江州巡覧 2007年7月14〜16日

二日目の朝。目を覚ますと明るい光が目に入ってきた。晴れた! 昨日期待していたとおり、台風は夜中に過ぎ去っていたのだった。台風一過、見事に晴天!

まだ出発まで時間がある。日差しがかなり強いので、今のうちに濡れた靴をベランダへと出しておく。からっとした風が吹いているので、30分もすれば乾いてしまうはずだ。

風呂に入り、支度をすませチェックアウト。今後雨は降らなそうなので、昨日まで使っていたビニール傘を宿に置いてしまう。晴れているのに持ち歩くのは、裸の大将だ。

さて、予定では、今日の午前には湖東三山の一つとして有名な百済寺、そして永源寺を見てまわるつもりだったが、昨日果たせなかった諸物件を中心に訪問することとした。百済寺と永源寺はかなり魅力的なのだが、時間的ロスが多く、少しもったいない。雨のせいであまり物件数をかせげていないので、次回へとまわすことにした。

実は、来月の盆休みにも滋賀を訪問するつもりでいるので、無理に今回廻る必要はない。


八日市駅までの道すがら、炸裂なものを見つけた。飛び出しぼうや自体は、もはや見慣れてしまったが、この画像のポイントは、サッカーボールが偶然置かれていることだ。

さて、八日市駅に着いてびっくりさせられた。彦根へ向かう途中で渡る川が危険水域を超えているため、彦根行きの電車が出なくなっていた。台風は去ったが、その爪痕はしっかり残ったのだった。

正規の時刻に合わせて代行バスを出すというので、乗り込む。彦根着はどうしたって遅くなるはずだ。まぁのんびり行くか。

八日市から近江八幡まで出て、そこからJRで彦根というルートも考えられた。ひょっとするとそっちの方が彦根着が早くなるかもしれないが、近江鉄道の職員に訊くと、近江八幡行きの電車もダイヤが乱れていて、いつ出られるか分らないので、代行バスに乗ったほうがいいんじゃないかとの話。

途中、駅の付近には、各駅の鉄道職員が立っていて、乗車人の有無を知らせていた。

危険水域を超えたという川を渡る。確かに濁流が鉄道線路にまで迫る勢いで増水していた。あとで知ったことだが、この川は、普段は地下を流れる伏流水であり、河原だけが広がっている。その川が鉄道線路に迫るまで増水したのだから、今回の台風の強さのほどが伺い知れる。

代行バスの終点は愛知川。この駅以降は電車が動くという。ただ、バス到着後すぐ出るというわけにはいかないようで、20分ほど待たされるようだ。愛知川駅は小さな駅だが、「ふれあいセンター」のようなものが併設していた。八日市から一緒に乗ってきた高校生たちがそこで電車の出発を待っていた。


やっと乗れた電車。台風が去ったとはいえ、雲はまだまだ怪しげな雰囲気。近江鉄道のすぐ隣には東海道新幹線が走っている。

ようやく彦根着。当初予定より30分ほど遅れてしまったが、ここでの時間を割と大きく取っているので、何とかなるだろう。

彦根城

彦根城に入る前に、入城券を買い求める。彦根城博物館と玄宮園(庭園)の入場券がセットになったものを買い求める。開国記念館の入館券もセットになってフルに回れるものもあったが、開国記念館には興味が無い。

 
まず彦根城内に入る前に、現在特別公開中の馬屋を観よう。訪れる人はほとんどいない。画像中の馬は勿論作りものだが、近代以前の日本の馬は、脚が短く小さい種だったんだよ、ということを示すための展示らしい。モンゴルの馬もちょうどこんな感じだ。サラブレッドのような馬は居なかったのだ。

右画像は馬の真下にある穴。ひょっとすると、馬の糞尿を流すためのものかもしれない。左画像に写っているように、床には樋のようなものがある。ここを通って、あるいは溜められたのかもしれない。

彦根城美術館

さて、他の人たちはさっさと彦根城へ行ってしまっているが、博物館を先に観ておくことにする。主に井伊家が所有していた文物の展示。それなりに興味深いものだった。

博物館の最後には、資料コーナーがあり、彦根を中心とする滋賀県各地の資料が置かれていた。


彦根城博物館において過去に催された特別展の図録。十二支の動物が宴をしたり、陣中での様子などを描いたもの。動物を擬人化するということを、昔の人もしていた。どちらでも龍が中心なんだね。陣中で鍋の様子を見るウサギが良い。


これは「蠢蠕」と「格致」という言葉から、どうやら虫の博物誌ということらしい。節足動物であるムカデや両生類であるカエルなども見えており、現在の我々の分類方法とは違っている。

しかし、我々の分類が必ずしも正しいわけではない。分類は恣意的なものであり、時代は勿論、背景となる文化などによって変わるものだ。現在の分類方法は、とりあえず誰からも文句が言われないので、たまたま採用されているものにすぎない。ただ、誰も文句を言わないからといって、それが正しいということにはならない。たとえば、ヒトラーは極めて民主的な手続きを経て政権を握り、支持を得ていた。だからといって、ヒトラーを「正しい」と言えるか? という問題と同じだ。

人は基本的にバカだ。稀に現れる一人の天才にすべてを託す方法(独裁制)もあるが、バカでも集まればまともなものができるかもしれない、といった前提に基づいて営まれているのが民主主義社会である。ただやっぱりバカは集まってもバカなので、いつまでも絶対に答えが正しいという確証は得られない。wikipediaや2ちゃんねるがいつも正しいことを言っているわけではない。

