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北陸の庭園めぐり 2009年9月25〜28日

実性院

じっしょういん

石川県加賀市大聖寺下屋敷町29

北陸本線大聖寺駅徒歩10分

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実性院

次の訪問先は大聖寺にあるが、一端加賀温泉駅で降りる。というのも利用している北陸フリーきっぷが、加賀温泉駅がフリー区間の西端になっているからだ。つまり北陸と名が付いているのにもかかわらず、福井県をフリー区間に含んでいない。改札を一度出て、大聖寺までのきっぷを買い直す。まぁどうせ大聖寺には特急が止まらないので、いずれにせよここで普通電車に乗り換えなくてはならなかった。大聖寺駅で精算でまごつくより、余裕のあるこの時点できっぷを買っておいたほうがいい。

加賀温泉駅はその名の通り加賀温泉の玄関口として機能しており、連絡通路も和風旅館のような数寄っぽい感じになっている。

右写真は以前に訪問したユートピア加賀の郷の黄金観音像。詳細はリンク先をどうぞ。最近はこういう怪しげな物件も外から眺めるだけになっちゃったなぁ…。

数分後にやってきた普通電車に乗ってとなりの大聖寺で下車。この電車もさっき乗ったなつかし系。普通列車なのにどこか急行風味。車両当たりの乗車可能人数を極力増やしたロングシート車両よりはずっとずっと風情はある。最近は地方の採算の取れないローカル線がほとんどロングシートになっていて、このなつかし車両が走っているのも北陸本線くらいなのかもしれない。自分の高校時代、土曜の昼間にこういう車両の列車に乗っていたので懐かしい気持ちになる。

大聖寺では実性院と江沼神社を観る予定。ただし1時間しか予定を組んでいない上、この二つが結構離れているため、実性院を観たあと余裕がありそうだったら江沼神社に向かうことにする。

線路沿いにしばらく徒歩。すれちがう人や車もほとんどいない。結構気温が上がってきた。

実性院到着。門(?)には「皇風永庵」「佛日増輝」とある。皇風と佛日が対になっているのは分かるのだが、その意味を取りにくい。「皇風」を文字通り「光り輝く風」と呼んだらいいのか、それとも天皇と結びつければいいのか判断が付かない。対になっている「佛日増輝」の佛日を、「太陽のように恵みをくれる仏」という一般的な意味として読むのか、それともやっぱり日本という特定の国家を仏と結びつけて礼賛しているのかで決まってくる。

「皇風永庵」は用例が無いようだが、「佛日増輝」はほとんどの場合「国家安寧」や「国家豊寧」と併せて用いられており、日本という特定の国家を指している。しかしその一方で、ベトナムの寺にも見られることがあり、この場合「日」は太陽という一般的な対象を表していることもあるのが分かる。「国家」という語は近代以前は「皇帝一家」という意味だったが、明治以降の日本で英語のnationの訳語として当てられたため意味が変容したことが鑑みると、おそらく「国家安寧」などの語と一緒に用いられる「佛日増輝」は、ベトナムの例があるように、近代以前には一般的な語だったが、近代成立を経て日本のナショナリズムに都合良く再解釈され意味が変わった語であると考えてよいだろう。ということで、「皇風永庵」という語もおそらくはロイヤリズムの現れとして解釈してよい。

「皇風永庵」はロイヤリズム、「佛日増輝」はナショナリズムで、ほんらいは違うものだが、日本ではどちらも同じものとしていっしょくたにされてしまう。ともかくこれらの思想と実性院がどんな関係にあるかは分からない。

さて、実性院は諸堂が回廊によって連絡している曹洞宗の寺院。上の写真は鐘楼。階段があるがふたをされてしまっている。

順路を指し示す矢印にしたがって受付に着たが誰もいない。とりあえずトレイに拝観料を置いて先にすすむ。時間もないし、こうしておけば寺の中で寺務員と出会ってもこのトレイを確認してもらえば済む。

禅宗らしく東司の前にはウッチュシュマが安置されていた。「左右便利 當願衆生 *除穢汗 無淫怒癡」とある。*は「溢」のつくりの部分と「蜀」で虫、特にヤスデを意味する。ヤスデがどう関係あるのか分からないが、ウッチュシュマが不浄を焼き尽くし清浄に変える性質を持ち、トイレや下の護り神として信仰されていることを鑑みればなんとなく意味が取れる。ヤスデってウッチュシュマの眷属だったっけ? 虫という種別を表す語として捉えるべきか?

