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フエの陵墓・王府探索 2016年2月18~23日

ダナン博物館

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ダナン博物館

7:55,ダナン博物館着。元々砦だったところに建つのが興味深く,今回の行程に加えた。下の地図で見るとよく分かる。

非常に立派なビルのすぐそば。TRUNG TÂM HÀNH CHÍNH THÀNH PHỐ ĐÀ NẴNGという名前のようだ。「ダナン行政センター」だろうか。ウェブサイトは日本語に切り替えられるが,本文はベトナム語のままなので詳細は不明。エントランスにはベトナム共産党のシンボルマークがある。

自転車でやってくると,博物館の入口付近に警備員が立っていた。視線を合わせると,ベトナム語でなにやら言っている。指した指の方を見ると,バイクや車が地下へと入っていっている。「park」と聞こえたような気がしたので,おそらく地下の駐輪場へ駐めろと言いたいのだろう。だけど博物館に入るのにわざわざ地下の駐車場へ駐めたくない。たぶん立派なビルに用事がある人が地下へと行っていると思ったので,博物館を指さして見ると,「bao tang? @*!#?%...」と頷いたので(博物館のことをベトナム語でbao tangという),漢語「宝堂」由来の語だ。「博物館か,それなら入って中に駐めろ」と言ったと都合良く理解し,thank youと言ってしれっと博物館へと自転車を進めた。特に何も言われなかったので,さっきの理解で良かったんだろう。

博物館の敷地は五稜郭のような形になっていて,火砲による攻撃に備える近代的な城跡を利用したようだ。

今はそこにベトナム戦争時に鹵獲したと思しきアメリカ空軍のヘリコプター,またホーチミンの胸像が展示されていた。ナショナリズム発揚の場となっている。

かつて城だった時に備えられていたとおぼしき大砲が並んでいた。


名前は分からないが門が残っていた。内部は例に漏れずバイクの駐輪場になっていた。

エントランス手前の濠の中にモニュメントが。岩に文字を刻んだプレートがはまっていた。どれもđảo(島)から始まっているので(ベトナム語は後ろから修飾する),おそらくダナンの管轄下にある黄沙島県(Huyện đảo Hoàng Sa)を構成する島々を象徴しているのだろう。中国との領土紛争に対抗,あるいは対内的にはその意識を涵養するためのものか。


博物館の手前には阮知方Nguyễn Tri Phươngの像があった。阮朝の兵部尚書(防衛省大臣)で,フランスが侵略した際にダナンで軍隊を率いてフランス軍に抵抗したという。いわばダナンの守り神ということか。博物館とはいえ,その立地はもちろん軍事とは切り離せない。

ダナン博物館は8時から開館だが,時間通りではないだろうと高をくくって周囲を観察していた。先ほどから敷地内をうろうろして撮影しているアヤシゲな外国人(私)を注視しながら掃除していたおばさんが,チケットブースを指さした。「うろうろしてないでさっさとチケット買え」ってか。既に中も準備が完了しているようだった。時間通りにはいかないと思っていたので拍子抜けした。

チケットを買って中に入ると,展示物があったので近寄ってみる。すると女子職員が近寄ってきて,where are you from?と訊いてきた。tokyo, japanと答えると,笑顔でthank youとだけ言って戻っていった。外国人が珍しくて英会話をしてみた,というシチュエーションかと思ったが,博物館の職員がそんなことをするだろうか。何の意味があったんだんだろうと思いながらもエントランスすぐの展示物を見ていたら,ダナンの東方に位置するパラセル諸島(ベトナムではホアンサー諸島Quần đảo Hoàng Saと呼びダナン直轄市に属する)に関するものだった。

どうやら「昔の地図によるとベトナムの領土であり,中国の過去の地図にパラセル諸島は領土として含まれていない」ということを主張するものだった。そうか,職員は私をもしかしたら中国人じゃないか,と思って出身を訊いたんだろうな。でも本当に私が中国人だったとしたら,彼女はどういう対応を取ったんだろうか。

左は黎朝の広南の地図でBai Cat Vangと,右は黄沙渚と記されているのをパラセル諸島と解釈している。ベトナム語・英語・中国語の三カ国語表記の展示。誰に対抗しているのか,分かりやすい。

左は分かりやすい。大南一統志という阮朝の官製地誌の地図で「黄砂」とある島々が描かれていることを以てベトナム領であることを主張しているようだ。右は1938年にフランスによって建てられたホアンサー諸島の主権を示す石碑。"The French Republic - The Kingdom of An Nam, The Archipelagos of Pracels, Pattle Island 1938"と刻まれているらしい。

左は「梅金帰Mai Kim Quy」という女性が1939年に黄沙島で出生したことを証明する書類。右はオランダ人ピーターPieterによる1594年の地図で「Pracel」という文字がパラセル諸島(黄沙諸島)を示し,中部の海岸にCosta de Pracel(パラセル海岸)とある。つまりパラセル諸島はベトナムに属することを示していることを主張しているようだ。

左は1947年に出版された中国と日本の地図で,中国の領土の最南端が海南島となっている。右はアメリカで出版された1979年の中語の地図で,海南島までが中国の領土とされている。

