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フエの阮朝史跡探し 2018年2月27~3月4日

七階貴人黎氏禄

Lê Thị Lộc

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七階貴人黎氏禄

10:56,また史的陵墓とおぼしきものをあっさりと見つけた。外壁は煉瓦が見えており,割と古そうだ。ここからだと他とあまり様相は変わらない。入り口は奥のようだ。


入り口のほうへと周りこんでみると,新しめの小さな墓が付随していた。外壁にぴったりとくっついていて,これはかなり俗悪だと思う。


さしあたり大きい方を先に見てみる。後世に取り付けられた柵には残念ながらカギがかかっており,内部を探索することはかなわない。2011年にはめ込まれた銘板には「lăng đức từ lê thị lộc」とある。「lê thị」というのはおそらく「黎氏」で宗室の妃の墓なのだろうと思う。


下の小さな文字は「phòng phong quốc công trùng tu mùa thu năm tân mão」で,phong quốc côngは豊国公であろう。「豊国公房」ということで,豊国公の後宮の女性がここに葬られているということを示している。「trùng tu mùa thu năm tân mão」は完全にベトナム語で「陰暦辛卯年秋十月に修復した」とある。辛卯というのはつまり2011年のこと。

では豊国公とは誰か。明命帝の第55子,貴人黎氏禄Lê Thị Lộcの次子として生まれた阮福綿𡨊Nguyễn Phúc Miên Kiềnとのこと。この墓は明命帝の妃のひとり,七階貴人の黎氏禄の埋葬地のようだ。

屏風に装飾されているのは鳳凰か。であれば女性が埋葬されているということなので,黎氏禄の墓で間違いないようだ。門には文字資料なし。


内部は典型的な造り。内壁に弾痕がある。碑亭があるので,内部に漢字資料があるかもしれない。内部の屏風内側に銘板が立っている。ここからでは全く判読できず。


後回しにしていた小さい墓のほうを見てみる。「先朝皇子第六十四之墓」とある。どうやら明命帝の第64子の墓のようだ。封号のない黎氏禄の子というと,阮福綿寓Nguyễn Phúc Miên Ngụ。15歳で死没したそうだ。


もう一つ小さな墓を発見。手前の祭壇に埋め込まれた銘板には,生没年として「1878-1931年」が刻まれている。「công tôn nữ thị cấu」はよく分からず。「nữ」や「thị」で女性が埋葬されているのではと推察される。奥の銘板は漢字のみ。「己卯年二月二十六日」「皇朝鎮邊郡公房公孫女夭號此二之墓」「親弟【イ至】仝奉立」とある。まず鎮邊郡公は明命帝第51子で黎氏禄所生の阮福綿寈Nguyễn Phúc Miên Thanhのこと。彼の妃のひとりということだろうか。己卯年は1879年だろうか。


内部を探索できないのが名残惜しくて,最後に振り返って一枚撮った。