昌陵
10時ちょっと前,ティエウチ帝廟に到着。
ティエウチ帝廟Lăng Thiệu Trịは,廟号を憲祖Hiến Tổ,紹天隆運至善淳孝寬明睿斷文治武功聖哲章皇帝Thiệu thiên Long vận Chí thiện Thuần hiếu Khoan minh Duệ đoán Văn trị Vũ công Thánh triết Chương Hoàng đếと諡号されたグエン朝第三代皇帝紹治帝Hoàng đế Thiệu Trị(阮福暶Nguyễn Phúc Tuyền,1807-1847)の陵墓であり,正式名を昌陵Xương Lăngという。こちらは入場料が不要だ。ミンマン帝廟は寝と陵が一体になり,一直線に配置されているのに対し,ティエウチ帝廟は寝と陵とが分離,並行して配置されている。
入り口付近の日陰には人がたむろしていた。びしっとシャツを来た人は管理人だろう。他のラフな格好をした人たちは例によって土産物屋だろうか。
これがティエウチ帝廟の図。入口を南としている。左が陵,右が寝となる。まずは陵部分から見ていく。陵の入り口の背後に配された半月状の潤澤湖。自由に入場できるからか,地元の人たちが釣り糸を垂らしていた。
凝翠池と潤澤湖の接合部分に架かる橋を渡る。暗渠になっていた。
潤澤湖と陵の入り口の間に屏風。
入り口の門。文字が入っておらずスカスカになっている。
入り口で陵の進行方向に立つ。外庭だ。その先には碑亭が見える。ここもバッチャン産の塼を敷き詰めている。
やはり左右には員弁石形(文官),侍衛石形(武官),石馬,石象が並んでおり,ミンマン帝廟と同じ。
碑亭は壇の上に載っており,階段の左右には蟠龍が。
碑亭の立つ壇の一段目の左右には,ミンマン帝廟でも見た麒麟像が一対。
碑亭の中にはミンマン帝廟と同様に聖徳神功碑が立っているが,ティエウチ帝自身が纂文している。自画自賛とはこのことだ。
碑亭から門方向を振り返る。南西の方向になる。
碑亭の先を眺める。廃墟然としている。
ミンマン帝廟にもあった壇。
ここは徳馨楼なる殿宇が建っていた場所。ミンマン帝廟で言えば明楼にあたる殿宇。ここの階段にも蟠龍。
華表柱も立つ。左右二本とも揃っている。
陵の最奥。ミンマン帝廟と同様の光景。三本の橋が架けられていて,右から東和橋,正中橋,西定橋となっている。橋が架けられている池は凝翠池といい,先ほどの入り口の潤澤湖とつながっている。奥には扉で閉じられた宝城があり,円形の壁で囲まれている。
ここで折り返して寝部分へ。
寝部分の入り口の手前にも湖があり,月湖と呼ばれている。湖の先に屏風が立っている。
入口側には階段がしつらえてあった。ここに船を浮かべることがあったのだろうか。
寝の入り口と月湖の間には坊門。陵のそれと比べればまだ現存しているほうだ。中央額には「明徳遠矣」とある。
まず最初の段には左右2つの階段があり,二段目から門に向かって中央に階段が延びている。
寝の拝庭。月湖方向を向いたところ。ここも三段になっており,階段には龍があしらわれているが,員弁石形(文官),侍衛石形(武官),石馬,石象は並んでいない。中央の石畳はタインホア(清化)から運ばれた石でできており,その左右には例によってバッチャン産の塼を敷き詰めている。
寝の入り口である鴻澤門。扉は閉じられている。しかし,チュンさんが交渉してくれたのか,特別に中を見せてくれるという。本公開は来月からだそうだが,一人80,000ドンのところ,100,000ドンで見せてくれるという。…うーん,この金,特別割引料金というよりは賄賂,というより管理人の財布に入るだけなんじゃないのか…? 門の向かって左側の扉を開けてくれた。
門の裏側は例によって駐輪場となっていた。多分ここを開けた管理人のバイクだろう。上層に上がるための階段がしつらえてある。上の楼には床があるようだ。
門の先正面には寝の中心殿宇である表徳殿がそびえ立つ。内部にはティエウチ帝の位牌が祀られており,管理人が線香を焚いた。
表徳殿向かって左の右配院。中に特にこれと言った展示物があるわけではない。右には左配院があったはずだが…。撮り忘れたか…。
修築したものだろうが,殿宇の内部は立派なもの。ただ,祭壇にはティエウチ帝に関わるものは何もなかった。
チュンさんがこれで終わりにしようとしたので,表徳殿の後ろを見たいとリクエストした。
表徳殿の背後へアクセスするための月門。月門は表徳殿の左右にあるが,これは表徳殿向かって左手の月門。
真横から見た表徳殿。二つの棟を併せている。二つの屋根の間には,魚が口を開けたような排水のための飾りがある。切妻部分には蝙蝠(こうもり)の装飾がある。「蝠」の字が「福」に通じ,しかも蝙蝠は逆さ(「倒」)になっているため,「到福」(福がやって来る)となり縁起が良いとされている。
表徳殿奥の右従院。表徳殿と回廊で接続している。内部は補強のための木柱がたくさん立っていた。屋根もトタンになっており,見学を前提としていない。
右従院に付属している門。名は不明。陵が見える。
表徳殿の裏部分。階段は復元されたものらしい。奥に見えるのは左従院。右従院と比べると崩壊が進んでいたらしい。ただ,修築も始まってはいない。多分この修築が済まなければ,ティエウチ帝廟を開放することはできないんじゃないか。
後方の門。
左従院。トタン屋根が葺かれており,見学できるような状態ではない。
これは表徳殿向かって右手のほうの月門を裏側から。これで寝の方も終了。
寝向かって左側に気になる階段を見つけた。これを登っていけば,寝を背後から見ることができそうだ。
この他にティエウチ帝の生母である胡氏華Hồ Thị Hoa(諡号は佐天儷聖恭和篤慶慈徽明賢順德仁皇后)の陵墓である孝東陵や,ティエウチ帝の皇后范氏姮Phạm Thị Hằng(慈裕太后Thái hậu Từ Dụ,1810-1902,諡号は慈裕博恵佳肅慧達壽徳仁功章皇后Từ Dụ Bác huệ trai túc tuệ đạt thọ đức nhân công Chương hoàng hậu)の陵墓である昌壽陵もあるが,パスしてしまった。
【注】
孝東陵・昌壽陵は2014年7月に訪問した。
これで昌陵は終了。20分ほど滞在していた。管理人と池で釣りをやっている人以外の人間とは会うことがなかった。ましてや観光客は一人もいなかった…。再び車に乗り,フエ市街地方向へと向かう。
ところで,まだ二つのスポットを終えたばかりだというのに,iPhoneの電池残量が30%を切ってしまった。予備バッテリーと接続し,充電させながら使用することにする。心配なのは暑さ。iPhoneはただでさえ発熱しやすい。この炎天下。壊れないだろうか。…でも,チュンさんは普通に使ってるんだよなぁ…。大丈夫かな。
次のスポットに向かう途中,ミンマン通りを北上していると2年前に昼食をとったla thongというお店を見かけた。松thongの葉laという名前は,経営者が日本人であることにちなむ。日本料理も出すのだ。チュンさんによると,奥さんはベトナム人であり,夫婦で既にホーチミンに移住しているとか。今はベトナム人がやとわれ管理人をしているらしい。