圓教寺 大講堂・食堂・常行堂・開山堂
圓教寺のもう一つのエリアに到着。大講堂・食堂・常行堂の三つの大きな堂宇が三つどもえのにらめっこをしているのだ。
この圧倒されるかのような大堂宇は大講堂。禅宗様の重厚な造り。 その名の通り、講義や討論が行われた場。 二層目の額には六文字書かれているようだが、ほとんど剥落していて読めなかった。 大講堂の左に写っているのは食堂。 |
右が食堂(その右には大講堂)、左が常行堂。これらの三つの大堂宇がコの字に配置されている。それぞれに個性的な堂宇なので、一つずつ詳しく観ていこう。
大講堂。でかすぎる…。扉は放たれているが、観ての通り柵があって進入不可となっていた。
内部も広い。 内陣と外陣を分ける格子はないが、代わりに竹が二本。どうせ外陣には入れないんだから、この竹、取って欲しい…。邪魔だよ。 せめて外陣にまでは入らせてほしいなぁ。 |
中央に配置されているのは釈迦如来像。割と金が残っている。 柱や壁などに仏画が描き込まれているかと思ったが、そんなことはなく、地味。 昔はあったけど今は剥がれている、というわけでもなさそうだった。質実剛健な感じ。 |
脇侍の文殊と普賢。
次は食堂。その名の通り、僧侶が寝食する割とプライベートな建物。長屋風だと思っていたが、やっぱり長屋だったわけだ。 初めてこの堂宇を写真で見た時は、二階建ての堂宇ということで非常に惹かれた。ずっと訪問しようと思っていた。 二階建てでしかも長方形というのが凄い。方舟のようじゃないか。 早速進入しよう。 |
すぐに階段で二階へ。まだおじさんが蔀を上げる前でとても暗い。一体内部はどうなっているのだろうと思っていたが、特に何も無かった。僧侶たちの生活の場だから、何も無いのは当たり前なのだが。
今では宝物館のようになっている。行き場の無い仏像が展示されている。
おじさんが蔀を上げてくれた。光が入って、中の仏像がよく見える。
テラスに出てみよう。奥は常行堂だ。 |
食堂二階から眺めた大講堂と常行堂。下から見上げるのとは別の迫力があるなぁ。
食堂二階内部には十二神将、四天王、五大明王、毘沙門天像などが展示されていた。特別面白そうなものを紹介しよう。左は「鶴上の観音」と呼ばれる変わり観音。右は弁財天。厨子の内部はジオラマになっていて、色んな像が集まっているが、おそらく十五童子だろう。
ちなみに一階と二階を繋ぐ階段は堂宇の左右両端に一つずつあった。
食堂一階。ここも僧侶の生活の場だったが、現在では鬼瓦の展示と写経コーナーになっていた。自分より早く着いていた女性が一人、写経に取り組んでいた。
二階と違い、柱や天井、壁が紅く、しかも蔀も内側に開けている。
左は後ろから見た食堂。あまりこのショットは観られないだろう。右は正面からの食堂。左右対称ではあるけど、長さでは奇特な堂宇だと思う。
さて、最後に常行堂。常行堂は左右非対称のように見えるが、二つの堂宇がドッキングしている。細長いのは楽屋らしい。そして、唐破風のような庇が付いているのは、舞台だとか。本尊の阿弥陀如来は奥に見える妻切屋根の下の堂宇。
これまた面白い堂宇だ。変形和様建築か。内部に進入できないのが残念。
楽屋や舞台というと、神楽の奉納ということで神社のようだが、あまりこだわりが無かったのかもしれない。楽屋の真正面には大講堂があるため、楽屋は本尊の釈迦三尊への奉納という意味合いがあるとか。
常行といったら、阿弥陀如来なのだ。京都の永観堂では、永観が念仏を唱えながら阿弥陀の周りを回っていたら(これが常行。「常」というのは「いつも」というより「ずっと・永続的に」という解釈が適切かも)、本尊の阿弥陀がすっと壇から降りてきて、永観の前を歩いてリードしはじめ、驚いて立ち止まった永観に、ふりかえって「何してんだ、ついてこいよ」的なことを言ったので「みかえり阿弥陀」と呼ばれるようになった伝説があるが、これは、常行という修行では立ち止まってはいけないこと(=立ち止まってしまったら常行にはならないこと)を示していると思う。
