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フエの陵墓・王府探索 2016年2月18~23日

ホイアン歴史文化博物館

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ホイアン歴史文化博物館

16:15。チケット制ではないホイアン歴史文化博物館にやってきた。街中で夕食を食べるまで街歩きをしないといけないが,疲れ始めた…。18時過ぎくらいに食べられればいいが,2時間も時間がつぶせそうにもない。斯くなる上は1時間早めて17時に食べ始めてしまおうかと思うが,あと45分をつぶすにも困りそうだ…。

入ってすぐ,年配の女性からいきなり「階段で上に行け」と言われて困惑した。何かの勧誘かと思い非常に警戒してしまい「あんたは誰だ?」なんて訊いてしまったが,博物館の職員だと知って納得した。失礼した…。

古地図の変遷に関する展示。ホイアンが1番ではfaicfoと,2番はhaiso,3番・4番はhaifoと記されている。これらはいずれも17世紀にフランスで作られたもの。来遠橋の内部に吊されているぼんぼりには,ホイアンの古い名称「フェイフォ」がカタカナで書かれているのと一致する。


続いて古銭。ベトナムの銅銭,中国の銅銭,そして日本の銅銭が展示されている。ホイアンには,かつてこの三カ国の人が入り乱れていたことが分かる。なお中国の銅銭として展示されているもののうち,清朝のものは康煕・乾隆通宝の二つ,日本の銅銭として展示されているのは寛永通宝二種だ。


「昭和三年」の年号が刻まれた石碑。「文学博士黒板勝美教授」というのは,歴史学者であるらしい。彼の提唱によって墓所が修築されたこと記している。1647年に造られた日本の商人タニ・ヤジロベイの墓だという。


また歴史地図。今のホイアン,「会安」と記されている。


うーん,まだ16:30。15分しか滞在できなかったってか…。

明郷仏寺。まだまだ夕食の時間は早いので,辺りをうろうろするしかない。


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