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フエの陵墓・王府祠堂巡覧 2015年3月6~10日

協和帝陵・寝

Lăng Hiệp Hòa

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協和帝陵・寝

次は協和帝の陵墓。21世紀に入ってようやく陵墓が造営されたという曰く付きの皇帝陵。ネットで情報を得た上,Wikimapiaで位置を確認したので行ってみる。阮朝皇帝の存在する陵墓は全て訪れていたので,その知らせを知って協和帝の陵墓も訪問したくなった。フエ市街からだいぶ南に降った一般人の墓地の一画にあるという。

そこでWikimapiaが指し示す場所を手がかりに霊園を調べたが,それでも見つからない。ユンさんはその辺を歩いていた子どもに聞き込みをしてくれたが,それでも分からないらしい。ネットにアクセスして協和帝陵への入り口看板や陵墓本体の写真をユンさんに見せた。しばらく探しても見つからないので,申し訳ないと思い,「ユンさん,もういいよ」と言いかけたところで,「…思い出したぞ,以前見たことがあるかもしれない」とユンさんは車に乗り込んだ。何か心当たりがあるらしい。

車は霊園を駆け抜ける。Wikmapiaが指し示す場所とはかけ離れたが,Wikimapiaが間違っているという可能性は大いにあるので,ここはユンさんに任せよう。車をゆっくりと走らせながらじっくりと周りを注視していると,「←Hiep Hoa」(「協和」のベトナム音読み)という看板が! ここだ!

14:00。松林に囲まれて建つ協和帝の陵墓。協和帝は輔政大臣によって毒殺され,在位4ヶ月で亡くなったので陵墓は造営されなかったが,つい最近になって陵墓が造られたらしい。

屏風には陶磁器片のモザイクによる縁起のよい漢字があしらわれていた。


帝廟らしく一回り小さいものの華表柱が備わっている。装飾には謙陵に見られる意匠が。


碑亭と門。松が一本だけ生えているが,造営に際して伐採できなかったものかもしれない。

碑文も。普通は皇帝の事跡を記すものだが,シンプルな墓標となっていた。

門の中。屏風と宝城。裏にも屏風があり,せいいっぱいの装飾がほどこされている。

コウモリをかたどったとおぼしきモザイク。素晴らしい。


協和帝陵を去り,フエ市内へと戻る。ちなみにユンさんの父親もこの霊園に眠っているとのことで,わざわざ墓を案内してくれた。ユンさんもグエンNguyenさんだということを墓標を見て分かった。

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