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アンコール遺跡・フエ阮朝史跡巡覧 2014年7月12~17日

皇姑陵

Lăng Hoàng Cô

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皇姑陵

9:25。瑞聖殿のすぐ西で南北に延びる小道を北に向かう。石畳で舗装されているので歩きやすく,ここからは歩きのが楽になった。おそらく観光用の道かと思う。しかしながら,この後も自分と同じように陵をめぐって歩く外国人に出会うことは一度も無かった。

浮き橋の手前で運転手のニンさんと別れて既に2時間経ってしまっている。10時までには戻ると伝えてあるので,あと40分ほどで残り2つの陵を見終えて,浮き橋まで戻らねばならない。

少し北へ歩いたところで,ようやく民家が現れてきた。人界に戻ってきたような気分だ。これまで暑さと水の心配をしていたが,少しほっとした。行き倒れたとしても何とかなるだろう。それに民家の周りには陽を遮る背の高い木々が生えているので歩きやすい。小径の両側に民家が数軒並んでいる。

次の陵墓に至るであろうと思われた道が右手(西)に現れたので進む。ちょうど岐路で現地の男性が作業をしていた。近づいてくる私をじっと見ているのが分かり,少し緊張する。先ほど瑞聖陵の水牛使いの人とのコンタクトで失敗したのを思い出して,今度は積極的にいってみることにした。目を合わせてみると笑顔を返してくれた。笑顔で頷いてみると頷き返してくれるので,挨拶のかわりになった。念のため,次の陵墓のベトナム語表記を指し示してみると「あっちだ《と言わんばかりに指で方向を教えてくれた。

おそらくこの辺りの人たちは英語はできないだろう。外国人観光客との接触がほとんどないからだ。確かにこの集落の先にはザーロン帝廟という観光資源はあるが,ほとんどの観光客はバイクタクシーで途中の道を飛ばしてしまう。それにザーロン帝廟以外のドマイナーな陵を,《徒歩で》巡る奇特な観光客(→私)などいないに等しいはずだ。

ちなみにベトナム語には6つもの声調があり,4つの声調のある中国語よりもっと複雑だ。カタカナ読みで話しても全く通じず,下手をすると他の5つの意味に捉えられ,全く理解されない。だから下手に喋るよりも,文字を見せるか,相手が英語を少しでも分かるなら英語を話した方がよい。

さて,ここまで私は現地の人に対しあまりにも警戒し過ぎていたと反省した。確かにベトナムは途上国の中では奇跡的とも言えるくらい治安は良い。外務省の安全情報をいつ見てもベトナムの全土は真っ白だし,実際これまでのベトナム旅行で危険な目に遭ったことはない。しかし人目がなく,言葉もあまり通じないようなこのようなところでトラブルに巻き込まれてしまったらどうしようとの思いがあり,現地の人とのコミュニケーション自体を避けてきた。

しかしちょっと冷静に考えてみた。かりに立場が逆だったとしたら? つまり,自分が日本の田舎道で地図を片手に田圃のあぜ道を一人でうろついているベトナム人を見たら? そりゃあ助けたくなるでしょ。彼らも私に対してそういう思いを持っているのかもしれない。あるいは「なんか危険な外国人が来たなぁ《なんて,彼らもまた私に対して警戒しているのかもしれないのだ。だからといって注意を怠るようなことはせず,今後も常に海外モードで気を引き締めていくが,あまりに人を警戒し過ぎては残念なのではと思ったのだ。

ただ一つ言えるのは,このような片田舎よりも,交通ルールを半ば無視した大量のバイクが走る市街の方がずっと危険だということ。なお,ベトナムの治安の良さについては,一党独裁の社会であるということもその要因だと思う。管理が行き届いているが故に治安が良いというのは,果たして喜ぶべきことなのかどうか…。

9:31。民家の先にあった皇姑陵Lăng Hoàng Cô。隆城貞靜太長公主Long Thành Thái Trưởng Công Chúa阮氏玉琇,つまり嘉慶帝の妹を葬った陵が,先ほどおじさんに教えてもらった場所で見つかった。

拝庭の手前には薪にして使う小枝などが纏められていた。生活臭のする陵だ。

拝庭は3段か。ここも門に扉は無く,自由に入れる。

屏風の前には石碑が。これは近年になって設置されたものかと思う。普通はこんなところに石碑などない。

やはり屏風の先に囲みがある。ここも草が生えてしまっている。石畳はなく,土が剥き出しになっている。

塔の形をした宝城。これでも光興陵と比べると派手だ。

屏風の裏には鳳凰が彫られていた。鳳凰は皇后を象徴する瑞獣。

もとの小径に戻ると,まだおじさんが作業をしていた。「ありがとう《の意味で,笑顔で頷いた。


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