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フエの阮朝史跡探し 2018年2月27~3月4日

瑞太王妾第七房陳氏寝

trấn thị

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瑞太王妾第七房陳氏寝

さらにひと気のないところへ進む。

10:36,一般人の墓の中に方形のひときわ大きい人工物を見つけた。

これはいかにもな…。阮朝皇族に関するものでなくても歴史があることは間違いない。


銘板一行目には「阮福一族」とある。まさに阮朝皇族に関するものであることを示している! 二行目は「phòng thoại thái vương」とあり「瑞太王の房」とある。房phòngというのは,皇帝の息子つまり王の後宮のことではないだろうか。瑞太王は紹治帝の第4子阮福洪依Nguyễn Phúc Hồng Yのこと。三行目がここに葬られている人の名だろう。「đệ nhất phú thiếp trấn thị」とある。最後の「trấn thị」は「陳氏」だろう。「thiếp」は「妾」で,陳氏という女性の後宮における位を示している。あまり高い身分ではなかったようだ。調べてみると,妾で陳氏なのは2人いる。「府妾第一姬陳氏娥Trần Thị Nga」か「府妾第七房陳氏」。「đệ nhất」は「第一」だろうから,前者ということになろう。


四行目は陳氏娥の諡たる「端淑Đoan Thục」とphu nhân夫人であることを示している。五行目「thân mẫu cưa vua dục đức」は「育徳帝の母親」とある。…え? 陳氏娥には子はなかったはずだし,育徳帝の母親なのは瑞太王の正室である黎氏應Lê Thị Ứngなのだが…。

最も大きく,かつ重要だと思われる三行目には「trấn thị」とあり,陳氏の墓であることを示しているが,五行目にはそれに反する情報,「育徳帝の母親」とあって互いに矛盾する。うーん。とりあえずこの陵墓を探索しよう。

ところどころ崩れていて,煉瓦が見えているが,それだけに当時のままではないかという思いを抱かせる。タイル式の装飾も見受けられる。


屏風表側には,なんらかのタイルによる装飾があることが分かる。翼のようなもののようなので,おそらくは鳳凰だろう。陳氏だろうが黎氏だろうがここに埋葬されているのは女性であることは間違いない。


内部は意外にもコンクリート床になっていた。手が入っていないわけではない。


碑亭があって,その中には漢字による銘板が。これではっきりするだろう。「顕妣建瑞郡王府府妾第七房陳二娘諡荘順之寝」…。日付は「成泰六年十月二十八日」,これを据えたのは「孝女 善念善男仝拜立」とある。


まず「建瑞郡王Kiến Thụy Quận công」というのは,阮福洪依が死没時(1877年)に嗣徳帝から贈られた封号である。「妾第七房陳」は,阮福洪依の妃のひとり第七房陳氏のことであり,「荘順」は第七房陳氏の諡である。

右の行「成泰六年」は陳氏の死没年(1894年)にあたる。左の行には「孝女善念善男仝拜立」とあり,2人の娘である善念と善男が立てたというのである。確かに阮福洪依の娘にそのような名の者がおり,善念は文学者である葉文疆Diệp Văn Cươngに嫁いだ。なお入り口の銘板にある「瑞太王」というのは,成泰九年に贈られた封号であり,六年の時点では「建瑞郡王」であって矛盾はない。

入り口のクォックグーによる銘板が,瑞太王第一妾陳氏娥と瑞太王正室黎氏應との情報を混ぜているが,矛盾がなく実の娘たちによる当時の銘板を信じるべきで,この陵墓は瑞太王(建瑞郡王)妾第七房陳氏のものであると結論づけていいだろう。

とにかく,ようやく皇族にちなむ陵墓が出てきたのは間違いない。ちょっと気分が晴れた。