ロシアの地図でも同様,ということだろうか。


さて博物館の内部へ入ろう。中はダナンの歴史や産業,文化に関する展示がメインとなっている。

海岸での祭祀をジオラマ化したもの。


広南省の古地図。右上の島がダナンの陸繋島。縦書きの文字(西が上)を無視して北を上にしてしまう強引さが凄い。もはや漢字の向きがどうなろうと全く気にならないんだろう。それよりも北が上でないことが気持ち悪いらしい。

これは二代目のミンマン(明命)帝の名で明命7年に出された勅書。

ダナンの土地利用図と五台山での大理石工業を示したジオラマ。現代の産業に関する展示。


ホーチミンの画像が用いられた紙幣。単位が「元」であったことが分かる。フランス発行のものも。

最後にベトナム戦争に関する展示,各国からのベトナムへの支援を象徴するような展示物があり,アメリカを非難していた。

自転車で物資を運んでいたのがすごいな…。アメリカ国内での反戦運動の様子を撮影した写真も展示。

東ドイツと日本からのベトナムへの支援を示した展示。

しかしその直後に,アメリカとは言い関係を構築している,というような「平和な」内容の展示があり,バランスを取っていると思った。たっぷり35分ほどかけて見学を終えた。

チャム族の展示も。

かなり見応えのある内容で満足した。

後は大聖堂を観てホテルに戻ろう。一方通行が多く迷ったが,なんとか教会を観ることができた。敷地外からの見学になってしまったが,教会の扉は閉じているので敷地内に入っても仕方ない。

ホテルに帰るとおじさんが「OK,OK」と言いながら近づいてきた。おそらく自転車の世話係なんだろうな。thank youと言って自転車を駐めてホテルへと入る。部屋へと戻ってトイレを済ませてチェックアウトの準備をする。

そういえば,これ,昨日ホテルスタッフがWiFiのパスワードを「12959じゃないよ,エルと2959だからね」と言っていた。suicideのスペルミスをしれっと直しているのもチープポイントが高い。kurt vonnegutって誰だろうと思って調べたらアメリカの小説家だと。「煙草は自殺を受け入れるための格調高い方法」つまり煙草の火によって死ぬのは高く付く,ということか?格好付けているぶん,スペルミスが惜しい。

自転車のハンドルで汚れた手を洗う。へえ,ベトナム語で石けんのことをxa phuongというのか。漢語ではなくサボン(シャボン)を由来とするんだろうな。

ちょうど9時頃にフロントでチェックアウト。これから五行山へ行き,その後ホイアンへと向かいたいと告げると「ホテルで車を用意できるけど?」と言われたがタクシードライバーを呼んでもらうことにした。当初私は五行山でドライバーと別れ,見学を終えたら他のタクシーを捕まえてホイアンへと向かうつもりだった。そのことを告げると,五行山でドライバーが待ってくれるよ,と言われたので,そうすることにした。

タクシードライバーがすぐにやってきて,ホテルの職員と打ち合わせ。ベトナムで信頼されているマイリンタクシーだった。メーターで払うか事前交渉にするかを訊かれた。交渉制よりメーターの方が結果的に安いという話も訊いている。問題は五行山で過ごしている間,メーターが回るのか否か。交渉制だとトラブルが多いと聞くし,言葉が通じないぶん揉めそうだ。やはり客観的に料金を提示してくれるメーターを選んだ。もっとも五行山見学の間,メーターが回っていたとしてもたかがしれているだろう。

9:15にホテルを出発。メーターを見ると「3.4」となっていた。ドンは桁が多いので,ベトナムのタクシーメーターは1,000を掛けることによって価格を表示している。桁を示すカンマはベトナムではピリオドになる。すなわち「3.4」は3,400ドン(20円)を示す。昨日乗ったホーチミンのマイリンの初乗りは11,500ドン(60円)だったので,地域によって初乗り価格がだいぶ異なることが分かる。ホーチミンが一番高そうだ。

五行山が近づいてきたと思ったら,ドライバーが「フォトショ?」と訊いてきた。まさかphotoshopのことじゃないだろうし,「写真を撮るか?」と言ったのかと勝手に理解して,OK, thank youと言ったら,大理石の土産物を売る店へと入っていった。あれ? もしかして「買い物をするか?」と言ったのか? ちょっと買い物には興味ないんだが…。中に案内されてしまったが,適当にごまかして出てくるしかないだろう。店員が寄ってきてべった付きで「お土産はどう?」とか訊いてくる。やばいな…。「えーと…ただ見てるだけ」と言ったら,他の店員が「shopping? climing?」と訊いてきた。「climing」と言ってみると,「ここは五行山じゃなくて店。買わないのならドライバーが待ってるわよ」と言ってきた。sorryと言って脱兎の如く店を飛び出て駐車場へ。お早い帰りにドライバーが笑っていた。

大理石のでかい土産物屋の駐車場。奥に見えるのが五行山の一部。左手の緑色のタクシーがチャーターしている車。初めてベトナムを旅行した際ツアー商品を利用していた。ホイアンとフエの間でこのような土産物屋でトイレ休憩をしたのを覚えている。ディベートか何かを貰えるんだろうか。ただ,大理石の土産物を買う外国人はいるんだろうか…。旅行中邪魔でしょうがないと思うんだが。


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