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越南順化巡覧 2012年7月5~8日

安陵

An Lăng/Lăng Dục đức/

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安陵

13:45,ズクドゥック帝廟に到着。ズクドゥック帝廟Lăng Dục Đứcは,廟号を恭宗Cung Tông,惠皇帝Huệ Hoàng Đếと諡号されたグエン朝五代皇帝育徳帝Hoàng đế Dục Đức(阮福膺禛Nguyễn Phúc Ưng Chân,1852-1883)の陵墓であり,正式名を安陵An lăngという。

廟号が恭宗,長々しいのが普通である諡号がやけにあっさりであることから分かるとおり,廃帝である。

トゥドゥック帝には100人を超える妃があったが,天然痘に罹ったせいか一人も子供がなかった。そこで彼は帝室から三人を養子に迎えた。一人は弟の瑞太公阮福洪依(Nguyễn Phúc Hồng Y)の子である,五代皇帝の育徳帝Dục Đức(ズクドゥック帝)である。権臣の意志に反するということで,在位たったの3日で慈裕太皇太后(ティエウチ帝の皇后,トゥドック帝の生母)により退位させられた挙げ句,絶食させられ餓死したのだった。

グエン朝は一世一元の制を採ったため,在位中に定めた年号で皇帝を呼ぶが,ズクドゥック帝の場合,育徳とは年号ではない。たった3日間しか在位しなかったため,元号は定められなかった。そこで,彼が生前生活していた王宮内の殿宇の育徳堂の名を取って,育徳帝と言われている。

ここズクドゥック帝廟も世界遺産の一部ではあるが,ローカルな風景が広がっている。


正門は開かれておらず,勝手口のようなところから入った。

これが本殿らしいが,後ろから撮ったもの。正面から見よう。

本殿は隆恩殿という。開かれてはいない。廃帝の廟ではあるが,ちゃんと龍があしらわれている。

本殿から見た正門。

三関式の正門。内側から見ることになる。手前には屏風が建てられている。屏風にはかろうじて装飾が残っている。

右側の門の向こうには皇帝と皇后の墓があるが,扉は閉まっており,行くことはできなかた。チュンさんによればここは公開されているところではないので,仕方がないとのこと。しかし他の人の旅行記では,墓地を見学していたような気がするが…。

壁のレンガが一つ抜かれたところがあり,そこから陵を見ることができるとチュンさんが言っていたので,覗いてみた。

このズクドゥック帝廟には,ドンカイン帝とズイタン帝の位牌と墓もある。

ここでズクドゥック帝以後のグエン朝の皇帝について述べておこう。ズクドゥック帝が餓死させられたあと,ティエウチ帝の子であるヒェップホア帝が就いた。廃帝と諡号されたグエン朝六代皇帝協和帝Hoàng đế Hiệp Hoà(阮福昇Nguyễn Phúc Thăng,1846-1883)である。廟号はない。権臣から実権を取り戻そうとフランスに近づいたヒェップホア帝は返り討ちにあい,慈裕皇太后(嗣徳帝の母)の指示によりたった4ヶ月間で廃位され,幽閉されたのち服毒を強要されて死んだ。彼の陵墓は存在しない。また,ズクドゥック帝とは違い,協和は実際に定められた元号ではあったが,改元する前に死んだために使用されることはなかった。

次に帝位を嗣いだのは,キエンフック帝である。廟号を簡宗Giản Tông,紹德志孝淵睿毅皇帝Thiệu Đức Chí Hiếu Uyên Duệ Nghị Hoàng đếと諡号されたグエン朝七代皇帝建福帝Hoàng đế Kiến Phúc(阮福昊Nguyễn Phúc Hạo,1869-1884)。トゥドゥック帝の三人の養子のうち,最年少であったのがキエンフック帝である。トゥドゥック帝は彼を次代の皇帝として指名したかったようであるが,慈裕皇太后(嗣徳帝の母)の反対に遭った。慈裕皇太后はかなりの権勢を誇り,清朝でいう西太后のような振る舞いをしていたようだ。

キエンフック帝も権臣の専横を止めようとしたが,やはり返り討ちにあって毒殺された。彼の在位も半年に留まり,やはり陵墓は建設されなかった。

次に帝位を嗣いだのは,キエンフック帝の弟ハムギ帝である。出帝と諡号されたグエン朝八代皇帝咸宜帝Hoàng đế Hàm Nghi(阮福明Nguyễn Phúc Minh,1884-1885)。廟号はない。即位後フランスへの抵抗を示し,王宮を脱して農村に籠もって抗戦を続けたが捕らえられてアルジェリアに流刑となった。すぐに死亡したわけではなく,フランス人女性と結婚したのち72歳で死亡した。餓死や毒殺されてきた皇帝と比べるとまだいい人生を送っているかもしれない。当然彼の陵墓は存在しない。

工事中で見学できなかったものの,ハムギ帝の後を嗣いだドンカイン帝には陵墓が存在する。彼はトゥドゥック帝の養子の一人であり,親フランス派であったことから,ハムギ帝の代わりとしてフランスによって擁立された。ただ,短命であった。

さて,次のタインタイ帝,ズイタン帝だが,彼らには一応陵墓が存在し,このズクドゥック帝廟に陪葬されている。位牌は隆恩殿に併せて祀られており,墓も並んで存在する。…が,私としたことが,彼ら二人の墓を見逃してしまった。チュンさんがガイドしてくれなかったので,二人の墓もズクドゥック帝の墓と同様に見られないのかと思ってしまったが,帰国後冷静に考えてみれば,チュンさんはあくまでズクドゥック帝に関して「見られない」と言っただけであって,二人の墓が見られないとは一言も言っていない。ただ,見られるとも言っていなかったが…。

ズクドゥック帝廟の壁の外にタインタイ帝とズイタン帝の墓が並んでいる。今となってはチュンさんに言ったり,実際に行ってみれば良かったと激しく後悔している…。またフエに行かなくてはならないのか…!?

ちなみに,タインタイ帝はグエン朝十代皇帝成泰帝Hoàng đế Thành Thái(阮福昭Nguyễn Phúc Chiêu,1879-1954)。廟号も諡号もない。即位後から軟禁されるという恵まれない境遇であった。この皇帝もフランスにより擁立され,敵対しないように教育されていたが,フランスへの反抗心を持つようになったため,退位して子のズイタン帝に譲位した。

ズイタン帝はグエン朝十一代皇帝維新帝Hoàng đế Duy Tân,(阮福晃Nguyễn Phúc Hoảng,1907-1916)。廟号も諡号もない。7歳で即位したが,父のタインタイ帝とともにフランスよりレユニオン島へと流刑となった。タインタイ帝は戦後ベトナムへと帰国し,75歳で死んだ。ズイタン帝は二次大戦にヨーロッパ戦線にフランス兵として参加した。戦後,ベトナムに帰国する途中,中央アフリカで飛行機が墜落して死んだ。

なお,ズクドゥック帝廟への陪葬は,1987年にズイタン帝の息子であるバオ・バンにより行われた。

ちなみに十二代皇帝はドンカイン帝の息子カイディン帝である。2年前に既に陵墓をくまなく見学したため,今回は見送った。十三代皇帝,グエン朝のラストエンペラーはカイディン帝の子バオダイ帝である。彼の陵墓は存在しない。

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