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フエの阮朝史跡探し 2018年2月27~3月4日

名称不明の陵墓

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名称不明の陵墓

Cơ Thánh通りに出て東方向へと進む。

16:13,南側に水田が広がる…と思ったら,水田にしてはずいぶんと灌水してしまっている。ひょっとしたら陵墓に付属することも多い月湖ではと錯覚してしまう。このあたりはあまりひと気がない。


ひたひたの水田の向こうに思わせぶりな丘が見える。そこに向かってやや大きめのあぜ道が延びている。事前調査ではスルーしていたが,あの丘の上に何かがありそうだ…。


上記衛星地図からすると,確かにいくつかの墓があることは間違いない。遠目だが人工物があるのは確認できる。左の写真は丘の上の部分を拡大したもの。ただ,それらが果たして阮朝宗室の陵墓なのかは確信を持てない。既に16時を過ぎているうえまだ先があるし,これ以上遅れると帰り道が真っ暗になりそうなので,とりあえず今回はパス。


少し進んだところで猟銃を持ったおっさんが私の行く手をさえぎって,この先の道を指挿し私に「No,No!」と繰り返していた。いったい何の意味があってかは分からなかったが,すぐ先に陵墓があると確信しているので,申し訳ないが先へと進ませてもらう。銃を持っているし,周囲にはひと気もないし,日も暮れはじめているので少し怖かった。

ほどなくして道の様子が変わった。舗装する予定だったのが,ほったらかしにしてしまったのか,雨季にどろどろになって轍の趾で走りにくくなってしまった道が1km程度続いていた。…そうか,さっきのおっさんの意図がやっと分かった。こうなって走りにくくなることを教えてくれていたんだな…。おっさんの気持ちはありがたかったと思うし,優しさに申し訳ないと思ったが,無視して進まなければ見つからない陵墓もあった。


16:18,上記地図で分かるように,ぐにゃぐにゃ道から北へ100m進んだところにこれぞ陵墓だろうというものがあり,自転車を置いて歩いてみる。私が自転車から降りると,家から男性が出てきて徐々に近づいてきた。彼の表情には緊張感がみえるので,こちらも緊張する。とりあえずあなたを侵犯するつもりはないんだよ,ということを伝えるため,探している陵墓の方角を指挿してさっさと歩みを進める。

これは間違いないな。宗室の陵墓にありがちな囲いがある。


陵墓へのアプローチは幅広くとってある。ただし中央に石が積まれているのが不可解。進入を拒もうとする意思が働いているのか? 右は登りきってから上から撮ったもの。


外側の囲いの門を入ると屏風があった。屏風には何らかの彫刻が施されていたりするが,それはすべて落ちてしまっているようだった。この古さは間違いない。


内部は荒れきっている。手入れは一切為されていないようだった。埋葬者の名が刻まれた銘板が立っていたりするものだが,そういったものは一切ない。文字資料はなかったため,この主が誰なのかは不明のまま。

今回,慶美郡公陵と綏邊郡公陵という阮朝宗室あるいはその家臣の陵墓を見つけているが,クォックグーによる銘板があったり,比較的新しいものだったので,名称不明とはいえども歴史ある陵墓を見つけることができて良かったと思う。

史蹟探しを終えて自転車に戻ると,先般の男性が警戒した様子でこちらを見つめていた。where are you from? と。え,コミュニケーション取りたかっただけ? 日本から来たことを伝えると,とたんに笑顔になってJapan,good,goodと返された。自分のせいでJapanの評判を落とさないように,品位ある行動をしなければと思うばかりだ…。

なんというか,ベトナムの人は鷹揚に見えて,割と「ここまではよそ,ここからは自分のところ,だから入ってくんな」という縄張り意識が強いように思う。もっとも得体の知れない外国人にウロウロされて気持ちの良い人は日本にだっていないし,その気持ちは当たり前だろうとは思う。人によりけりなので嫌がっている人には無理を強いないようにと気をつけたい。基本的にベトナム人は優しくて良い人たちだ。だからこそ彼らを困らせたくはない。

1kmほどはこういう道が続いた。