だから、今のわれわれが昔の人に比べて頭が良いだとか、進んでいるとかいうのは全く驕れる見方である。とにかく、ここに描かれた生物を、当時の人は虫として見ていたということ。二段目は四枚の広い羽根を持つ虫、三段目は四枚の透ける羽を持ち、体が棒のように細長い虫、四段目はそれ以外の虫、というカテゴリー分けになるだろうか。このような分類方法をその時代の人々は採用していたということにすぎない。これらは当時の人の知のマップである。


有名な彦根屏風。かぶき文化を伝える資料だ。奇抜なファッション、奔放な生き方などがこの絵から伝わってくる。首輪を付けて高そうな犬を連れてあるく女、くねらせた体を刀に乗せてラフな姿勢をとりながらナンパする男。とっくに元服しているはずの年齢にみえるが、前髪を剃っていない。

一番面白いのは、黒の衣を重ね着しているということだ。普通であれば、無地のものは下に着るものだが、それを逆転させている。シャツの上にTシャツを重ねる感覚だろうか。おしゃれの本質は、人と少しだけ違っているという、差異の体系なのだ。ただ、「少しだけ」というのがキモで、大きく違ってしまうと文字通り「ハズして」しまう。「チョイ悪」というのが流行った(本当に流行ったのか?)が、あくまで「チョイ」だから活きるのだ。


笛を入れる箱(だったか?)。井伊家の家紋は蝶なのだ。雅ですな。


こちらは各国の人の風貌を描いた「カタログ」。先ほどの虫の博物誌と同じだ。まず上画像の右から。「大明」は明朝人。その左が「大清」で清朝人、というより満洲人(清朝の支配者層)といったほうが良いかも。大清のほうはやはり辮髪をしている。「大明」と「大清」とを分けて別の国の人としているのが、国民国家に暮らす我々の感覚とは違う。彼らは全く違う人々だ。現在中国(中華人民共和国)という国民国家があるから、それを過去に投影して昔から中国人が居たとするが、これは全くの誤り。大陸に次々と現れた王朝はすべて違った「国」である。ただ、それらを一括りで言い表す場合、シナ王朝と言うしかない。

ちなみに「シナ」という言葉は確かに差別的文脈で用いられることがあるが、そうでない場合もある。それをまとめて禁止するのは愚の骨頂だ。私は右翼でも左翼でもないから、言葉には自由でいたい。そもそも言葉の意味を定義することはできない。ある言葉の意味を辞書で調べても、そこに出ている言葉を再び調べてみると、最初の言葉が載っていることがある。言葉は、使用される文脈において、つまりその使われ方でしかその意味を定義できないのだ。子供に言葉の意味をいちいち教えている親はいない。子供はその言葉の使われ方を注意深く察して言葉を覚えていく。

言葉だけを追い、文脈を見ないのはただのバカだ。私はバカにかまっている時間はないし、かかわりたくない。

さて、その左隣には「韃靼」とある。タタルの音訳だが、実際はモンゴルのことだ。明朝はモンゴルをシナ(「中国」と書けないのは、当時中国など存在しなかったからだ。もう分かるよね?)からモンゴル高原へと追いやったが、モンゴルとしては広大な領域のうちほんの一部(シナ)を失っただけで、勢力は依然として保持していた。しかし明朝としてはモンゴルという勢力が存在していることを否定するために、「蒙古」とは書かず、13世紀までに存在したモンゴル高原の数ある勢力の中のほんの一部の部族タタルの音訳である「韃靼」を用いた。ちなみにタタルはチンギスが滅ぼしたので、モンゴルをタタルと呼ぶのは非常に矛盾に満ちた言説である。

ともかくもモンゴルだ。興味深いのは、子供も描かれていること。核家族だ。

そしてその左隣は朝鮮。ちなみに「朝鮮」とは、明朝が決めた国号。李氏が、自らの国号として「和寧」と「朝鮮」を提案したところ、明朝は「和寧」はモンゴルの本拠地であるカラコルムのことも指すので忌避し、「朝鮮」と定めた。


こちらの右端は、おそらく中国東北部で狩猟をしていた人々のことだろう。

その左から二つは区別がつかないが、女性が肌を隠していないので、ムスリムでないことだけは確かだ。右から二番目はターバンを巻く人(シクか?)もいるのでインド人かもしれない。その左は、東南アジアの人々かもしれない。一番左端も難しい。トルコ?

博物館からは藩主の屋敷へと行ける。

 
藩主は天守にいたわけではなく、こういう庭のある屋敷に住んでいた。天守はただの櫓、砦なので、当たり前といえばそうなのだが。天守はある種文字通り「最後の砦」なので、藩主が天守に居る時点で終わりだ。

再び博物館。ある屏風が面白かったので、紹介。ちなみにこの博物館では、基本的に撮影可、特に撮影禁止のものは個別に設定されている。

 
ワシと小鳥、小動物などが描かれた屏風で、かなりの大作。獲物を狙うワシに気づかれないよう身を潜める小動物。黒テン?

 
キジを仕留めたワシ。頭を押さえつけているワシの眼が怖い…。そのとなりには逃げまどう白い鳥。弱肉強食のリアルな現実をモチーフにしているというのが興味深い。屏風は日常で用いられるものなので、だいたいリラックスできるような穏やかなモチーフが選ばれるべきだと思うのだが。面白い。

 
しかしその隣では、小鳥が楽しそうに舞っている。このような楽しい日常も、いきなり破られるんだよ、ということを示す屏風絵なのだろうか?


もう一方では、ワシが白い鳥の背後から急襲している。ターゲットは気づいていない様子。少し離れて小鳥が様子を見ている。自分が写ってしまった。


一方では、ワシのすぐ右下で小鳥が飛んでいる。かなり気を抜いているが、大丈夫なのか?

不思議なモチーフの屏風絵だった。

ミュージアムショップでは、彦根屏風のナンパ男と犬散歩婦人の絵ハガキを買った。


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