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フエの陵墓・王府探索 2016年2月18~23日

王府祠堂巡り

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王府祠堂巡り

14時。ここからしばらくはフエ市街地の北東部をめぐろう。ここはフォン河や堀に囲まれた土地。

このエリアには阮朝皇族を祀る祠堂が特に集中しており,去年も自転車で巡ったが,見落としがあったことが分かり,今回再訪することにしたのだった。

香河にかかるドンバ橋Cầu Đông Baを渡る。登りが急で自転車を押して進む。

まずは橋を渡ってすぐにNguyễn Du通りに入る。

額に「宜国祠門」とあるど派手で劣悪な門を見つけた。これも王府だろう。柵に洗濯物がかかっていて生活臭を感じる。内部には「福祥寿」と刻まれた屏風。しかしその左右には柵で閉じられ,祠堂には行けない。疲れているので,この距離で見学を済ませてしまった。

封号の一部に「宜国nghi quốc」を含むのは,宜国公Nghi Quốc Côngに封じられた紹治帝の第6子である阮福洪傃Nguyễn Phúc Hồng Tố。生母は貴人Quý nhân呉氏春Ngô Thị Xuân。

Chùa Ông通りで見つけた王府らしきもの。奥には屏風もあるし,劣悪とはいえ祠堂らしきものもある。ただ,ここが誰の王府かは不明のまま。

Nguyễn Du通りに戻って次の王府。門の額には「安福郡王祠」とある。屏風の正面には麒麟が。

屋根の上には2005とある。ど派手でやはり劣悪な祠堂。安福郡王An Phúc Quận Vươngとは紹治帝の第10子阮福洪健Nguyễn Phúc Hồng Kiệnで,生母は良妃Lương phi武氏媛Vũ Thị Viênである。

Cao Bá Quát通り12番地で見つかった,額に「建豊郡公房」とある王府。「建豊郡公」は阮朝の宗室に見当たらない封号。

続いてフォン河を渡ってNguyễn Sinh Cung通りで見つけた祠堂。「定遠府」とあり,今までの王府とは趣きが異なる。門の左右には「南国王朝封定遠」「北河御駕賜親臣」とある。「南国王朝」とは「大南」と号した阮朝のことだろう。奥の祠堂も,これまでの劣悪に復元されたものとは異なっている。

嘉隆帝の第6子である阮福昞Nguyễn Phúc Bínhならば,定遠郡王Định Viễn Quận Vươngに封じられている。

頼世亭Đình Lại Thế。このあたりの社。素晴らしい建築だと絶賛されている亭の一つ。…なのだが,疲れてしまっていたのか,祠堂を遠巻きにしか撮影しなかった…。悔やまれる…。

Nguyễn Sinh Cung通りに戻って南下していたら,88番地くらいで見つけた王府。めんどくさくなっていて,道を横断することなく通りの反対側から撮影してしまっている…。額に「建祥公府」とある。建祥公Kiến Trường Côngは明命帝の第36子である阮福綿官Nguyễn Phúc Miên Quanの封号。生母は婕妤黎氏愛Lê Thị Ái。綏理王と同母兄弟となる。

Nguyễn Sinh Cung通りを南下しきって,Hàn Mặc Tử通りへと入ったところで,脇道の奥に門があるのをめざとく見つけてしまった。これこそずっと探していた「建安王祠」だ。建安王Kiến An Vươngは嘉隆帝の第5子阮福旲Nguyễn Phúc Đàiの封号。生母は順天高皇后Thuận Thiên Cao Hoàng Hậu陳氏璫Trần Thị Đangで,明命帝と同母兄弟である。

王府の内部はこんな感じ。特にコメントすることもない。

この後まだまだいくつか巡ろうとしていたが,だいぶ疲れてしまったのと,交通量の激しさに参ってしまい,今回はここまでとする。山奥の中にある公主廟,市街地から離れた寺院,ファンボイチャウ記念館なども予定していたが,ばっさりとパスすることにした。本来の目的である陵墓巡りは終わっているし,もともと行きたいと思っていたところでもない。埋め草的に入れたまでの場所が多く,再訪したときにでも行くことにしよう。

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