秀家に拾われ、玉泉院に養育され、家臣脇田家の養子となり、帰化し加賀藩士となったといういきさつがある。

脇田家は7代のとき、明治維新を迎え家を売却してこの地を離れたという。

玉泉園は地泉回遊式庭園だが、内部に茶室を構える関係で露地庭園、茶庭の要素を備えている。入ってすぐの西庭などは、左写真のような飛び石の続く露地庭園となっている。

右写真は西の間前の露地庭園。

西の間前の筒堂型飾り手水鉢。奥には苔でこんもりとした石灯籠が立っている。

露地庭園特有の中門。

中門をくぐってすぐのところは、北陸としては珍しい水芭蕉の自生地となっている。

本庭。庭園の中心となっている池泉は、兼六園を水源としている。

池の手前にはカキツバタが。初夏の頃にはたくさん咲き誇るらしいが、今は二輪ほどしか咲いていない。

左写真は東滝。軽快な音を立てて水が落ちている。右写真の灯籠と手水鉢は…どこのやつだったかな…。

庭園の最奥には灑雪亭という名の茶席がある。その付近を灑雪亭露地と呼ぶ。

東庭。こちらも西庭同様露地となっている。

どこも苔むしており、緑が眩しい。

中の間の前に置かれた越前国松平家伝来手水鉢。飾りとして彫られているのは桐だろうか。

裏千家茶室寒雲亭…を模したもの。

最後にもう一度東庭を。

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