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フエの阮朝史跡探し 2018年2月27~3月4日

将軍墓

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将軍墓

上記地図中央に方形の人工物がある。

その入り口であろう門。先には衛星写真で確認した方形のエリアへアクセスするための階段があり,その先には立派な門と外壁がある。門柱の上には花の蕾のようなものがあるので,おそらくは寺院に関するものかと思われる。柵が閉ざされている以上,確認することはできないが,すぐ北にあるChùa Chánh Giác(Giácは「覚」か)という寺院が有する仏塔ではないかと思う。方形の中央には八角形の囲みがあるからだ。あるいは歴代住職が埋葬された無縫塔かと思う。


上記地図の下のほうに整った人工物が見える。陵墓ではないが,方形なのが気になる。

その入り口。おそらくは寺院かと思う。およそ陵墓の入り口ではない。スルーしよう。


上記地図の十字路の南西に方形の人工物がある。

遠巻きに内部を確認。小さな墓の集合体だった。これもおよそ陵墓ではない。


やけに英語が達者な老女と出会った。自宅から出て来たところだったが,この墓をよく見たいのなら,敷地内を通って行って良いよ,と言っているようだった。かなり年を召されているようだったが,きちんと化粧を施していた。ひょっとすると,ベトナム戦争時にアメリカ兵相手に仕事をしていて,英語を覚えている人だったのかもしれない。

陵墓ではないことは確定しているので,あまりここに用はないのだが,老女が親切にしてくれたので一枚撮っておく。


モニュメントが中央に建つ墓地。Nghĩa trang Liệt sỹ thành phố Huếを直訳すると「フエ市の烈士墓地」となる。ベトナム戦争で没した人の墓地だろうか。その裏手に陵墓らしきものを2つ確認していたのだ。


上記地図の中央,道がラウンドした中に小さいものの黒い方形の人工物がある。

一般人の墓の中に,ひときわ古い外壁で囲まれたものがある。


漢字による銘板がある。「大南故奮勇将軍驍騎都尉□駙馬都尉諡恭慎阮公□□」とある。「大南」とあるので阮朝の史的墓であることは間違いない。ただし将軍なので臣下の墓であり,駙馬とあるので宗室の女婿が埋葬されていることが分かる。「恭慎」という諡で探せるかと思ったが,ありふれた諡のように特定できなかった。


二重の壁で囲まれているのは宗室の陵墓と類似しているが,墓のタイプが異なる。


上記地図の中央に黒い方形の人工物がある。先ほどの墓の南東に位置する。

先ほどの墓よりも大きい。しかし,正面に立つ屏風と外壁との間が人の通行を意図していないほどに狭く,正攻法では内部にアクセスできない。屏風の前には,雑草が生えまくった香炉が置かれているので,これを足がかりにすれば壁を越えて中に入れると思うが,軽率な行動をとりにくいので諦めた。かりに首尾良く中に入れたとしても出られなくなる可能性もなくはない。


逃した魚はでかいというが,ひょっとしたら今度こそ宗室の陵墓なのではないかという疑念が帰国後にふつふつと…。ダメだなぁ。


ホテルに戻ったのは10時を少し過ぎたところ。かなりお尻が痛くなってしまった。今日で四日連続で乗車しているのだから,無理はない。でももう終わり。

さて,ゆっくりしようかなと部屋を開けたそのとき電話が鳴った。おいおい…。レイトチェックアウトのために部屋を替えるよ,というような内容だったと思う。とにかく英語の発音がまずいのでよく分からないのだ。切ったあと,その5分後にまた電話がかかってきて。10:30がどうこう言っている。10:30から部屋を替えるよ,と言っているかと思ったので,休憩もそこそこに荷物をまとめて部屋を替える準備をしてロビーへと向かった。

たまたま自転車が早く終わったからこの電話を取れたわけで,自転車で出ていることを知っていたら電話などしないだろうな。やっぱりレセプションとツアーデスクが互いに情報を共有していないように思う。

