延慶王陵
3/3,最終日の朝を迎えた。
今朝も霧が発生している。去年も朝は霧だったので,この季節はこういう気候なのだろう。10時には30℃となる予報。暑そうだな…。
7時,ブッフェで最後の朝食を頂く。ブンボーフエ。相変わらず美味しい。
プールサイドには胡椒の木が生えていた。
8時になったので自転車で出発する。最終日の今日は,ホテルの南側・東側を巡ることにする。
8:15,とある寺院。南無阿弥陀仏と書いてあるので浄土系の宗派だろうか。どこからともなく読経の声が聞こえる。朝のお勤めだろうか。
上記地図中央の黒い方形の人工物が陵墓ではないかと思っている。この寺院の裏手にあり,寺院の周囲をぐるぐると見て回ったが,方形へとアクセスできる道がないため,寺院の境内を突き抜けることができるのではと期待していた。
本堂を回りこもうとしても何かに遮られ,結局アクセスできず諦めた。帰国後,この寺院ではなく,東の道のどん詰まりからアクセスできるのではと思った。
ミンマン通りをいったん南下して東の道に入って4kmほど自転車を漕いだ。まだまだ始まったばかりだが,この早い段階でなぜかバテてしまった…。最終日だし疲れが蓄積しているのだろうと,この時点では楽観視していた。
上記地図中央に方形の黒い人工物がある。
9時ちょうど,目的地に到着。思いがけず整備されていた。奥の黒い壁が衛星写真に写っている方形だと思う。その前に碑亭が立っている。このサイズは一般人などではない。確かにこれは史的陵墓,しかも阮朝の宗室に違いない。こんなに立派な陵墓があるとは…。
階段はさらに続いていた。本体は奥の黒だが,その手前に黒の埋葬者の,おそらくは子孫たち,あるいは妻たちの墓が並んでいる。
まずは碑文を確認。最初の行に「延慶王神道碑名」とあるので,埋葬者は延慶王だろう。2行目には「嗣徳柒年陸月弐拾参日延慶公薨」とあり,1854年6月23日に死没したことが分かる。また死没時の封号は「延慶公」であり,没後「延慶王」との封号を贈られたことも分かる。
延慶王Diên Khánh Vươngとは,嘉隆帝の第8子,昭儀Chiêu nghi阮有氏田Nguyễn Thị Điền所生の阮福晋Nguyễn Phúc Tấnである。
碑亭の奥。このアプローチはたまらない。門の前に置かれた看板にlăng Diên Khánh Vươngとあり,ここは延慶王陵に間違いなかった。
初代嘉隆帝の子だけあって,かなりの規模である。
おそらく墓本体以外の内外の壁と床は後世に手が入っているのだと思う。綺麗すぎる。
失礼して銘板を確認。漢字で「延慶王諡恭正之寝」とある。恭正Cung Chínhは諡。
背後には二重の屏風。立派なものだ。
陵墓から出口へのアプローチ。付随する小さな墓については,バテていたこともありスルーしてしまった。いずれも代わり映えしない。