雍州春景 2007年3月30日〜4月1日

念願の魚雷観音(跡地)を偶然観ることができた。そろそろ宝厳院へと向かおう、と踵を返すと、またまたとんでもないものが視界に飛び込んできた。


なんと羅漢像…。どこぞの寺のものかは分からないが、境内という訳ではなく、一般の道路の脇に、いきなりこんなスペースがあるのだ。

それにこれらの羅漢像、なかなかに炸裂している。


なぜか長髪の羅漢が居たり(しかもパーマかかってるし、犬抱えてるし…)、頭の上に小さな仏像をのせてたりするし…。


じゃれてくる獅子に露骨に「やめろや」的態度。それに、手前に見切れている羅漢はどうだろうか…。


手前の羅漢は顔を裂いて、中から新しい顔が出ている。二十八部衆の散脂大将など他にも例があり、こういう像はそれほど珍しくはないが、知らない人はびっくりするだろう。あまつさえ西洋人が観たとしたら、これを聖人と誰が思うだろうか…。正直自分だって怖い。その後ろには蔵王権現チックなやつも立ってるし…。

これらの羅漢像は嵯峨野羅漢と呼ばれているらしい。どの寺の所有物かは分からず…。

付近はよく人力車が通るが、たまたま通りがかった車夫の兄ちゃんが「これ、羅漢像っていうんですけど、夜ここ通るとね、すっごく怖いんですよ…」と言っていたのを聞いてしまった。やっぱ怖いんだね…。


さていい加減に宝厳院に、と思って振り返ると、そこにも石像…。仏像とは違うようだ。なんだか大陸チックな官僚の服を纏っているので、朝鮮半島によく立っているというトルドルハンかもしれない。しかしなぜそんなものがここに立っているのだろう…。

魚雷観音や奇抜な嵯峨野羅漢といい、このあたりはどうかしちゃってるよ。一切説明がないしね。このいきなり感もすごいなぁ。

宝厳院


宝厳院の入り口はなかなか小粋だった。受付のじいさんが暇そうにこっちを見ていた。

 
内部はひたすら庭園が続く。仏堂のようなものはほとんどない。苔、苔、苔。


ただし、岩や川、太鼓橋などアクセントもあるので、不思議に飽きない。人もほとんどいないし、なかなか落ち着ける。

この庭園は「獅子吼の庭」と呼ばれているが、その荒々しい名とは正反対に静かな雰囲気で、ミスマッチな印象を受けるが、この場合の獅子とは釈迦如来(というか仏陀・如来)を暗示しており、「獅子吼」とは仏による説教を意味しているのだ。

さらに、この寺が禅宗であることを鑑みると、この庭園を散策すること自体、仏の説法を聴くことと同一であることを暗示していることが分かる。禅宗では、息をすること、目覚めること、食べること、眠ること、日常の行動すべてが修行である。果ては歩行禅といって、歩く禅行もあるくらいだから、庭園を散策することは、自己と世界とをぴったり重ねあわせるための修行でもあるということになる。

上の画像で、石橋の傍にある巨石は「獅子岩」と呼ばれ、すなわちこれが説教の主体である仏陀ということになろう。そして「庭園には必ず中心となるものがある」という基本にしたがえば、この「獅子岩」こそが文字通りこの庭園の中心であり、庭園を存立させている根本ということになろう。

ただ、この寺を春に公開する意味は果たしてあるのだろうか? やはり秋が真骨頂で、庭園は真っ赤に染まるらしい。初夏も特別公開があるそうで、涼しそうな雰囲気のようだ。

 
他に茶室があった。やっぱり奇抜。このセンスはすごいよね。不思議な造りをしている。左右非対称という点ですでに格好いいよなぁ。

ところで、宝厳院でもらったパンフレットには、先ほどの奇抜な羅漢についての説明があり、どうやら嵯峨野羅漢はここ宝厳院の管理下に置かれているようだ…。


次へ 雍州春景 トップへ
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送