社稷壇
次は社稷壇。レストランのすぐ近くのはずだが,チュンさんは地元の人に道を訊いていた。世界遺産の一部であるのだが,民家の建ち並ぶど真ん中にあり,細い道を抜けて到着。
虎圏と同様に,ここも「社稷壇」とは言わず,チュンさんはxã tắcとベトナム語そのままにガイドしていた。日本語でどう言えばいいのかチュンさんも分からないのだろう。…あ,今気づいたが,次回日本人をガイドする時に役立つよう,渡した行程表(漢字表記とベトナム語の合壁)にふりがなを振ってあげればよかったかな…。でも,8年,12年ガイドしてきた人たちも初めて連れていくところだから何の役にも立たないかな…。
社稷壇は方形の壇。南郊壇とは違い,たった一段だ。この階段だけ。社稷とは土地神と穀物の神に対する祭祀を行う場所のこと。皇帝が自ら祭祀を執り行う。やはり中国に起源があり,農業という国の根本を支える産業が栄えるように祈るもっとも重要な儀式だ。
中央に祭壇らしき跡がある他は何もない。ただ,チュンさんいわく,地元民はここでお祭りをやったりするらしい。西暦が偶数年,2年に一度6月の初旬に行われるフエ祭りではここも賑わうとのこと。2年前も,今年もフエ祭りの開催年だが,2年前は5月の末,今年は7月の初めの訪問とニアミスになっている。ただ,結構人が集まり,ホテルなども料金が高くなるらしいので敬遠したい時期ではある。
雲行きが怪しい。積乱雲がたくさんできてきた。
次は文廟。外城を出て,西へと向かう。王宮の一番南に相当する城壁。函館の五稜郭のように,菱形になっている。
文廟に向かう途中,遺跡のようなものを見つけた。ただ,古めかしい割にクオックグーが付されているのが妙だ。あれは何だろうか。
【注】
Kim Long通りに入ってすぐの王府「徳国公府phủ Đức Quốc Công」であった。2015年3月に訪問した。