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フエの阮朝史跡探し 2018年2月27~3月4日

紹治帝廟周辺

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紹治帝廟周辺

3/1,ベトナム3日目,フエ2日目。今日もフエの史跡探し。元気に走り回るためにも朝食をしっかり取らないと。

プールの先に朝食会場がある。22℃と気温が低いし,まだ6:30なのでさすがに西洋人もプールには入っていない。



朝ご飯はブッフェで。蟹出汁のブン。蟹肉の薩摩揚げ,トマト入り。


当初朝食付き三泊を予約したら34,563円となった。その後朝食なしだと23,522円まで下がることに気づき,こちらに変更したのだった。その差額は11,041円で,朝食一回分が実に3,680円となり,日本のホテルでも高いと感じる価格であり,ベトナムとの物価差を考えるととても理不尽なので,ルームサービスでアラカルトで注文して朝食に替えようとしたのだった。しかしながら,実のところルームサービスは10時からスタートということで,朝食として利用することはできないことにここに来てから気づいた。かといって朝食を抜くわけにもいかず,ブッフェを利用することにしたのだった。ただしブッフェ一回1,700円とのことで,差額1万の謎は深まるばかり…。

すっかり昨夜すべきだった洗濯を急いで行う。結構体力を使う。洗うより脱水のために絞る作業が大変だ。洗濯機の脱水のようにはいかず,かなり水分を含んだ状態で干さざるを得ない。乾くかな…。乾燥させるんだったら外に干したいが,リゾートホテルなのでバルコニーに干すのはためらわれるなぁ。

8時少し前に自転車を借りて出発。今日は一日の予定で借りたが,行程上おそらく14時あたりには終わり,ホテルに戻れるのではと思う。今日はホテルから西・北方面を巡る。

ホテルを出てすぐのところでGoogle Mapsで確認していると,近くの家の人がwhere to go?と訊いてきた。とりあえずティウチ(紹治帝廟)と答えると,この道をまっすぐだ,と教えてくれた。

ちょっと気になる外観。


ただ,レストランにしては看板の類がないし,Google Mapsでも確認できなかった。

陵墓ではなさそうだが,衛星写真で人工的な方形の建造物の存在を確認している。

どうにかアクセスできないかと道沿いを注意深く見ていたら怪しい入口を見つけたが,しっかりと閉じられていた。これは諦めるしかないだろう。他に入り口らしい入り口はなかった。


8:10,紹治帝廟までやってきた。写真はその入り口に位置する月湖。帝廟の中でもかなり大きめの月湖だ。


紹治帝廟は北西側に入り口がある。つまり殿宇が北西に向かって建っている珍しい帝廟。メジャーな帝廟でもなく,一度過去に訪問したことがあるのに再訪したのは,衛星写真で帝廟内部の湖の東端に小さな建造物を見つけたため。帝廟の外周に付随する建造物があったりするものなので,期待していた。入り口から湖に沿って東へ進んでみる。

月湖と帝廟本体の中間に建つ巨大な屏風。さてここから東へ。左の写真の右端に橋が架かっているが,これを渡ると外へ出てしまうので渡らない。


橋をスルーして月湖へ繋がる水路に沿って進む。この先に目指すものがあるはず。


いきなり柵に遮られたと思ったら,地図と一致する目的の場所にはなんと民家が…。ここも空振りだ…。


来た道をとぼとぼと歩いて戻る。帝廟はふつうその領域を羅城に囲まれているので,内外の別が判然としているものだが,この帝廟には羅城がなく(元々あって今無いのか,元々無かったのかは分からない),ぼんやりと外と接続してしまっているのだった。


ちょっと寂しいので,帝廟の西側に位置する寝部分の入り口だけ撮っておく。曇天であるのと早朝なので暗い。逆光なのもマイナス。あまり良くない写真だ。とことんうまく行かないな…。


寝部分の西にまた怪しげな建造物を見つけていたが,これも民家だった…。


寝部分の屏風。こちらは月湖の先に建っている。


紹治帝廟の奥,Lăng Xương Thọ(Google MapsではLang Tho Xuongの名で登録されているが,漢字表記は「昌Xương寿Thọ陵」なのでLăng Xương Thọが正しい)のさらに南側にごちゃごちゃと色んなものが見える。その中で,傾いた方形の人工物が確認できている。それを畦道のようなものが突っ切っているのが不審だが,畦道は帝廟から細々と延びている。怪しいなぁというものを「陵墓ではありませんでした」と確定させるのも大切なので,行ってみる。

これが方形の正体。一番前に立像があるし奥に沢山の墓が並んでいるので,阮朝宗室の陵墓ではないし,その他史的陵墓でもないだろう。


畦道を挟んで向かい。こちらはより小ぶりの墓が並んでいる。碑亭には華美な装飾が施され,柱には龍のようなものが刻まれているが,碑文にはクォックグー。書かれていることも経典の文句のようなのでやはり陵墓の類ではない。この周囲に一般人の墓が並んでいるのもマイナスポイント。うーん。


写真を撮っていたら,バイクで来た女性とすれ違った。すれ違いざまにhelloと言われた。外国人がこんなところまで来ているのは珍しいんだろうなぁ。

来た道を戻る。昌寿陵を横目に自転車を押していく。北西方向へと向かう。


8:55,線香を作る村に来た。ツアーによってはここを見学するらしい。


フエ観光のハイライトたる嗣徳帝廟のすぐ西側,南北に延びるHuyền Trân Công Chúa通り沿いに線香村はある。フエには何度も来ているが,その場所を初めて知った。付近はかなりローカル感がある。

Huyền Trân Công Chúa通りから小道に入り,さらにローカル感がアップした場所。

上記地図の中央,道が分かれているところに何かありそうだと踏んでいたが電気施設だった…。


少し救いだったのがこの堂宇。文字資料はまったくないが,土神を祀るためのものだろうか。堂宇は新しめだが,建て替えられたのかもしれない。


何かあると思ったところは壁に阻まれて様子さえ伺うことができない。隙間を見つけたので中を覗いてみたら,建てかけの建造物が…。空振りが多いなぁ。


今日はまだこれといったものを探し出せていない。既に1時間を費やした。そろそろ何かないかな…。