江州巡覧 2007年7月14〜16日

大雨の中、自転車を漕ぐ者など自分以外にいない。すれ違う車の運転手の視線を感じる…。

必死で駆けて北国街道まで戻ってきた。ここには行きの時に見つけて気になっていたものがあった。


よくみれば、「株式会社滋賀銀行木之本本店」とあり、何と銀行だった。

さて、木之本地蔵尊まで戻ってきた。駅まではすぐなのでほっとする。一時間予定を遅らせたので、かなりの余裕がある。ここではゆっくり観ていくことにしよう。

割と参拝客が来るところなので、レインコート姿では警戒されるだろう。とりあえず怪しげなアイテム類は自転車のカゴの中へしまって、折りたたみ傘のみを持っていくこととした。

 
御手洗では、カエルの像が水を吐き出していた。大体は竹から出ていたり、動物だとすれば龍(動物か?)が水を吐き出しているものだが、カエルとは珍しい。御手洗の屋根には、細かい彫物が施されており、なかなか見ごたえのある御手洗だった。

ちなみに御手洗で龍が水を吐き出すことになっているのは、龍の涎(よだれ)が神聖なものだからだ。例えば香料には「竜涎香」というのがある。

御手洗だけでなく、この寺には随所に見所があり、ただの観光寺院ではなかった。


境内に入ると、まずこの寺のシンボルとなっている巨大地蔵が視界に入ってくる。台風が来るというのに、割と一般の参拝客がいた(「特殊」参拝客は若干一名=私)。普段であればもっとにぎわっているのだろう。眼の病気に霊験があるのだとか。

いつもの癖で、本堂内部より周辺をチェックしてしまう。


なんと戒壇めぐりがあるではないか! 全くノーチェックだったので、これはうれしい。去年に開眼したばかりのものだという。さっそく進むこととしよう。戒壇めぐりは久しぶりだなぁ。


入るとすぐになぜか銅鑼がつるされていた。「一度鳴らしてお進みください」とあり、どういうことだろうかと考えてしまう。他の戒壇めぐりでは見たことがない。真っ暗になるので、前を歩く人に後方を警戒させるということだろうか。

ルートは、単純な四方形というわけではなく、何度も左右へ曲がるといういやらしい作り。なかなかの作り込みで気に入ってしまった。


これが本尊の地蔵菩薩と「繋がっている」といわれる錠前。何がどう繋がっているのか分からないが、扉になっているのがヒントだろうか。本尊(あるいは須弥壇)に何らかのかたちで連絡しているのかもしれない。

普通戒壇めぐりといえば、その中央に「極楽の鍵」というものがあり、これにタッチすることにより、阿弥陀如来との縁を結ぶという目的がある。もともとは阿弥陀、つまり浄土教での宗教体験であるが、そこからの派生として弘法大師であったり、ここ木之本地蔵尊のように地蔵菩薩であったりする。ところで、「鍵」といっても、上の画像のように実際は「錠前」である。今まで私が経験した中では、錠前であっても何かを具体的に封じていることはなかった。しかし、ここ木之本地蔵尊にかぎっては、錠前が、何かを閉じるという本来の機能を担わされていたのである。本来の戒壇めぐりとは離れているが、新たな戒壇めぐりの解釈がここに現前しているといえよう。ここからさらに新たな戒壇めぐりの型が派生していくことになるのかもしれない。

このようにして「伝統」と呼ばれるものも、誤解や再解釈などが絶えず加わって変化してゆくもので、あるいは「流行」とあまり変わらない性質を持つものなのである。先ほど言ったように、歴史は決して連続しておらず、どこかで分断されている。つまり、「正しい○○」などという言い方はできないし、「伝統だから」といって譲らない押し付けには、何の正当性・正統性もない。

私が寺院を巡り歩くたびに多くの・大きな発見をするのもここに起因するといえる。「伝統」宗教であるはずの仏教自体が、たくさんの再解釈を経ている。仏像を例にとれば、地蔵菩薩像にしても馬に乗り武装していたり、全裸であったりとたくさんのバリュエーションがあり、一つとして同じものがない。たしかに、それらはただの誤読、誤解などによって生まれたものなのかもしれない。

しかし、ひとつ誤読が生まれると、その正当性を説明するために必然的に新たな「物語」が生まれ、寺院空間がさらに豊かなものになる。このようにして、仏教が仏教であるための基底の構造を外れない限りにおいて、変化し続けるのである。人はそれぞれ違うものを観て、違うものを聞き、違うものを考えている。全てが「伝統」に則り同じものであったならば、面白くなくて私は寺院に行かないだろう。

その「物語」は、ややもすれば見過ごされてしまうような「風景」に隠されている。眼前の「風景」から掘り起こし、その起源を探っていくのが寺院空間の読解なのであり、これこそが私の寺院訪問の楽しみである。一方、ガイドブックの情報や国宝・重文指定情報などは、眼前の「物語」を潰し、平均化してしまい、かえってノイズとなって作用するので、必要がない。あるだけ迷惑なのだ。

ともかく、戒壇めぐりが廃れることなく、こうして新たに作りだされていることは頼もしいことである。そして、新しく創建した寺ではなく、木之本地蔵尊のような歴史ある寺院に後になって付け加えられていることも、注目に値する。


戒壇めぐりを終えて、本堂の奥を見るとずっと堂宇が続いていた。本堂を後回しにし、これらを見ていこう。


まず手前の方丈(?)には「裏地蔵」という怪しげな案内が…。表の本尊に対し、どうやら須弥壇の裏に裏本尊が安置されているということらしい。

表を観ていないが、いきなり裏へと行ってみよう。そこにはどんな空間が広がっているのか。

方丈の玄関から入っていく。本堂の裏へと連絡しており、その通路は暗く、照明としてはろうそくのみが灯っており、怪しげな雰囲気。


裏地蔵。やはりちょうど須弥壇の裏に安置されていた。笠のようなものがたくさん重ねられているものがいくつか立っている。それぞれ地蔵に重ねているのだろうか?

