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越南順化巡覧 2012年7月5~8日

孝陵

Hiếu Lăng/Lăng Minh Mạng

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孝陵

朝食を終え,いったん部屋に戻り,支度を調える。必要最小限のものだけを持ち出し,身軽な状態でロビーへ。8時ちょうどに行ってみると,ベトナム人男性二人がロビーの椅子に座っていた。こちらをじっと見ているのか不審だが,おそらくこの二人が今日のガイドとドライバーだろうと思い,日本語で話しかけてみたところ,そこでようやく我々の名前を書いた紙を見せた。

日本語ガイドさんはエスパー伊藤風で細い。まぁベトナム人はほとんどの人が細いのだが。ラフな長袖シャツとGパンを履いている。一方ドライバーは黄色いTシャツとダメージジーンズ。ガタイも良く,肌も良く日に焼けていて,しかも暗めのサングラスを掛けていて怖い。ボウズ頭だし…。無言なのでさらに怖い。

ガイドさんは丁寧な方だった。APEXという日系の旅行会社の人で,そういえば2年前にベトナムを旅した時のガイドもAPEXの社員だった。日本でメールで「添付したこのPDFを現地ガイドに見せてください」と伝えられていたので,それをプリントしたものを見せたが,「これでは行程が分からないですよね」と言われてしまった。そこでこちらで作っておいた行程表を見せた。ベトナム人ガイドにも分かるよう,日本語とベトナム語を併記しておいたが,これが功を奏した。

行程表を再掲しよう。

孝陵(明命帝廟)Hiếu Lăng/Lăng Minh Mạng
基聖陵Lăng cơ thánh
紹治帝廟Lăng Thiệu Trị
南郊壇đàn nam giao
慈孝寺Chùa Từ Hiếu
謙陵(嗣徳帝廟)Khiêm Lăng/Lăng Tự Đức
思陵(同慶帝廟)Tư Lăng/Lăng Đồng Khánh
虎圏Hổ Quyền
龍珠廟(象の叫び寺)Miếu Long Châu/Điện Voi Ré
社稷壇Đàn xã tắc
文廟văn miếu Huế
アンヒエン庭園屋敷An Hien
安陵(育徳帝廟)An Lăng/Lăng Dục Đức
フエ大教会nhà thờ dòng chúa cứu thế
安定宮Cung An Định
ゴックソン庭園屋敷Ngoc Son
ゴイ・タントアン橋Cầu ngói Thanh Toàn

ガイドさんは行程表を一瞥して少し固まった,ような気がした。

車に乗り込み,とりあえずまず最初に向かうミンマン帝廟へと向かってもらった。自分の予想では1時間くらいかかるところだ。道すがら,この行程表を眺めたガイドさんが「普通,日本人は4つくらいしか回りません。だいたい,ミンマンかトゥドゥック,カイディン,ティエンムー,王宮ですね。これだけの数をリクエストしてきた日本人はあなたが初めてです」と驚いていた。彼は8年目の人だそうだが,基聖陵・虎圏・龍珠廟・社稷壇はこの仕事をしていて初めて日本人を連れて行くという。

中でも基聖陵(Lăng cơ thánhラン・クー・タン)は場所が分からなかったらしく,電話で誰かと話していた。ベトナム語の会話なので良く分からなかったが, ガイド「ラン・クー・タン」
電話の向こうの声「ラン・クー・タン? ○×△★◎!?」
ガイド「…ベトナム(笑)」
電話の向こうの声「ハハハ!」
というのが聞こえたので,おそらく相手が「それどこの国の遺跡だよ?」と聞いて,ガイドさんが「…ベトナム」って言ったのだと思う。

ガイドさんいわく,「さきほど先輩に訊いたんですが,彼でも分からないみたいです」と笑っていた。ただ,場所は分かるみたいなので安心した。

「ベトナム語でよく調べましたね」と言っていた。インターネットでベトナム語のサイトまで調べたんですよ,と答えた。ベトナム語表記を調べておかないと,たぶん伝わらないと思ったらからだ。ベトナム語は発音が難しく,カタカナで伝えても絶対に伝わらない。その苦労をしたおかげで基聖陵を訪問することができたと思う。

ガイドさんの名前はチュンさん。trungと綴るらしい。

フエのビーチ沿いにあるホテルから,まずは市街地へ出るだけでも20分かかる。途中で気になる建物を見つけた。

【注】
当時は分からなかったが,おそらく村落の社であるディン(亭,đình)であろう。かなり立派なものだと思う。

ダッシュボードの上には小さい仏像,そしてフロントミラーにはなぜか星条旗をデザインした飾りが下げられていた。ベトナム人にアメリカに対する感情はどういうものなんだろうか。知りたいが,訊けないなぁ。

