基聖陵
次は基聖陵。フォーン河沿いのミンマン通りにある。ほとんど車は通行せず,たまにバイクが通るくらいの道で,Google Mapsにも描かれていない。航空写真モードではかろうじて確認できるが,肝心の基聖陵は雲に隠れてしまっていた。チュンさんは行ったことがないと言っていたわりには,あっさりと到着した。
【注】
上記フォーン河沿いのミンマン通りは,現在ではGoogle Mapsに記載されているし,航空写真に基聖陵は明瞭に写っている。ただし,登録されていないようでLăng cơ thánhで検索しても候補は出ない。
9:40,基聖陵到着。
基聖陵Lăng cơ thánhはグエン朝初代皇帝ザロン帝の父親である,阮福㫻(Nguyễn Phúc LuânあるいはNguyễn Phúc Côn,1733-1765)の陵墓である。広南国の第8代の阮主阮福濶の子である。子の阮福映(Nguyễn Phúc Ánh,1762-1820)がグエン朝の初代皇帝に即位した後,仁明謹厚寛裕温和孝康皇帝(Nhân Minh Cẩn Hậu Khoan Dụ Ôn Hòa Hiếu Khang Hoàng Đế)と追号し,廟号を興祖(Hưng Tổ)とした。なお,王宮には阮福㫻の位牌を祀る興祖廟がある。
基聖陵をはじめ,グエン朝の先祖たちの陵もフエには点在しているが,西山朝Nhà Tây Sơnにより,一度破壊されてしまった。したがって,今存在する陵は全てグエン朝が興った後に再建されたものである。
陵の入り口には屏風がある。誰かのバイクが停められていたが,陵には誰もいない。河に釣りに行っている人のバイクだろうか。
誰も訪問しない遺跡ではあるが,ちゃんと世界遺産の看板が立っている。
これが基聖陵。一段の台の上に宝城があり,あの門の中に墳墓がある。ただそれだけの陵墓だ。門は鍵がかかっており中に入ることはできない。
階段に龍があしらわれているかと思ったらそうではないみたいだ。皇帝には即位していないので龍をあしらうことはしなかったかもしれない。ただ,取れてしまった可能性もある。
一応拝庭のようなものはある。これもバッチャン焼きだろうか。
門には穴が開いており,中をうかがうことはできる。ただ,屏風があり,墳墓を伺うことはできない。なお,屏風は邪気が入ることを防ぐために立てられるものらしい。屏風には龍をあしらった装飾がある。
門から外をうかがった画。今は背の低い草が茂っているが,かつては広大な拝庭だったのかもしれない。なお,右手奥に停めてあるのが今回利用した車。
側面。かなりぼろぼろとなっていた。
背後の丘に登れば中をのぞけるという情報を得ていたので山を駆け上がってみた。チュンさんには「気をつけてくださいね」と言われた。けがや事故でも起きたら責任を負ってしまうのかもしれない。彼に迷惑をかけないためにも無茶はしないことにする。
ミンマン帝廟では宝城は丸い壁に囲まれていたが,ここでは四角になっていた。中心部には,三段の石板が置かれていた。屏風の裏側には,3匹の獅子。この方角の先にフォーン河が流れている。西向きの陵墓だ。
丘を下り,陵墓の側に点在している二つの祠のようなものを見る。こちらは割と大きいもので,小さいながらも前方に屏風が設置されている。内部には「廣宮香」と書かれているようだが,何が祀られているのかは不明。
こちらは小さい方。ベトナムの家の軒先にこういった祠が建てられているのをよく見かける。同じようなものだろうか。
さて,これ以上見るものはないので,車に戻る。次は昌陵だ。ドライバーが笑いながらチュンさんに話しかけている。ベトナム語だが,ジェスチャーで何となく内容が分かった。先ほど丘を駆け上がった私の姿がドライバーのツボに入ったようだ。