従善王陵
慈孝寺を出て次に向かうのは従善王陵。衛星地図では大通りに出てすぐ左側にあることが分かっているが,なかなか見つからない。他の寺の入口と勘違いしたりして,ようやくそれらしいのを見つけた。
車を駐めてニンさんと確認しに行く。
この碑文はよく分からなかった。実は自分はまだここが従善王陵であると確信を持っていない。むしろ疑っている。というのも,Wikimapiaが指し示している場所とは違っているからだ。
次に庇が付いた碑文の中央には「大南東閣大学士」とある。この碑が立っているのを見て,ニンさんに「従善王陵じゃない」と言ったが,ニンさんは「ここに間違いないよ」と言っている。何を根拠に? と思ったが,ニンさんが見ていたこの碑の裏側に,クオック・グー(現代のラテン文字系のベトナム文字)でLăng Tùng Thiện Vươngと彫られていたのだった。
これが証拠。dien nam dung cac dai hoc siとある。従善王は「大南東閣大学士」と呼ばれていたのだろうか。
15:22,ようやく確認終了。もう従善王陵に間違いはない。従善王とはミンマン帝の第10子阮福綿審Nguyễn Phúc Miên Thẩmが眠る陵墓。詩人として名を馳せた皇族。なぜか甕型の墳墓だった。その手前には鼎が。漢字のようなものがあるが,よく分からず。
後ろの屏風にも鼎にあるのと同じ字が。「和真所止」?
熱心に碑文を読むニンさん。すぐ側の道はLê Ngô Cátという名前の通り。従善王陵を探すために暫くこの道を往ったり来たりしていた。15:30になろうとしている時間だが,だいぶ予定より遅れている。いくつかをパスしてきたというのにだ。急がないと…。
この後Lăng Ngai Kiến An Vươngという誰が埋葬されているのか不明な陵墓を探したが,遂に見つからなかった。このLê Ngô Cát通り沿いにあることは確かなのだが…。ニンさんは粘り強く地元の人に聞き込みをしてくれたが,「ありがとう,もういいよ」と言って次に行くことにした。
帰国後確認したが,工場あるいは学校のような広い敷地の中にあるようだった。再訪が必要だな…。