バイクの二人乗りはベトナムのあるあるだが,ノンラーをかかえたおばあちゃんがappleのロゴを貼り付けたヘルメットを被っているのがおもしろかった。

で,またまた川の向こうに古風な屋敷を見つけたが,派手すぎる。ただバスが二台も駐まっているので,観光地なんだろうか。

【注】
当時は分からなかったが,これはディン(亭,đình)ではなく,いわゆる越僑が稼いだ金で出身地に建てる廟のようなもの。きわめて個人的なもので歴史的価値はない。生前に自分の墓を買うようなものらしい。故郷に錦を飾る,ではないが,見栄を張るためのものなので派手さ・豪華さを競うかのようである。

ミンマン帝廟はフエ市街から車で20分ほど走ったところにある。閑散とした場所にあるのだ。途中でフエを南北に二分する大河,フォーン河を渡る。

【注】
上ではフォーン河と書いたが,そこに合流するニューイ河Sông Như Ý。フォーン河の川幅はこんなもんじゃない。

フエの街中に立つサンヨーの看板。ベトナムの強い日光により,色が飛んでしまっている看板をよく見かける。貼り替えようとしないのは,すぐ飛んでしまってキリが無いためか?

ベトナムの人は朝ご飯を家で作らない。このように,もはや屋台とも言えない店で食べる。まだ8:30にもならない時間だ。

ベトナムの人にとって卒業・入学を象徴する花,カエンジュ。日本の桜に相当するようなもの。ベトナムでは秋から新しい学年が始まる。今は夏休み中。

市街地を抜けた。ミンマン帝廟はここからさらに40分かかるはず。とうとう三人乗りを見かけた。郊外ともなるとこういうスタイルになるのだな。

フォーン河を渡る。これを渡りきるとミンマン帝廟はすぐ。

結局,ミンマン帝廟に到着したのは8:50で,予想より10分早かった。到着すると,ガイドさんとドライバーが後部座席のドアを開けてくれた。こういうのは,ちょっと恐縮する…。

ミンマン帝廟Lăng Minh Mạngは,廟号を聖祖Thánh Tổ,體天昌運至孝淳德文武明斷創述大成厚宅豐功仁皇帝Thể thiên Xương vận Chí hiếu Thuần đức Văn vũ Minh đoán Sáng thuật Đại thành Hậu trạch Phong công Nhân Hoàng đếと諡号されたグエン朝二代皇帝明命帝Hoàng đế Minh Mạng(阮福晈Nguyễn Phúc Kiểu,1791-1841)の陵墓であり,正式名を孝陵Hiếu Lăngという。

外周を羅城が囲んでいる。2kmにも及び,高さは3.6m。羅城の上には近所の子供達が登っていた。世界遺産であることなどお構いなし,格好の遊び場になっているようだ。

帝廟入り口まで駐車場から2,3分ほど歩かねばならない。おきまりのお土産屋が客寄せするが,ベトナム語なので分からない。これがハノイやホーチミンだったらたくみに覚えた日本語で話しかけるのだろうなぁ。土産屋の犬だろうか,うろちょろしていた。小さくてかわいいのだが,無闇に近づいて噛まれでもしたら,狂犬病に感染する可能性があるので近づかない。予防接種を受けていない可能性が高いからだ。なお,ベトナムの犬は概して細く小さい。あまり餌をもらっていないのかな…。一方猫を見かけることは今回の旅行中もついぞなかった。

これがミンマン帝廟の図。

入り口,右紅門。ということは,これと対称となる場所に左紅門がある。正門は大紅門というのだが,そこからは入れない。

入り口ではチケットを買い求める。一人80,000ドン(306円)。後でチュンさんに訊いたところ,これは外国人用の価格であり,ベトナム人は50,000ドンで入ることができるらしい。ちょっと前までは外国人は55,000ドンだったが,ベトナム人は35,000ドンだったとか。

【注】
2016年の時点では,10万ドン(500円)にまで値上げされている。日本人にとってはたいしたことのない金額だが,現地の物価感覚は5倍ほどなので2,500円ほどの高い入場料となっている。

さて,右紅門をくぐると,そこには湖が。もちろん人造湖であるが,澄明湖という。

これは外庭。左右には,員弁石形(文官),侍衛石形(武官),石馬,石象が並んでいる。これは2年前に訪れたカイディン帝廟と同じ。帝廟向かって右手に並ぶのは,員弁石形(文官),石馬,石象だろうか。

その先には,天蓋付きの石製の麒麟がある。麒麟は聖人の象徴だ。

これが正門である大紅門。ミンマン帝の遺体をこの陵墓に運んだ時のみ開けられ,以後は固く閉ざされている。開かずの門だ。なぜかベトナム人が門の下にたむろしている。日陰を求めているようだが,金を払っておきながらここにいる理由が分からない…。階段には皇帝を象徴する蟠龍。

門柱には花の装飾が残っている。

これはミンマン帝廟の中心部分を図示したもの。

外庭にはバッチャン産の塼を敷き詰めている。向こうに見えるのは碑亭。黄色に光る瓦。黄色は皇帝の色だ。中華主義を全面に押しだし,清朝から与えられた「越南」の国号の使用をやめて,清朝以外の外国に対し「大南」の国号の使用を強行しただけあって,中華を意識している。

