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アンコール遺跡・フエ阮朝史跡巡覧 2014年7月12~17日

瑞聖陵

Lăng Thoại Thánh

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瑞聖陵

前に見えるのは嘉成殿。長豊陵を諦めて戻ってきた。獣道ができていたので,これを辿れば長豊陵に通じるのではと思っていたが,途中で道が消えてしまった。帰国した今一番印象に残っているのは,逃したこの長豊陵のことだ。逃した魚は大きい。

嘉成殿の西門が見えた。嘉成殿の西側に沿って伸びる小道を北に向かう。

この奥に向かう瑞聖陵があるが,その手前に,この平原が立ちふさがる。腰の高さの丈の木が生えており,歩きにくい。割と等間隔に生えているので,あるいは椊えられているものかもしれない。

めいっぱい光学ズームして撮った瑞聖陵。手前に立つ華表柱が目印になっているので方向を間違えることはない。しかし手前に田圃があるので,このまま突き進むことはできない。どうにかして田圃を迂回するしかないのだ。

ようやく田圃に至ったが,田圃は竹で作った柵で囲まれており迂回が難しい。しかも柵の上には有刺鉄線のようにトゲのある椊物のツタが絡まっている。柵沿いを迂回して行けばいいのだが,柵は田圃に迫る藪と密接していて歩けるスペースなどない。人為的に囲んだ柵ならば,これを管理する人が通る道が必ずあるはずだ。それを探そう。

田圃から西に離れるとこんな小川が…。これを安全に越えるすべはない。田圃に戻るしかないか。

手をこまねいていたら,少し離れたところで水牛が放牧されていた。のどかな風景だが,これをのんびり見ている暇はない。正しい方角は分かっていても,正しいルートが分からないのだから。じりじりと暑くなっているし,これ以上停滞するわけにはいかない。そこで竹の柵を強行突破することにした。一番怖いのは柵を越えようとした時に柵が重みに耐えられず,内側に倒れること。田圃なので深さは知れたものだろうが,体を変に打って動けなくなったら一大事だ。誰も通りかからないこんなところでそんな状態になってもかなわない。

トゲに刺さらないように注意しながら柵を越える。思ったよりも柵が高く,越えるのに一苦労した。それに,やはりトゲにはやられてしまった。柵の内側のあぜ道を注意しながら進む。

柵の内側に入り,目指す瑞聖陵側を向いたところ。この田圃をぐるりと廻って向こう側に行かねばならない。あぜ道といってもかなり狭いし,倒壊するのではないかというくらい脆い部分もあって肝を冷やした。ここの管理者は一体どのようにしてこの田圃にアクセスするのだろうか…。ようやく田圃の向かい側に至ったが,今度は柵の外に出なければならない。また細心の注意を払って越えた。

ようやく華表柱の立つ丘に抜けることができた。先ほどとは違って背丈の低い木が生えており,ここを抜けるのは楽だった。華表柱の真ん中を突き抜けて瑞聖陵へと向かう。帰国後に分かったが,嘉成殿から瑞聖陵に向かうには,すぐ西側にある小径を歩くのが正解のようだ。200mの距離に10分をかけた上,何より無駄に体力を消耗してしまった。

8:55。瑞聖陵の華表柱を越えたところ。瑞聖陵の手前には方形の池がある。乾季になって久しく,現在はほとんど水が干上がっている。左のあぜ道を進めば安全に陵にたどり着けるが,ここまでたどり着くのに疲れてしまって面倒になり,方形の池だったところを歩いてしまう。写真に写ってはいないが,あぜ道の先,瑞聖陵の手前には二人の男がたむろしていて,彼らのすぐ近くを通ることを躊躇したためでもある。人目のないこんなところで恐喝でもされたら…などということを考えてしまったのだ。しかし上正解だった。途中から土がゆるくなって靴が泥をかぶってしまった…。

失敗したと感じた時,私の様子を窺っていた二人の男が笑い出し,hey,you!と話しかけてきた。手で「あぜ道を回ってこい《とジェスチャーしたので,私もこれ以上進むのは無理だと悟っていたため,諦めて半分以上進んだ池を仕方なく戻った。

二人の男の前を通り過ぎる時に緊張したが,それを悟られまいと2人に挨拶すると,彼らは「こっちだ《と言わんばかりに陵を指差した。…うーん,なんだかビビってた自分がバカみたいだ。ベトナム人は自分が思っていたよりもずっと素朴な人たちなのかもしれないと感じ初めていた。

瑞聖陵。積まれた石垣が綺麗に残っている。

瑞聖陵Lăng Thoại Thánh。広南阮主9代目の子,嘉慶帝の父である興祖Hưng Tổ阮福㫻Nguyễn Phúc Luânの孝康皇后Hiếu Khương Hoàng hậu阮氏環Nguyễn Thị Hoànの墓だ。

もう一段上から。外庭。かなり崩壊が激しい。

外庭の上から南の方を臨む。方形の池,それに華表柱が綺麗に見えた。

宝城門は開いていたので,中を見学しよう。

あの二人の男たちが気になったので振り返ってみると,彼らはどこかに行ってしまっていた。多分向こうに見える水牛たちを放牧しに来ていたのだと思う。やたらと警戒していた自分を恥じる。

入ってすぐのところに屏風があり,その中にまた囲いがある。

囲いの中にも屏風が。その屏風の奥には宝城,つまり墓がある。

宝城門の内側。聯(門や入り口の左右の縦方向の部分の部分,上の横方向の部分は「篇《)には花瓶に刺さった花が彫られていた。

宝城門から南方向を臨む。