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アンコール遺跡・フエ阮朝史跡巡覧 2014年7月12~17日

永茂陵

Lăng Vĩnh Mậu

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永茂陵

9:38。もとの小径に戻り,最後の陵を探す。ほどよく木陰があり,花も咲いていて気持ちの良い小径だ。ある民家の軒先で子どもたちがこちらを見て笑っていた。Helloと言ってきたので返してあげたが,何度もHelloと言ってくる。ベトナム語で挨拶するとゲラゲラ笑って返してくれた。多分よっぽど外国人が珍しいのだと思う。

地図によればそろそろ左手(西)に次の永茂陵に至る道が見えてきてもいいはずだが,行けども行けども民家が並ぶばかり。ちょうど前からおばあさんが来るので,場所を訊ねてみる。

おばあさんは,すれ違うときに目を合わせて笑顔を返してくれた。引き留め,陵墓のベトナム語表記を指し示したところ,何かベトナム語で言ってきた。ベトナム語は分からないが,どうやら行き過ぎたようで,後ろの方を指さしている。おばあさんは「案内するからついてこい《と言っているようだ。しかし申し訳ないので,ok,thank youと言いながら手で制止するジェスチャーをし,「案内は大丈夫だ,一人で行く《ということを伝えた。

それが伝わったのか,おばあさんは近所のおじさんに何か話している。その会話の中でLăng Vĩnh Mậuという音が聞こえたので,おじさんに案内を頼んでいるようだ。その上でおばあさんは「この人についていけ《というようなジェスチャーをしたと思ったので,おじさんについていくことにした。

なんと家の裏庭のような林を歩いて行ったところに陵墓があったのだった。これでは見つかるはずがない…。入り口は先の方にあるようだ。

陵墓の手前に竹で作った柵がしつらえてあるのが見えた時から,おじさんは柵までは案内し「済まないがこれ以上入って欲しくないので,ここから見学するだけにしてくれ《と言うのかと思っていたが,おもむろにおじさんが柵をまたいで越えようとしたので,申し訳ないと思って慌ててokと言って制止し,ジェスチャーで「ここからは一人で行く《ということを伝えたところ理解してもらえた。おじさんに感謝して柵を越えて行く。

外国人に自由に柵を越えさせるのだとしたら,もう柵をしつらえた意味など無いではないか…。

柵を越えて陵墓へと向かう。横側から。

これが永茂陵Lăng Vĩnh Mậu。広南阮主6代目義王Nghĩa Vương阮福溙Nguyễn Phúc Thái英宗Anh Tôngの孝義皇后Hiếu Nghĩa Hoàng hậu宋氏嶺Tống Thị Lĩnhの墓だ。

狭い拝庭は石畳になっている。土が少し溜まってはいるが草はほとんど生えていない。

正面から。やはり扉はなく,先に屏風がある。

屏風の先は背の低い草で覆われていた。しかも中の囲みは一部が崩壊している。

内部も少し寂しい。

9:48。これで天授陵のあたりで観るべき陵墓は終わり。あとは浮き橋に戻るだけだが,実はここからが大変だった。はじめは大した距離では無いだろうと高をくくっていた。

河の方向へとずんずん進むと看板を見つけた。地図中の赤は,このあたり一体の陵墓の位置を示している。世界遺産のマークがあるので,それらの陵墓もれっきとした世界遺産であることが分かる。フエの歴史的建造物は1994年に,ベトナム最初の世界遺産に登録されたが,20年が経過した今もまだまだ観光客を受け入れる体勢には完全にはなっていないことが分かる。まずはあの河に立派な橋を掛けて車で訪問できるようにしないといけないだろう。

今朝,この門をバイクタクシーでくぐったことを覚えている。この道で合っているようだ。それにしても気になる門だ。

橋への方角を確認するため,民家の軒先で涼んでいた人たちにiPhoneのGoogle翻訳でベトナム語で橋を意味するCầuを表示させると,自分が思っていた方角を指し示してくれた。thank youと言ってお別れしようとしたところ「モトバイ?《(=バイクに乗せて連れていくぞ)と言ってきたのだが,やっぱり怖いのと大した距離ではないだろうと思っていたので丁重にお断りした。

河に出た。この未舗装の道路を歩く人など一人もいない。たまにバイクが通るだけだが,何台かのバイクが私を追い越し,少し先で止まって「乗るか?《と誘われた(言葉は分からないが,そういうことを言っていたと思う)。浮き橋まではそれほど距離はないと思っていたし,危ないので丁重に断った。

河に沿って道を北西に向かって歩いていけば橋に至るはずだが,ここだろうと思っていたところに橋がなかった。ここで初めて自分が見当違いをしていたことに気がついた。まだまだ浮き橋は先なのだ。悪いことに水も底をついてしまい,命に関わると思い始めた。

足取りは重く,民家の前をとぼとぼと通り過ぎようとしたところ,軒先で涼んでいた人がバイクを指差して何か言ってきた。すっかり危ないという思いは消え去ってしまい,お言葉に甘えてバイクに乗せて貰うことにした。命には替えられない。後ろに乗って走り出したところで子ども達が笑った。どうやら私は乗り方を間違えていたようだ。車輪の軸の辺りにちゃんと足を乗せる場所があったのだ。そこに足を乗せたら確かに安定した。これなら怖くない。たかが知れていると思っていた距離だったが,バイクでだいぶ飛ばしても5分はかかった。

橋に到着後,彼は私を下ろして何も言わずに帰ろうとした。私は「金くれ《と言い出すのかもしれないと思っていたので,またまた肩すかしをくらってしまった。なんだか自分が情けない…。大いに助かったので,感謝の気持ちとして70,000ドンを渡した。その金額に特に根拠はないが,まず50,000ドン札を一枚渡したところで「これでは足りないだろうなぁ《と思い,追って20,000ドン札を一枚渡したのだった。彼も英語が分からないようで,お互いに一言も言葉を交わさなかったが,彼は頷いて帰っていった。

橋を渡ったところでニンさんと再開。渡していた行程表には「川岸で待っていてください。早ければ10時頃には戻ります《と書いておいたが,現時刻は10:15。ちょっと待たせてしまったかなというところ。ニンさんは「どうだった? だいぶかかったな《と言っていた。バイクタクシーを「片道だけでいい《と言った時から心配していたと思う。