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フエの陵墓・王府祠堂巡覧 2015年3月6~10日

皇子景陵

Lăng Hoàng tử Cảnh

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皇子景陵

引き続き思陵(ドンカン帝廟)周辺の陵墓を探索する。ユンさんに説明して,まずは昨年訪れた思陵の南200mに位置する聖恭陵(現在正式名称が思明陵lăng Tư Minhであることが判明している)に車を回してもらう。

聖恭陵の裏側に回りこむ。上の写真中央には,思陵の華表柱が遠くに見える。衛星写真によると,聖恭陵と思陵の間に広がるこのフィールドの中に3つの陵墓が存在し,未訪の2つの探索が今回の目的。


それら2つの陵墓に到る道はなく,このフィールドをどうにか歩いて行かねばならない。見た目には真っ平らだが,実際には細かい高低が連続しているうえ,膝までの丈の苗木や草などが生えていて非常に歩きにくい。ユンさんは疲れているのか,もはや付いて来なかったので「車をドンカン(ドンカイン帝廟)に回しておいて」と伝えて単独で探索した。ちょうど南中時間が近づいていて,太陽の照りが厳しい。比較的気温の低いこの時期じゃなければ無理だと思う。この時期でもかなりバテた。

11:10。ようやく辿り着いたのは,アーチ門の無い陵墓。聖恭陵から北北西に150mほど。

「英睿皇太子之寝」とあるので,嘉隆帝の長子阮福景に間違いない。皇子景陵Lăng Hoàng tử Cảnh。彼は嘉隆帝の世継ぎとして期待されていたが夭折し,嘉隆帝の死後は四子が明命帝として即位した。阮福景が皇太子であったのは事実なので,陵墓にその旨が記されているのだろう。しかし先ほど見てきた明命帝の陵墓と比べるとかなり見劣る。皇太子といえども実際に即位しないとこの程度なのか。今朝観た海東郡王陵にもアーチ門は無かったし,広南阮主とその妃・阮朝皇帝とその妃の陵墓でもなければ,アーチ門は備えられないのだと思う。


屏風には麒麟の装飾が綺麗に残っていた。皇太子というと麒麟のイメージがあるような気がする。この裏側には何も無かった。

一番外側にも囲いがあり,ちゃんと残っている。


おそらくはかつて階段があったであろう跡がある。ただし,その先は現在通れる道に繋がっていない。


宝城。なぜかこちらにも「英睿皇太子之寝」との碑がある。裏の屏風には二頭の麒麟。


このあと未訪の陵墓が1つ残った。ここ皇子景陵から100mと離れていないはずなのだが,全く視界にない。進むべき方向さえ分からない状態で無闇に歩くと危険なので,今回も諦めることにした。2年連続で諦めることになってしまい非常に残念だ。

なお,昨年この未訪の陵墓を当初は皇子景陵と勘違いし帰国後「安化公陵」としたが,それもまた誤りで,その後数ヶ月後に調べ直したところ本当は永泰陵ということが分かった。そして昨年「思陵付近の陵墓1」と名称不明の陵墓として訪問したのが安化公陵だったのである。2015年12月の時点で再訪を決め,2016年2月に永泰陵探索に挑戦するつもりである。

皇子景陵から50mほど歩いて思陵まで到着。約束通りユンさんが車を回してくれていた。なお思陵の修復はまだ完了していないようだったが,門は完成しているようである。


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