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播州の古刹巡り 2008年5月3日〜5日

妙法院

みょうほういん

京都府京都市東山区妙法院前側町447

東山七条バス停から徒歩2分

マピオン

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妙法院

鳥羽街道から京阪で七条まで移動。歩いて東へ。

七条大和大路の七條甘春堂の前に、加茂七石庭という小さな「庭」がある。水がちょろっと流れるほどの細くて小さい庭だが、その名の通り、紫貴船石、鞍馬石、畚下石(ふごおろしいし)、紅加茂石、八瀬真黒石、雲ヶ畑石、賤機糸掛石(しずはたいとがけいし)の七つの石が使われている。これらの石は鴨川より産し、古来より庭園に使用されてきたとか。

石の差異はよく分からないが、いつもここを通りたびに涼やかな気分になれる。

さて、今回の非公開文化財特別拝観の最初の物件がここ妙法院。

七条駅から東大路通りに向かってずんずん進むとここにぶち当たる。

普段は非公開寺院だが、特別公開期のみ拝観できる。三十三間堂のボスがここ妙法院だ。

象に乗る普賢菩薩で有名だが、今回初めて拝観する。

いつものように境内図を描いてみた。東が上になっている。

拝観できたのは茶色の堂宇のみ。灰色の堂宇は拝観できず、しかも正確な名前も知らない。

特に北東の「御蓙之間」や「白書院」は自信がない。聖天堂もあるようだが、全く分からない。

ネット上にある他の人の訪問記を見てみると、図で灰色になっている堂宇も拝観できた時期もあったようだった。

矢印は画像のIDを示している。

AとB。庫裡と玄関。庫裡から入ることになる。既に団体客も来ていて混雑していた。

C。庫裡の天井。

梁が何段にも組まれていて、見ていると吸い込まれていきそうになる。

縦横に組まれている中、斜めにかけられたものを発見。メンテナンス用のはしごだろう。

学生ボランティアの説明はつたなく、想定外の質問をすると何も答えられなくなるのはいつもと同じ。高い拝観料が設定されているのだから、もうちょっと勉強してもいいんじゃないか。

庫裡の反対側に出る。

庫裡の裏は御座所庭園と呼ばれる石庭になっていた。

涼しげな蹲を発見。青もみじが浮いている。

DとE。右画像が御座所庭園。境内図で「御座之間?」としているのは、この庭園に面しているから。視線の先にあるのは白書院かと思う。だが、本当にそうなのかは全然分からない。

左画像はこれから向かう大書院。白書院に対して、おそらく「黒書院」ということになるのだろう。

これ以降は画像がない。境内図とともに説明していくしかない。

大書院前の南庭は池泉回遊式庭園。池には細長い石が架けられているが、楠の化石だとか。

大書院内は桃山式。白い壁となっていて、圧迫感を無くし、広く見せているのだという。永徳による「四季花鳥図」が描かれている。

ランクの高い一ノ間の障壁画は狩野松栄、光信によるもの。襖絵は仙人図。張果老がひょうたんからロバを出して(瓢箪から駒)、みんなを驚かせている。

一ノ間は格天井となっていた。帳台構と呼ばれる扉の先はさむらいが控えていたという(武者隠し)。大事があればここからわらわらと出てくるわけか。

大書院から回廊を伝って内仏殿へ。別名護摩堂という通り、本尊は不動明王。御簾のなかにいて二童子を控えさせている。不動明王は足が浮き上がっているように見え、これから動こうとする瞬間を捉えたものであるらしい。御簾というのは門跡寺院ならではか。

