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フエの陵墓・王府祠堂巡覧 2015年3月6~10日

成泰帝/維新帝・寝

Lăng mộ Thành Thái, Duy Tân

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成泰帝/維新帝・寝

郊外の探索は終了。フエ市内へと戻るまで少々時間があるうえ,次のはユンさんも知っているところなので,ナビゲートも必要ない。行程もだいぶ進んでいるし終わりに近づいているので,良い休憩時間になった。次第に信号機も現れ,とうとう郊外から戻ってきた。今後は場所もはっきりしているところばかりを訪問するので,気が楽だ。

バイクがけたたましく走るduy tan通りに入った。郊外とは全く雰囲気が違う。ここではタインタイ(成泰)帝やズイタン(ユイタン)(維新)帝などの墓を探索する。これらの阮朝皇帝はまともな陵墓がない。一般人と変わらないような墓しかなく,昨年も墓地を探索しようとしたが,入り口に鍵が掛けられており進入できなかった。時期が変われば開いていることもあるのではと期待したが,やはり進入不可の墓地のようだった。しかたないので,デジカメを取り出してめいっぱいに光学ズームして碑文などを読み取る。ちなみにこれまでほとんどiPhoneで撮影してきた。デジカメよりもずっと良い写真が撮れてしまうからだ。GPS情報なども自動的に記録されるため,どこで・どの方向を向いて撮影したのか分かるのも都合が良い。

地図中央の道に囲まれた領域が陵墓群となっている。

ズームで撮影した碑によって,維新帝の墓であることが分かった。碑文はクオックグーであり,1987年4月とある。

碑には「前皇成泰亗尊寝」とあり,「甲午年仲冬吉日」とある。つまりタインタイ帝の墓。

クオックグーではあるが,最初の名前の部分までを漢字に復元すると「皇朝成泰/皇長子/永琰」となる。つまりタインタイ帝の三子である阮福永珍Nguyễn Phúc Vĩnh Trân。三子なのに「皇長子」なのは,長子阮福永琰Nguyễn Phúc Vĩnh Diễmが生後3日で,次子阮福永玲Nguyễn Phúc Vĩnh Linhが4日後に死亡したからだと思われる。実質的に三子の彼が皇長子扱いなのだろう。写真が碑の上に掲げられている。

阮福永珍と同じような碑であるが,「皇朝成泰/皇長子」とあるのが不可解ではあるが,名前がNguyễn Thị VânとミドルネームがThịなので女性で,タインタイ帝の后妃だろう。

中央に「維新老母阮氏亗基」とある。「基」はおそらく「墓」の間違いだろう。上に「越南共和」とあり,つまり阮朝滅亡後に造られたものと思われ,漢字を適切に使える人が少なくなってしまっていたのだろう。「丙申年正月吉日造」とあるが,1956年に造営されたことが分かる。埋葬者は素直にズイタン帝の生母でタインタイ帝の母である阮氏定であろう。

こちらは「皇朝成泰/皇十九子/Vĩnh Hòe」とある。Vĩnh Hòeは「永槐」と復元できるが,タインタイ帝の息子にそのような名を持つ人物を見つけられない。Vĩnh Quêの間違いならば阮福永珪だが,十子なので合わない。

「盛*皇帝黄貴妃阮家氏之尊寝」とある。二文字目が分からないが,「成泰皇帝」を「盛泰皇帝」としてしまったのかもしれない。「成」と「盛」は声調は違えど音は同じ。タインタイ帝の皇貴妃に阮氏Nguyễn Thị Vân Anhがいる。「皇貴妃」を「黄貴妃」としてしまったのならば,彼女の墓ということになる。とすると,先ほどのNguyễn Thị Vânの墓とバッティングしてしまう。

こちらはこれがズームの限界だが,かろうじてmai thi vanと読めるので女性だと思う。ただし誰かは分からない。


いくつか並んでいるが,碑が読めるものだけズーム。「皇朝成泰/皇子第十三亗基」とある。タインタイ帝の十三子ならば阮福永瑀Nguyễn Phúc Vĩnh Vũであろう。

墓碑が撮影できたのは以上のみ。車に乗り込み次へ。


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