光興陵
瑞聖殿からさらに西へ60m離れた場所にあるのが,次に向かう光興陵。
瑞聖殿のある小高い丘から降りたところ。田圃を挟んで向かいには雑木林がある。距離と方角を考えると,おそらく光興陵がその中にあるのだろう。田圃へと降り,あぜ道を進もう。水牛が大人しく草を食んでいる。
のどかだなぁと思って水牛にカメラを向けていたら,こちらを見ていた二頭が少しずつにじり寄ってきて,徐々に速度を上げてきた。現地の人とは言葉が分からずともジェスチャーや表情などで意思の疎通はできるが,さすがに動物には何も通じないし,彼らが何を考えているのかも分からず怖い。光興陵があると思われる林の方へと走って逃げた。炎天下で全力で走ったため一気に体力を奪われてしまった。同時に貴重な水も大幅に減ってしまった。
林に入り,小道を少し上ったところで,藪の先に陵があるのが見えた。しかし,付近にそこに至るような道はない。仕方が無いので,行く手を遮る細竹を倒したり,くぐったり,越えたりして何とか陵へと至った。ただの平地であればまだ辛くないが,陵までは上り坂になっている。ここでも体力をかなり使ってしまった。
ようやく光興陵が見えた。
9:16。光興陵Lăng Quang Hưng着。広南阮主5代目賢王Hiền Vương阮福瀕Nguyễn Phúc Tần太宗Thái Tôngの孝哲皇后Hiếu Triết Hoàng hậu宋氏堆Tống Thị Đôiの陵である。幾分狭い拝庭から周りを見渡したが,ここに安全に到達できるような階段などどこにもなかった。拝庭には草は生えていないが,竹の葉が落ちていて誰も掃除していないことが分かる。
門は開いていた。というより扉自体がない。入ってすぐのところに,やはり屏風がある。
陵の内部。もう一つの囲みの中に宝城があるようだ。陵の内部は草が生え放題。
宝城は二段になっているが,極めて低い。やはりあまり管理されていないようだった。
内側から見た屏風。穴が空いているのが気になる。ひょっとするとこれらも弾痕なのだろうか。テト攻勢の際,フエは激戦地になったそうだが,こんなところまで戦渦に巻き込まれたのだろうか。
光興陵を立ち去り,瑞聖殿の方へと戻る。帰りもやはり竹との格闘。今度は下りになるため,それらを越えることはできず,くぐるか押さえて倒すかのどちらかしかない。ひょっとしたらさっきの二頭の水牛が近くまでやってきているのでは,との上安があったが,田圃に出てみると水牛たちはすっかり居なくなっていた。
残る陵はあと2つ。それらを見終えれば,あの浮き橋まで戻るだけ。すでにクタクタ…。