内仏殿から回廊を伝っていくと「龍華蔵」という収蔵庫に行き着く。

龍華蔵には数々の寺宝が安置されているが、イチオシは左画像の「ポルトガル王インド副王信書」。

Dom(聖堂)とかIndiaとかいう単語は分かったが、他はまったく分からず。

蔵だけあって光もささず、少しかびくさい倉庫だった。

蔵と言いつつ、反対側にも扉があり、突き抜けることができるのが面白い。このまま戻らずに宸殿へ向かうことができるのだ。

宸殿内には、本尊として阿弥陀如来像が安置されているそうだが、御簾が下がっていてよく分からない。

いくつかの衝立がある。まず竹鶴図衝立は応挙の作。つがいの鶏とひよこが描かれている、核家族の図。三羽とも同じ方向を向いており、面白い。バックは黒いが、元々は銀箔が貼られていたそうで、酸化して黒くなったのだという。その結果鶏がくっきりと映えているのだそうだ。応挙はそれを計算したのだ、と説明していたが、自分はそうではないと思う。

我々が今見る仏像・仏画などの色は、大概が全く落ちてしまっていたり、退色により変化しており、本来の姿ではなくなっている。ところで国宝・重文マニアは、その姿を「素晴らしい」と言い、復元して派手に色を付けたりすると「せっかく美しかったのに、台無し」だと言って非難するが、それではド派手な彩色が施されていた完成時の仏像・仏画は価値無しということになってしまうが、そのことについては考えたことがないのだろうか。

私は、まず仏像・仏画の価値は、単に経年したことには無いと思う。

彫刻家や絵師はかならず何らかの意図を以て彩色している。色を戻すことを非難することは、彼らの意図を無視するということだ。私は彼らの意図を知りたい。だから、元々どんな色をしていたのかに全ての価値があると思っている。

同様に、応挙が酸化して黒くなることを見越して銀箔を貼ったというのは、考えすぎだと思うのだ。それは、我々が酸化して黒くなっているその図を見ているから初めて言えることなのだ。

美術品を観る際には、私は、作者がどんな思いを以て制作したのかを知るため、彼と同じ視線を持とうと努力する。彼が存在した時代以降の常識全てを一端破棄する。そうすれば、思考の筋道が制作者とぴったりと重なる瞬間がやってくると信じている。それが私なりの読み解き方だが、かつて研究対象としていた歴史にも同じことが言えると思う。今・ここ・私というのを一端捨て、当時の人間がどう世界を捉え、そして思考していたのかを本人と同じように考えなくてはならない。

山楽の繋馬図衝立は、黒馬と白馬が描かれており対照させているが、黒馬は雨乞を、白馬は雨除を意味しているとか。どうしてそういう対応になっているのか分からないが、そうなのだという。

さて、境内で最も南に位置し、唯一回廊で繋がっていない普賢堂へ。離れになっているが、これがここ妙法院の本堂なのである。この位置づけは門跡寺院ならではかもしれない。ビニル袋に入れておいた靴を取り出して普賢堂へ。

普賢堂内は簡素なものだった。中央に小さな普賢菩薩像が安置されていた。写真で何度か見ているが、こんなに小さいものだったとは思わなかった。普賢菩薩が乗る象の両腹からは蓮の花がニョキと生えていて、まるで普賢菩薩の足置きのようになっている。また、象は鼻で一輪の華をつまんでいた。華をつまむ象は初めて観たかもしれない。

須弥壇裏にも像が何体か安置されていた。学生ボランティアに聴いてもなしのつぶてなので、勝手に自分で推測するしかない。向かって左には五大明王とおぼしき像が並んでいる。向かって右には、人の像が並んでいたが、おそらく歴代の門跡だろう。

さて、天井には大きく円が描かれており、中に龍が描かれていたが、円は虹のようにグラデーションになっており(本当に虹を表現しているかもしれない)、円の周りには雲がもくもくとしていた。

これで妙法院はおしまい。ちょっと普賢菩薩は思い描いていたほど迫力は無かったが、象が面白かったので良しとしよう。

相も変わらず学生ボランティアの質が悪い。もっと勉強させるか、あるいは初めから使わずに拝観料を安く設定するとかしたほうがいい。

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