相楽園
モスクから次の相楽園までは地下鉄一駅くらいの距離があるが、地下鉄に乗るために歩く距離をトータルすると変わらないのでこのまま歩き続ける。ちょっと辛くなってきたな…。
相楽園入り口。 もともとは私邸で明治期に造園されたもので、昭和になって神戸市所有となり、一般に開放された。 神戸市内の各宗教施設巡りの最中だが、中心となっているのは池泉回遊式庭園。最近庭園に興味があるので入ってみることにした。 門構えもなかなかよろしい。 |
日本庭園がメインとはなっているが、ソテツ園などもある。ソテツばかりがうじゃうじゃと生えているなかを歩くことができる。ソテツの一つ一つが大きいのでまるで迷路のようだ。
これは旧小寺家厩舎。小寺家というのは、この庭園をかつて所有していた、神戸市長を出した家のこと。相楽園はあくまで日本庭園がメインなのだが、さすが神戸、レンガ造りの欧風馬小屋になっていた。なんと二階建てで、二階は従業員の宿舎だったのだという。左の塔がいいね。
ちなみに厩舎の左隣りは旧ハッサム住宅と呼ばれる欧風建築があるのだが、どうやら改修中のようでよく見えなかった。パンフレットには「和洋折衷」とある。写真からはいわゆる擬洋風建築であることが窺えた。擬洋風建築といえば二階建て、左右対称、中央部分には前に出張ったテラスがある、という共通のパーツがあるように思えるが、旧ハッサム住宅はその全てを満たした典型的な擬洋風建築だ。その上、瓦葺きで木造だという。是非観たかったな。再訪しよう。
ちなみにハッサム住宅は昭和30年代によそから移築されたもので、もちろん小寺家の庭園内にあったのではない。相楽園が市営になったことで一緒くたにされたのだろう。小寺家とは何の関係もない。
ハッサムは名前からトルコ人かと思ったが、イギリス人らしい。
樹齢500年を超えるクスノキだという。造園されたのが明治だから、元々ここに生えていたということになるだろう。樹齢400年の巨木を移すようなことがあるとは思えない…。 前近代はどんな土地だったのだろう。 神戸空襲も生き残った木だ。 |
日本庭園を観ることのないまま進んでいるが、ようやく和風のものが現れた。芝生広場の入り口。 |
芝生広場を突き抜けるとやっと池泉回遊式庭園が現れた。中心となる池を、浣心亭と呼ばれる茶室と、桃山風の豪奢な船屋形が囲んでいる。今の時期、ツツジが一番綺麗に咲いている。
浣心亭はその名の通り、心洗われるような茶室。彦根城にもこんな感じの庭園があったなぁ。実は戦後の新築で、元のものは焼失したらしい。
船屋形は姫路藩主の所有する遊覧船の屋形部分を残したもの。なんと二階建て。三つの部分に分かれていて、前から「床机の間」、「上段の間」、「次の間」という名前がついている。門跡寺院の書院でも「上段の間」や「次の間」というネーミングの部屋があったりする。屋根が最も高くなっている真ん中の「上段の間」が、そのネーミングや構造からも殿様が座する部屋であったのだろう。ステータスによって差が設けられているわけだが、船上においてもそういった秩序が守られていたことが窺える。
この船屋形、他のどこかの庭でも見た覚えがある。思い出せないが、元々船の一部だったのものを陸揚げするのはよくあることらしい。
亀がすいすい。 |
浣心亭の裏側。 紅葉時も綺麗だと思うが、新緑のカエデと一緒に映ったのも良い。 |
さて、宗教施設の巡りの続きを再開しよう。