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フエの陵墓・王府探索 2016年2月18~23日

堅太王陵

Lăng Kiến An Vương

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堅太王陵

7:30。昨年も通った地元のローカルな道を走ってドンカイン帝廟方面へ。思陵すぐ北にある2つの不詳な祠堂。

今回は,思陵の北西に位置する堅太王陵Lăng Kiến An Vươngを再訪する。2年前には碑文とそれを収める碑亭の撮影を怠ってしまったので,その穴埋めとなる。

下の地図の中心が堅太王陵で,その正面の左右に2つの碑亭が並んでいる。

陵に向かって右の碑には,「憲祖章皇帝皇二十六子」とある。憲祖Hiến Tổ章皇帝Chương Hoàng đếとは阮朝三代目紹治帝Thiệu Trịの廟号と諡号で,その26子の堅太王Kiên Thái Vương阮福洪侅Nguyễn Phúc Hồng Caiに関する碑文だ。堅太王は帝位には即かなかったが,のちの建福帝Kiến Phúc・咸宜帝Hàm Nghi・同慶帝Đồng Khánhとなる阮福昊Nguyễn Phúc Hạo・阮福明Nguyễn Phúc Minh・阮景宗Nguyễn Cảnh Tôngの父なので,皇帝に準ずる大きな扱い(碑文・大きい陵墓)を受けている。堅太王の母は才人Tài Nhân張氏永Trương Thị Vĩnh。

なお,この碑文の日付は「啓定二年十一月初七日」となっている。

裏面には,「皇叔父」「贈堅太王諡純毅萬年天成局」とある。この陵墓の正式名は天成局Thiên Thành Cụcであるらしい。

こちらが左の碑亭の正面。かなりの装飾が施されている。割った陶器をモザイクのように貼り付けている。半分は剥落しているが,それでもよく残っている。額には「兼百行」とある。

右側面。額には「龍真天正」か。一番上の屋根の切り妻部分には龍の頭。

裏面。額には「*心助順」とある。背後が陵墓の外側の壁となっており,裏面全体を撮影することができない。

そして左側面。額は…読めない。

陵墓入口から右の碑亭を向いて撮ったもの。その先に既に訪れている不明の陵墓が見える。

反対方向にも碑亭がある。後ほど行ってみよう。このように,堅太王陵は坂を上がったところにある。

それでは陵墓の周辺を見てみよう。このとき,堅太王陵が広い外城で囲まれていたことに気づいた。同慶帝廟に付属しているように感じる堅太王陵だが,実はまず堅太王陵が造営されたのだった。父を祀ろうとして追思殿を造営していた同慶帝だが,完成前に病死したため,その追思殿が同慶帝の寝となったのだそうだ。

また,内側の城壁の少し外側に基壇が広がっていることが分かる。

松林となっており,小さな祭壇のようなものも附属していたことも分かったが,残念ながら文字資料はなく詳細は不明。

外城の陵墓背後にあたる部分にも屏風があった。3人の皇帝の父の陵墓だけあって,帝位に即いていない宗室の陵墓としては破格な扱いを受けている。

堅太王陵の背後から。

いつ来ても誰もいない陵墓だが,かなり絵になる陵墓だと私は思う。

ついでに埋葬者不明の陵墓も遠巻きに見た。


左の碑亭,前面から。額には「顕天親」とある。この「親」とは3帝にとっての親である堅太王のことを指すのだろうか。入口両側には,人を象ったモザイクがよく残っている。左億には「進入禁止」の看板が立っている。

右側面。額の上には馬や何かに乗って立っている人物がモザイクによって象られている。これは八仙のうち張果老(ロバに乗る)と曹国舅(水の上に浮かぶ)の2人ではないだろうか。

左側面。

裏面。額には「帝位延長」とある。帝位が長く続くように,という祈りだろうか。額の上には,やはり仙人らしき2人がある。右側は上半身が裸のひげ面なので漢鍾離(太った腹をさらす)だと思う。左は呂洞賓か。

ついでに思陵本体も再訪し,その背後で祭壇を発見した。「后土氏之神」とあり,いわゆる后土神という地霊を祀ったもの。おそらく堅太王陵でも見かけた祭壇も后土神を祀ったものだろう。


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