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アンコール遺跡・フエ阮朝史跡巡覧 2014年7月12~17日

天授右陵・墓

Lăng Thiên Thọ Hữu

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天授右陵・墓

ただいま8:20。ということはたっぷり40分も天授陵の見学に費やしたのか…。次は天授陵から北西に500mほど離れた天授右陵Lăng Thiên Thọ Hữu。

手前は月湖で,その先に見える華表柱は天授右陵のもの。月湖は天授陵と天授右陵にまたがって配置されている。月湖の先に小屋が見える。流石にこれは遺跡に関係するものではないだろう。分かりにくいが,小屋のすぐ傍で小舟を浮かべている人がいたので,おそらく作業用の小屋だろう。

天授陵から天授右陵へとアプローチするための小径。この辺りは見学しやすいように道が整備されている。電灯も配置されており,いくらか安心した。というのも,ガイドブックには「嘉隆帝廟は人家から離れた場所にあるため注意すること,女性が一人で訪れるのはおすすめしない《などと物騒なことが書かれていたからだ。私は男性だが,さきほど乗せてもらったバイクタクシーのドライバーにすら警戒していたし,天授陵にたむろしていた男性係員数吊が自分を凝視していたのには,実はかなりの恐怖を感じていた。この辺りではあまり人とは出会いたくないと思っていた。

ベトナム人に自分がどのように見えるのか分からないが,あまり腕っ節が強いほうではないことを自覚している。眼鏡を破壊された上で荷物を奪われたら,自分はどうしようもなくなってしまう。このあとは観光客に対して決してフレンドリーではないルートを辿って陵墓を巡ることになるので,いっそう警戒心を持つようにつとめた。しかし,結果論ではあるかもしれないが,このことは杞憂であった。詳しくは後述していく。

天授右陵の墓部分が月湖の向こうに見えるようになった。Google Mapsの航空写真を見て場所を把握してきているので,想定していたところに想定していたものがあると安心する。

少しルートを外れた。何かの門が見えたのでちょっと立ち寄ってみた。先ほど見た天授陵の寝部分の背後に位置する門のようだ。

小径は石畳となってきた。散策ルートとして整備されていてほっとする。

天授右陵の墓部分。ここに眠るのは嘉慶帝の第二皇后であり,ミンマン帝の生母である順天高皇后Thuận Thiên Cao Hoàng hậuである陳氏璫Trần Thị Đang。おそらく子がミンマン帝として即位したので,彼女が皇后となったのだろう。

墓部分はかなり崩壊している。これから整備していくのだろうか。宝城門は閉じられていたし,状態を見て上に登るのは遠慮した。また,まだ9時前だというのに暑くなってきたからでもある。水を2本ほど持ってきているが,どれほどもつか分からない。まだ陵墓巡りは始まったばかり。歩いてあの浮き橋まで戻らねばならないのだから。体力を温存していこう。