といろいろ考えていたら、「左右の便利には、当に願うべし、衆生の、穢汚をケン除し、婬・怒・癡を無からしめんことを」と読み、華厳経の浄行品の言葉らしい。ウッチュシュマとは関係無かった。トイレの作法として道元が『正法眼蔵』でこの華厳経の言葉を引いており、上の語以外に「已而就水 当願衆生 向無上道 得出世法」「以水滌穢 当願衆生 具足浄忍 畢竟無垢」があり、これを東司之偈としている。

実性院の玄関と本堂。玄関からは入れず、向かって右側の回廊から本堂へと入る。

回廊付きの曹洞宗寺院はみんなこんな感じに見える。高岡の瑞龍寺が代表的、地方の寺院などでよく見かける。

「生死事大 無常迅速 各宣醒覚 謹莫放逸」とある木板。これを叩いて合図するだけでなく、叩いたものを目覚めさせるということらしい。

この寺院のハイライトである本堂裏の地泉庭園。石塔などが添えられている。軒と柱で切り取られて風情がある。

屏風絵があった。それほど古くはないのだろうが、左の真ん中の人物が剣に乗っているので、八仙図であることが分かる。剣に乗っているのは呂洞賓だ。他は特徴が無さ過ぎて分からない。

左から二番目の鶴に乗っているのが女性なので、何仙姑だろう。ただ、八仙図と言いながら全部で12人いるのでちょっと怪しい…。うーん。

言わずと知れた寒山・拾得。「把手共行」の禅語が添えられている。

本尊は釈迦如来。

須弥壇裏には、大権修利菩薩と達磨大師像が。大権修利菩薩は曹洞宗の寺院に多く祀られているが、それは道元が大陸から帰るときに海難を守ったという言い伝えがあるからである。須弥壇向かって右側に安置されることが多く、実性院でも右側だった。

須弥壇裏には歴代の祖師像が。おそらくここ実性院の住職を務めた僧侶なのだろう。

本堂の隅には圓通殿と名づけられた観音菩薩を安置した壇があった。数えていないが、おそらく33体あるのであろう。圓通とは観音の別名圓通大士に由来する。観音という名は、能く観たり聴いたりすることに由来しており、特に「耳根圓通」(聴覚が遍く通じている)ということで、圓通大士と言われる。そのため、観音の坐すところを圓通閣、圓通殿というのである。ともかく圓通と言ったら観音と思って差し支えない。

さて、実性院のもう一つのハイライトはこの廟所である。実は実性院は前田家の菩提寺であり、ここに位牌がある。御簾が架かり、一段高くなっているなど、神秘的な雰囲気を醸し出している。内部も内陣と外陣を分けるような柱などがある。

ここで注目すべきはその高い装飾である。障壁画がいちいち素晴らしい。左写真は位牌向かって左側、右写真は右側。

位牌向かって左側の地袋に描かれた、おそらく雉のつがい。素晴らしい。

これらは位牌向かって右側の障壁画。孔雀のつがいだろうか。

そしてこれらは位牌の下の地袋に描かれた獅子図。特に右側の親子とおぼしき獅子らが良い。

引き手の装飾も凝っている。揚羽である。

こちらは禅堂。額には「雲堂」とあるが、修行僧のことを「雲水」と呼ぶことに由来している。暖簾のようなものに描かれた紋は、言わずと知れた前田家の家紋である。「放参」という札が下がっているが、これは修行が既に終わっていることを示している。

禅堂前にはいろいろな札が架かっていた。「放参」のように掛け替えるのだろう。それぞれ法会の種類を示している。

十六羅漢を祀る壇があった。真ん中で蓮の上に坐す像がなんなのかよく分からない。しかも脇侍も備えている。こいつらもよく分からない。十六羅漢の真ん中なら強いて言えば釈迦如来だが、そんな風には見えない。

ジオラマ風になっているのが特徴。

廟所を外から。本堂の裏手に突き出ている。

庭園目的で入った寺だが、廟所で思いの外夢中になってしまって時間を食ってしまった。江沼神社訪問はとても無理なので、このまま大聖寺駅へと戻ることにする。

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