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フエの陵墓・王府祠堂巡覧 2015年3月6~10日

孝陵(ミンマン帝廟)

Hiếu Lăng

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孝陵(ミンマン帝廟)

長茂陵から再びあの新規建設された橋を渡ってミンマン帝廟へと戻る。

9:20,阮朝二代明命帝の陵墓,孝陵(ミンマン帝廟)に到着。これまで見てきた陵墓とは桁違いに広い。既に3年前に見学しているが,見落とした箇所があったので再訪することにした。

ここは観光客が訪れるフエの普通の観光地なので,ユンさんは中には入らなかった。朝食がまだ,というのでここを見学している間に食べてもらうようにした。10時に待ち合わせすることにした。

先に見えるのは左紅門。ここは正規の駐車場ではないが,歩く時間が短縮できるためかユンさんはここを選んだようだった。見学料金を払って中へ。陵墓を見るのに料金を支払ったのは久々。なお左紅門をくぐるのは初めて。3年前は右紅門から入ったはず。


水は城壁の下の暗渠で陵の内外に流れている。引いているのか排水しているのかは分からない。

この丘の上にかつて追思斎Truy Tư Traiと呼ばれる建物が建っていた。残念ながら今は基壇のようなものが残るのみ。誰も訪れることはない。ただし丁寧に案内板が建っていて,英語でTruy Tu Houseと表記されていた。3つの殿宇で,2つの2重屋根を備え,壁に囲まれ,花壇や小径を備えたという。高さは18.8m,幅は11.3mで皇帝のための書斎,祖先を祀るための建物だったとか。1840~43年に建設されたとのこと。この山はphuc am(福陰)山というらしい。


湖の向こうには,この帝廟の寝にあたる殿宇が見える。観光客はみなあそこに向かう。


私はこのまま湖沿いにかつては観欄所Sở Quan Lanと呼ばれた建物があった場所に向かおうとしているが,立ち入り禁止の赤い看板を見つけてしまった。このまま向かってもどうにもならない。おそらくあの丘の上に立っていたのだと思うのだが…。


仕方が無いので湖沿いに逆を行ってみようとしたが,有刺鉄線により阻まれてしまった…。左の林の中に,神庫Thần Khốという建物があったはずだ。不思議なのは,放し飼いにされている牛たちが有刺鉄線の向こう側で休憩しているということ。どうにかしてあそこまで行けるはずなのだ。牛がいるあたりの丘の上には,かつて虚懐榭Hư Hoài Tạという四阿のようなものが建っていた。

仕方がないので他の観光客と同じルートを辿って反対側からアプローチできないか探ってみる。

なんらかの建造物の基壇があった。


反対側から牛の居たところにアプローチしようとしたが,またしても阻まれた。立ち入り禁止の赤い看板は見えるのだが,その手前に世界遺産のマークの付いた案内盤があるのが不思議だ。


牛の居た方は諦め,今度は湖の反対側を目指してみる。新月池の東湖畔を北へ。左手の方へと延びる階段がある。


ここには迎涼館Tuần Lộc Hiênという建物があったはず。


この丘の上には霊芳閣Linh Phượng Cácがあったはず。


魚釣亭Điếu Ngư Đìnhという四阿。


湖越しに観欄所があった丘を眺める。ズームしてみると碑と世界遺産マークのついた案内板がある。気になるなぁ。


もう一つの暗渠。柵があるので排水路だろう。


陵の外に出た。


正門のさらに外には屏風があった。


暗渠の出口。


10時にユンさんと合流。しっかり朝食を食べてきたらしい。駐車場から出ようとすると,他のベトナム人に私の行程表を見せて話していた。会話の内容は想像できる。「凄いところを観てきたんだぞ」というところだろう。だから彼にit was a hard wayと言ったら,彼も笑っていた。おそらくユンさんと同じような仕事をしているんだろうな。乗せてきたお客さんを待機中なのだろう。


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