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アンコール遺跡・フエ阮朝史跡巡覧 2014年7月12~17日

天授陵・寝

Lăng Thiên Thọ

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天授陵・寝

7:25。川岸で車が止まった。天授陵に行くにはまず河を渡らなければならず,ガイドブックやネットなどから渡し船に乗るとの情報を得ており,昨日ホテルのスタッフからもそのように聞かされていたが,実際には橋が架かっていた。といっても浮き橋であり,徒歩,自転車,バイクのいずれかでしか通行できない。

ニンさんはここからバイクタクシーに乗るように勧めてきた。往復料金は150,000ドン,ドルなら7ドルとのこと。岸には天授陵を見学する人のためにバイクタクシーの詰め所がある。確かに河を渡った後,天授陵まではだいぶ距離があるのだが,私は天授陵までの間に点在する数々の小さな陵墓も訪問したいので,単純に天授陵との往復はしたくない。しかもバイクの二人乗りなどしたことが無いうえ,バイクドライバーも自分もノーヘルだ。この状態で事故に遭ってしまった場合,保険など適用されないだろう。ベトナムでも現在はノーヘルは違法だ。バイクタクシー自体,ライセンスもなく会社組織もない職業のため,責任の主体がどこにもない。何かあったときには客が泣き寝入りするしかないだろう。

そこでニンさんに「バイクは怖い。乗りたくない,歩いていく《と言ったのだが,「だいぶ距離があるぞ《と聞く耳を持ってくれない。そこで譲歩して「行きのみバイクに乗り,帰りは歩く《と言って,片道で勘弁してもらうことにした。「同じ値段でいいよ《と言ったつもりで,先ほど自分が払ったドン札を指差したのだが,「その代わり安くしてくれ《という意味に捉えられてしまい,手元に50,000ドンが帰ってきた。150,000ドンだった運賃が100,000ドンになったのである。この体系には何の根拠もなく,つまり最初の150,000ドンという価格自体がいいかげんなのだ。タクシーの初乗り料金の10倊以上であるため,この運賃は外国人から取ることを前提としたものなのだろう。150,000ドンあれば宮廷料理のセットメニューを食べることができる。おそらく現地人に対してはもっと安い価格を提示しているのだと思う。

ともかくおそるおそるバイクにまたがった。本当は片道でも乗りたくないのだが…。バイクの二人乗りをしたことがないため,足をどこに置いたらいいのか分からない。「ニーグリップが云々《と言う話をどこかで聞いたことがあるので,足を浮かせて膝で固定する状態で乗った。後で知ることになるが,足を乗せるためのものが車輪の軸あたりに設けられているので,それを使うのが正解なのだが,そんなこと知る由も内。当然まったく安定しない。すぐバイクから落ちそうになるので怖い…。途中で一度止めてもらい,体勢を整えたりした。それでもしばらくすると慣れてきて余裕が出て来た。すれちがう現地の人が私をもの珍しそうに見てくるので,手を振ったり声を掛けてみたりした。みんな笑顔で応えてくれるので楽しい。

あまりに怖かったので,いったいどれくらい時間が経ったのか分からなかったが,後で写真の撮影日時を確認したところ,天授陵までたっぷり15分はかかっていた。バイクのドライバーは全く英語が通じないので,万が一の時にどうしようかと思っていたが,無事に到着できて良かった。陵の前で降ろしてもらい,ここでサヨナラだ。笑顔で頷いて謝意を伝えると,ドライバーも頷いて去って行った。ここからは完全に一人。ちょっと上安を感じる。ニンさんの電話番号を教えて貰えば良かったかなと後悔する。

7:40。天授陵の前には月湖と呼ばれる池があり,一面蓮で覆われている。その先には天授山があり,二対の華表柱が立っているのが分かる。あそこまで行くのはちょっと無理かな。