 
パースのおかしい怪しげな絵も。かつては今よりもっと堂宇があり、人も集まって隆盛を誇っていたんだよ、ということだろうか。ただ、どうみても昭和の末に描かれたようなこの絵では、一次史料どころか二次史料にもなりえず、何の説得力も持たないが。

ただ、古い歴史を持ち、数々の権力者がここに参詣していたこと、庶民からの尊崇を集めていたことは確からしい。

 
さて、方丈を出て書院へ。落ち着いた雰囲気の庭があった。雨粒が水面を打つ音も軽やかでいい。

 
書院のさらに奥には、庫裡(?)と阿弥陀堂(右画像)。それぞれ建築は立派なもの。阿弥陀堂は開放されており、外からでも阿弥陀如来像を見ることができるようになっている。右画像から酷い雨なのがわかるでしょ?

さて、そろそろ本堂へ。本尊の地蔵菩薩はどうやら秘仏のようだ。境内の巨大地蔵菩薩像は、この秘仏の前立としての位置づけにあるらしい。

それでは本堂内部のチェックを始めますか。本堂内にはほとんど照明がなく、かなり暗い。何があるのかよく分らなかったが、目を慣れさせて発見したのが天井絵と額。

まずは天井絵。ずっと上を見上げていたら何かが描かれているのに気づいた。さらに慣れさせると龍が描かれているのに気づいた。みやげもの売り場に寺務員がいてこっちの様子をずっとうかがっていたが、どこをみても写真撮影禁止との触書はないので、フラッシュを焚いて撮影してみた。

 
外陣の天井には二匹の龍が描かれていた。なかなか大胆なタッチで気持ちがいい。金が残っており、描かれた当初はもっときれいだったに違いない。海から出現する様を描いており、火伏せの意味があるのかもしれない。

先ほどからこちらを伺っている寺務員は何も注意してこないので、たぶん撮影可だったのだろう。おそらく怪しげなので見ているようだった。本堂に入るなり上の方ばかり注視している拝観客など怪しいに決まっている。

 
続いては額。おそらく明治〜大正期に奉納されたかと推察される額。着物の女性たちがあり、それぞれに実際の布が貼り付けられており、ある種三次元的表現となっている。女学校生徒の奉納かと思い、見てみると「教先学校裁縫科」とあった。「教先学校」とはいかなる学校なのか調べてもわからなかったが、おそらく良妻賢母を目指して勉強する専門学校だったのだろう。裁縫の技術が上達するようにとの奉納だろう。


他に鳩を描いた額も。なかなかかわいい。

さて、もう見つくしたので立ち去ろう。先ほどから寺務員の凝視が気になって落ち着くどころではない。

自転車のサドルに溜まった雨水を払って駅へ。駅前の通りは「うだつのあがる町並み」として観光資源になっているようだが、そこまで見る気力がない。早く自転車を返して落ち着きたいので駅まで戻ってしまう。

ちなみに「うだつのあがる町並み」とは、「卯建(うだつ)」の付いた町並みがここ木之本にはあり、慣用句を逆にもじってネーミングしたもの。卯建の有無は、その家の裕福度を量るステータスとなっていたことから、どこか自慢げだ。


木ノ本旧駅舎前のポストには、兜が乗っていた。豊臣秀吉のものだろうか?

観光案内所に自転車を返却。職員が「本当に行きはったんですか?」と聞いてきた。レンタサイクルを借りる際、行先を書いておくのだが、それを見て驚いていたらしい。この大雨の中、自分でもよくやったよなぁと呆れてしまう。

駅の休憩所でやっと一息つく。電車の到着まであと20分もある。落ち着いて今後どうするかを考えよう。。実はこのあと彦根でもレンタサイクルを借り、効率よく各物件を見てまわろうと思っていたが、雨の中自転車を漕ぐのに既にうんざりしているのと、彦根はある程度都会のため、木之本と同じようにはいかないとの思いがあるため、諦めてバスで廻ることにする。既に一時間押しの状態のため、今回は予定をある程度変更することとした。

というわけで、処遇にうんざりしていたレインコートを捨てていくことにした。ここからは傘。

ところで、彦根のバスというのは、彦根の各観光スポットを回っていくボンネットバスで、完全な観光循環バス。一時間ごとに運行しているので、これをうまく使って彦根の諸物件を見て回ろう。

ここまで全く時間の余裕がなかったので、この待ち時間はうれしい。ドリンクを飲んで少し体を落ち着けた。先ほどまでびしょ濡れだった服も乾き始めていた。夏場なので乾燥が早い。


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