先ほどの背後に阿弥陀如来は祀られている。この方形の堂宇が常行堂の本体だろう。東向きの堂宇だ。ということは、この阿弥陀如来は西の方角を向いているということになる。確かに阿弥陀如来の周りをぐるぐると回れるようになっている。
常行堂の背後。なぜか扉が開け放たれていた。 阿弥陀如来の背後ということになる。 |
開山堂へと向かおう。
性空という僧侶がここの開基。開山堂には彼が祀られている。これまた方形で重厚なお堂。他の寺であったら、これでも充分立派な本堂だ。四方の軒下では、邪鬼が屋根を支えていた。
開山堂内部。ここでも内陣と外陣が分かれている。内陣中央奥には厨子。おそらく内部には性空が安置されているものと思われるが、手前の像は何だろうか。御前立ち的なものか、あるいはびんずるか…。ちなみに性空は98で死んだらしい。長生きだなぁ。
開山堂手前にある護法堂。護法というのは、本来外道の神、つまり異教の神を仏教に取り込んだもの。インドではヒンドゥー教の神々が、仏法の守護神というかたちで取り込まれていったのを護法と言ったが、ここで言う護法は日本の神のことを指しているのだろう。
右が乙天社、左が若天社といい、性空に仕えた乙天(不動明王)、若天(毘沙門天)の二童子らしい。乙というのは、乙護童子に通じるものがあるかもしれない。
姫路城城主である本多家の廟所。五つの廟が集まる。現在特別公開中だとか。五輪塔が堂宇に収まっている。
さて、もうそろそろ下界へ戻るか。
妙光院。塔頭の一つで、現在は宿坊として使用されているらしい。 |
帰りのバスの時間にぎりぎりで間に合わなかった…。ロープウェイまで歩いて行くか。
塔頭の一つ十妙院。 秋になると紅葉で見事らしい。 この石垣がいいな。 |
往路はマイクロバスだったために観られなかった山門。 境内にはどでかい堂宇がごろごろしていたが、この山門はちょっと拍子抜け。田舎の小さな寺といった雰囲気の山門。 額には「志よしや寺」とある。「書写寺」ということか。 |
ロープウェイ乗り場手前でしばし下界を見下ろす。 なかなか爽快だね。 姫路城は見えるかと思ったが、いくら見ても分からない。 ロープウェイの添乗員によると、左奥の少し小高い山の向こう側に城があるため、ロープウェイからは城が見えないのだという。 |
これ、いいね。 意図を説明するものが全く無かった。 「キコヘマスカ」がいいね。 |
帰りの山道を早足で降りてきたので汗をかいてしまった。まだまだ10時前。ロープウェイで山を下りたのは、私の他にはおじさんが一人だけ。途中、山上行きのロープウェイとすれ違ったが、ぎゅぎゅう詰めだった…。そうかGWなんだよな。よかった、始発で乗って。
行きのロープウェイでは、到着までの数分間、書写山に関することを添乗員が説明してくれるのだが、帰りの便では無い。添乗員も「帰りですから、説明もないので、ゆっくり乗っていてくださいね」などと言っていた。そこでいろいろフリーな感じで聴いてみた。
現在姫路城の周りでは菓子博が開催中で、大混雑だという。ただでさえGWだというのに、さらに拍車がかかっているようだった。しかも、今年中に姫路城の修築工事が始まるらしく、あの美しい姿がしばらくは見えなくなってしまうため、その駆け込み的需要もあるのでは、との分析だった。
ただ、修築中であっても内部の公開は続けられるとのこと。むしろ、改修工事のおかげで普段見られない部分も見られるかも、とのことだった。