まずは天授陵の寝から。嘉隆帝のみたまやがある。階段に龍があしらわれており,確かに皇帝のものであることが示されている。

最初の階段を登ったところ。殿門の前にはいくつかの柱が立っている。

殿門の前では撮影が行われていた。たったカメラマン一人だけなので,芸能人ではないだろう。おそらく素人が何かの記念に写真館の人にお願いしているのだと思う。姉妹なのか友達なのか分からないが,かなり美人だったと思う。

殿門の二層目と内部。立派なものだ。

殿門から入り口方向を振り返ったところ。この広いスペースが外庭になる。

自分が見切れていまわないように気をつけて移動していたら,寝の内部にたむろしていた管理員たちに笑われてしまった。外国人が訪問するのが珍しいのか,みんな私に注目していた。あまりにも大勢が見つめてくるので,挨拶してみたら笑顔でちゃんと返してくれた。ちょっと緊張感がほぐれた。

殿門を寝の内側から。

寝内部。先に見えるのは嘉隆帝の位牌を置く寝の中心殿宇である明成殿。

明成殿の左右に殿宇が建っている。管理員たちは左手の殿宇,つまり右配殿(中心殿宇である明成殿から門の方を向いた状態で右)にたむろしている。ゴミ箱が設置されているということは,確かに観光客を受け入れている証拠だと思う。それなのに,かなり物珍しそうに私を見つめていたのはなぜだろう。

左手の殿宇の内部で見つけたこのあたりの地図。オレンジ色の区画が陵墓。左は天授陵エリア。大きなオレンジが天授陵と,このあと訪問する天授右陵で,左の方にある小さなオレンジは長豊陵。右はその他の陵墓で,ここまでバイクで通過してきたエリアだ。これを全部訪問するつもりでいる。2時間ほどかかる見込みで,ドライバーには9:30頃に戻ると伝えている。まだ8時にもなっていないが,しっかり暑くなってきている。この時期は,ベトナム一暑い地域であるフエで,もっとも暑くなる。気をつけないと。

なお右手の殿宇,つまり左配殿の中には何もなかった。

寝の内部で見つけたジャックフルーツ。このようにベトナムでは果物が普通に生っている。

だいぶ焦らしたが,いよいよ明成殿へ。内部はこれまで見てきた帝陵の寝と同じように赤と金で装飾されていた。

中を撮影していたら,先ほど挨拶した人たちの中の一人がやってきて簡単な説明をしてくれた。「明成殿《と書かれた額をベトナム語読みのminh thanh dienと読んでみたら頷いていた。

お前立ちのようにある肖像画。彼こそが阮朝初代皇帝の嘉隆帝。姓と諱は阮福暎,諡号は開天弘道立紀垂統神文聖武俊徳隆功至仁大孝高皇帝,廟号は世祖。世祖高皇帝と略称される。

寝の中心部。おそらくこの奥に嘉隆帝の位牌があるのだと思う。係員はどこかへ行ってしまった。

明成殿を出て側面を撮影。

排水口の装飾は宮廷と同じだ。蝙蝠も彫られている。「蝠《の字の音が「福《に通ずるので蝙蝠が尊ばれ,このような装飾のモチーフになっている。

月門から明成殿の背後を伺う。とりあえず何もない。「立ち入り禁止《を示すのであろう簡素なバリケードが組まれていたので,これ以上は進まなかった。

明成殿をもう少し。

明成殿の左手側。ちゃんと月門が残っているが,こちらもトタン板のバリケードで背後に回れないようになっている。

殿門に戻ってきた。天井には二層目に上がるための穴が開いている。ハシゴを掛けて登るメンテナンス用の通路だろう。

階段の両脇には層が設けられている。左手側が本殿側の碑牆,右手側は階段側の欄干

中華風の造りだが,椊物を入れるとどこだかよく分からなくなる。琉球王国の遺跡と言っても分からないかも。

まだ撮影していた。このあと月湖上の蓮をバックに撮影していた。私は寝を立ち去る。