ジャイナ教寺院・シナゴーグ・カトリック教会・神戸モスク
さて、異色の旧中国領事館を出て、次へむかおう。左画像はたぶん「うろこの館」(たぶんね)。で、右画像は…。よく分かりません。壁がいいなぁと思った坂でした。おらんだ坂か?
坂を下りきると、とんでもなく混み出してきた…。鬱陶しい…。右画像は風見鶏の館。左は北野天満神社で、天神を祀っている神社。実はこの神社が北野の中心となっているのだ。神道の施設、ということで。
それにしても混み混み。この辺りが一番キツくて、人が居ないほうへ居ないほうへと移動。原宿の竹下通りっぽい。
北野通に出て、西へ。割と狭い道だが、ひっきりなしに車が行きかう。危ない。
で、人を避けてやっとたどり着いたのが、このジャイナ教寺院。 ジャイナ教はインドの宗教で、不殺生主義で有名。釈迦如来と同時代の思想家で、六師外道の一人であるマハーヴィーラが開祖。 六師外道は仏教以外の六つの教えを言う仏教用語。外道だからといって決して貶めているようには思えない。確かに仏教を際だたせるために登場させているような嫌いはあるが。 六師外道という語は、当時のインドが哲学的に発達していたことを意味している。その中の一つに仏教がある。 |
寺院…といっていいのか分からないが、なかなか装飾性の高い意匠となっている。ただし色彩は白のみ。
寺院に入ってみる。入ってすぐにデーヴァナーガリ文字で書かれた黒板が。何と書いてあるのかは不明。ただ、観光ではなく、きちんとした信仰の場であることが現れている。賽銭箱まで…。
扉には魚や花などの意匠も。
二階へ行ってみた。部屋の中心には大きな柱があり、内部には四面に仏像(と言っていいのか…)が安置されていた。修行者の姿なのだろうか…。
本尊(?)の左右に掲げられていたもの。逆卍だ。右も装飾性が高いが(実印で使用される漢字の字形のような)、同じもの。卍はスヴァスティカと呼ばれ、インドでは宗教や思想の別に関係なく使用されるもの。インド思想の根底にある、輪廻を表しているのではないかと思う。
見たことのないものが置かれているが、華美な装飾はなく、寺院内部自体はすっきりしていた。
さらに北野通りを西へ行くと車の往来も少なくなり、人もほとんどいなくなる。神戸は街じゅうが人であふれていると思ったが、少し通りを離れるだけで全く印象が違ってくる。
そんな人影まばらな通りにひっそりとたたずむシナゴーグ。つまりユダヤ教の「教会」…というとちょっとニュアンスが異なるか。聖書研究のための集会所というのが本懐で、そのほか教育の場となったり、ユダヤ人の生活に根ざした施設になっている。ユダヤ人は世界各地に少数ずつ離散して暮らしているので、こういう集会所みたいな場が必要なのかもしれない。
ラビ(「宗教指導者」…というと教団代表とか、教団内部で権力を持つ人みたいに聞こえてしまうが、実際は学校の教師みたいな役回りで、「偉さ」とは関係なく、信者の相談とかを親身になって受けたりする人)もいるんだろうか。
ちなみに東京、横浜、名古屋にもシナゴーグがある。
西にまわってみると、ダビデの星とヘブライ文字が。確か右から左へ書くはず。アラビア文字と同じで母音を表さない、はず。だからわかりにくいんだよね。神の名もYHWHで母音なし。神の名がイェホヴァ、ジェホヴァ、ヤハウェ、ヤーヴェと統一されていないのは、それぞれ適当に母音をあてているから。
ちなみに、同じく一神教であるイスラームの神であるアル・ラーフはYHWHと同じ。ユダヤ教徒とキリスト教徒を「啓典の民」とするのはそのため。これら三宗教はアブラハムの宗教と呼ばれ、唯一神を奉じる。他の宗教には唯一神はいない。したがって、アブラハムの宗教は他の神の存在を認めない宗教と言うことができる。
ユダヤ人を定義することはとても難しい。人種、血統、宗教のどれも決め手にならない。内田樹は「ユダヤ人に知的な人が多いのは、生まれつきユダヤ人が知的なのではなく、われわれが彼らの思考方法のことを知性と呼ぶからだ」「そしてその思考方法を持つ人のことを、遡及してわれわれはユダヤ人と呼ぶ」「したがって『ユダヤ人だから頭が良い』のではなく『頭がいいのがユダヤ人』なのである」というようなことを言っている。この発言からも、ユダヤ人は徹底的に他者であることが分かる。なぜなら彼らを定義しようとすると、必ず「われわれ」とは違う「彼ら」と呼ぶことになってしまうからだ。
上の画像に、シナゴーグの敷地内にプラスチックの遊具(滑り台か)が置かれているのが写っていることからも、シナゴーグがユダヤ教の宗教的な側面のみの施設ではないことが分かる。
更に坂を下って異人館通へ出る。 名前も知らない異人館(だろうか、本当に)。 この辺りは人もまばら。 |
次に目指すのはカトリック教会なのだが、途中でスリリングな裏通りを抜けたりと少し迷った。
カトリック教会。多分勝手に入っても大丈夫だと思ったのでカテドラルまで行ってみた。
カテドラル内部。ステンドグラス越しの光が間接照明になっていて雰囲気はいい。正面中央にあるのは…キリスト? それともマリア像? ベールが無いのでキリストかとは思うが、燕尾服を着て髪がカールしていて、まるでステレオタイプの指揮者風の像なのでいまいち確証が持てない。…けど、ここに在る、といったらあの御仁しかしないよな…。
次に向かうのはモスク。その道中で面白いものをいくつか見付けた。左は牛乳パックの側面イラストらしい。右はレストランらしいが、その名前が凄い。皮を三つ重ねて「アラ」とし、その下にさらに皮を付けている。自分の持っている辞書には無い字。
で、やってきました神戸モスク。凄いね。今まで観た宗教施設の中で一番格好良かった。まるでおとぎ話の中から飛び出してきたかのような外観。モスクにカメラを向けていると、五、六人のムスリムの方々がこっちをじろじろと見ながらモスクに入っていったので、ちょっと尻込み…。日本語は出来ると思うから、何か問題があったのであればその場で注意してくれていたはず。たぶん大丈夫だろう。
で、右写真はモスクの近くで見付けたハラールの店。イスラームにおいて不浄の動物として扱われている豚を使っていない食材のことをハラールという。豚を口にすることは戒律によって定められているので、豚不使用のお墨付きが得られているものがハラール。敬虔なムスリムはハラール印のものをこういう店でもとめて食べる。
角度を変えてみるとまた違った印象。電線が残念…。