ロビーに向かうと,スタッフが出迎えてくれた。すぐに部屋替えに対応してくれるかと思っていたら,荷物はどうするのかとか,いまからでいいのかとか色々聞いてくる。そっちが急かしたんじゃないかと理不尽に思う。ちょうど日本人スタッフが居たので,状況を確認してもらうと,今の部屋自体は12時まで使えるというのだが,新しい部屋はいつでも使える状態なのだという。であれば今すぐに部屋替えしてもらいたいとリクエストすると,ポーターが荷物を運ぶけどその準備はできているかと聞かれた。ああ,そうか,普通はスーツケースとか持っているよな。その誤解があったか。荷物は今自分が持っているもので全てであることを伝え,すぐに部屋替えできる状態であることを分かってもらった。

18時まで利用できるということで,部屋を替えてもらった。さっそく自転車で汗をかき,しかもぐったりしてしまったのでシャワーを浴びてすっきりした。

ベトナム航空からメールで連絡があり,21:15のフライトがさらに遅延して22:10となってしまった。どうしようかな…。今日チェックインするホテルに,ハノイの空港に迎えに来て貰うことにしているので,とりあえず1時間ほど遅延することを伝えておいた。ドライバーに無駄に待たせては悪いからね。


その後ぐだぐだと過ごす。食欲はないが,とりあえず昼ご飯を食べにレストランへ。もうベトナム料理も飽き始めていたので,ピザなどを注文した。

レストランで料理を待っていると日本人スタッフがやってきて,しばしおしゃべりをした。

出て来たピザはこれまで食べたものの中で最悪だった。タマネギとパプリカがまるっきり生で,サクサクいっている。しかもピザの表面のみが熱を持ち,内部は全く冷たい。なんじゃこれ…。たぶんピザなるものを根本的に理解していないのだと思われる…。生の野菜をのけて,半分だけ食べたところでギブアップした。なぜかもとより食欲がないのもある。納豆ご飯が食べたくなってしまった…。海外で日本食が食べたくなったのは初めてで,何事かと思った。

部屋に戻り,やるべきことは全て済んでいるため18時までゆっくり過ごそうとしてたら,にわかに寒気を感じてきた。バスローブでは耐えられないので,長袖・パンツに着替えるが,それでも寒気がある。日本で着ていたセーターを着込み,布団をかぶってもぶるぶると震えるほど寒い。気温を確認しても,余裕で30℃を超えている。それなのに寒いし,汗ひとつかかない。体調がおかしくなったことに気づいた。午前中に覚えた体調の違和感は,疲れだけでなく体調不良の予兆だったのだと思う。下痢も朝から続いている。

小康状態になったところで,レイトチェックアウトの延長をお願いにロビーへと行った。ちょうど運良く日本人スタッフがいて。私の顔を見るなり,体調が悪そうですが大丈夫ですかと聞かれた。そうか,やっぱり傍目からも具合が悪いのか。フライトがさらに遅延したのと,体調が悪いので,レイトチェックアウトをできるだけ遅くしてもらうようにお願いした。また20:30に空港へと送ってもらうことにした。ジンジャーティーが効くということで,後で届けるとのこと。また発熱しているので氷を届けてもらえることになった。

OptionTownからラウンジアクセスの権利の当選通知が来た。


しばらくして部屋の電話が鳴った。次に予約している客が21時にチェックインするのだという。ぎりぎり19:30まで使ってよく,その後は静かなところへと案内してくれるとのこと。そしてジンジャーティーと氷が届いたので,効くかどうかは分からないが,藁をもすがる気持ちで必死に飲んだ。そのうち18時を過ぎた頃に汗が出てきて悪寒はひとまず収まったと思う。

死ぬかと思った。感染症かな。手が暑いのでまだ熱はあると思う。解熱鎮痛剤を飲んだ。正露丸は下手に飲まない方がいいだろう。まだ食欲がない。せっかくビジネスへアップグレード+ラウンジ利用できるというのに勿体ない。

今夜遅くにハノイに着く。明日は午前いっぱいフリーだが,体調をみてダメそうなら部屋にいよう。 日本のキャリアANAで帰国出来るのはこんな時は非常に心強いな。

19:30になったので荷物をまとめてロビーへ。精算をし,その後は日本人スタッフのはからいで静かなバーの片隅で休ませてもらうことに。