碑亭は二段の台の上に立つ。階段にはもちろん蟠龍があしらわれている。

内部には聖徳神功碑が立っている。ここに祀られているミンマン帝の功績を記している。

碑亭から先を望む。三段になっている拝庭。

顕徳門。三関式の木造門で,上部には楼閣が載せられている。真ん中は皇帝専用の入り口のため,ミンマン帝の遺体が運ばれて以降閉ざされたままだ。左は武官,右は文官専用。

顕徳門を抜けると,先に崇恩殿が見える。

その手前には,右配殿と左配殿が。左配殿は修復中だ。

崇恩殿の内部は撮影禁止だが,ミンマン帝と皇后の位牌が祀られている。

その裏手には,ミンマン帝の親族の位牌がひっそりと祀られていた。

ミンマン帝が腰掛けるための台。着替えなどのために使ったらしい。螺鈿で修飾されている。

崇恩殿を抜けると,右従院と左従院。左従院は破壊され土台しかない。

左従院趾。しっかり残っている遺跡もいいが,変に修復されるよりは,こういう廃墟然とした雰囲気もいい。

弘澤門。ここをくぐっていく。

先に明楼が見える。

明楼へのアクセスは三本の橋によってなされる。真ん中は中道橋,向かって左は右弼橋,右は左輔橋という名になっており(皇帝の眠る宝城に向かったときにこうなる。宝城から入り口を望んだときに左右の方向と橋の名前が一致する),やはり真ん中は皇帝専用,右は武官,左は文官が通る橋となっている。

明楼の回りは盆栽でいっぱいだ。

明楼から北を望む。とうとう廟の最奥の宝城が見えてきた。

明楼の左右には,それぞれ華表柱が建っている。

明楼の先には左右に基壇が設けられていた。いったいどんな意味を持つのか私には分からない。盆栽が置かれていた。

「正大光明」と書かれた坊門。その先には新月池があり,そこに架かる橋は聡明正直橋という。ここは一本だけだ。つまり,この橋は皇帝のためだけに造られた,遺体を運ぶためだけに造られたということを示す。

新月池という名とは裏腹に三日月の形をしている。新月池の左右にはそれぞれ左従房・右従房が建っていたようだが,今では存在しない。

橋を渡りきったところに「聡明正直」と書かれた坊門。その先には,鍵がかかった宝城門が。

階段の左右に龍があしらわれている。内部の様子をうかがうことはできないが,壁は円形になっている。表面には松が植えられ,地下には玄宮が存在するという。

実は皇帝はここには埋葬されていない。どこに埋葬されているかは盗掘や遺体の損壊をふせぐため,別の場所になされている。埋葬に関わった人物は全て殺されたため,誰も知らないことになっている。

これで折り返し。

澄明湖の周囲には,魚釣亭・迎涼館・霊芳閣・観瀾所といった建造物があったが,今では現存しない。左写真の澄明湖の奥に島のように見えるところに,虚懐榭という建造物があった。

帰路の途中で,iphoneで写真を撮っていた私に,チュンさんが自分もiphoneユーザであることを告げた。「4Sですか?」と訊かれたので,そうだと答えると,「私は4です。家族はみんな4Sなんですよ。私が一番最初に買ったから…」と言った。

実は今日,昨日ホーチミンで購入したベトナムデザインのiPhoneカバーを付けていた。それをチュンさんはめざとく発見して「すごいですね,そのカバー」と言った。ベトナム語で書かれている言葉がよく分からなかったので訊いてみると,「あー,えと,なんか,『国の境をみんなで守ろう』と書いてありますね」と教えてくれた。国境を死守せよ,ということだろうか。ちなみにチュンさんは言葉に詰まったり,考えた上で言葉を発しようとすると「なんか」を連発する癖がある。チュートリアル徳井に,スリランカ出身のヨギータ・ラガシャマナン・ジャワディカーという名前の漫談家のネタがあり,独特の日本語をしゃべるが,それを彷彿とさせた。

帰り際に撮った大紅門。その外には屏風があるとのことだが,確認できなかった。

駐車場に戻ったところで奥さんがトイレへ。後で聞いたところによると,5000ドンのチップが必要だったという。

まだ9時台だと言うのに,もう玉のような汗をかいてしまっている。車の冷房が嬉しい。昨日国内線でガメた水二本とホテルの無料の水一本,合計三本を持ってきているが,既に一本消費してしまいそうだ。水が必要になったらチュンさんにお願いして適当なところで買ってもらおう。

ミンマン帝廟では30分ほど見学していた。

なお,ドライバーは車の中で寝ていたり,土産屋のおばさんらと話をしていたりする。運転は大変だと思うが,暑い中を歩き回って説明するガイドよりはラクな商売かもしれないな。

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