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近畿の古刹巡り 2008年3月16〜18日

朝護孫子寺

ちょうごそんしじ

奈良県生駒郡平群町信貴山2280-1

近鉄信貴山下駅から奈良交通バス信貴山行き「信貴山」下車徒歩15分

マピオン

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朝護孫子寺

生駒から信貴山下まで移動。バスを待つ。まだまだ9時で寒い…。私の他にはおばさんがバス乗車。

このページの交通案内には、「信貴山」というバス停で降りるよう書いたが、実は一つ先の「信貴山大橋」というバス停が最寄りだ。ただし、帰りは「信貴山大橋」バス停を通過するバスが少ないため、場合によっては「信貴山」バス停まで歩く必要がある。要するに「信貴山」バス停発・止まりのバスがあるということ。

山門とその付近に立つおびただしい数の石像地蔵。

額には二頭の虎。

朝護孫子寺の本尊は毘沙門天。寅歳の護り本尊は毘沙門天ということで、朝護孫子寺は虎だらけなのだ。

境内の入り口に立つ巨大張り子の虎。子供まで居た…。先に見えるのは掛け造りの本堂。とにかく境内が広大で、堂宇もひしめきあっていて、配置や境内を把握するどころではない。そのため、ここではただただ私が見た順に画像を紹介していくことにする。

いきなり現れた稲荷社。大木の下にたたずむ感じが良かった。なかなか迫力のあるキツネが水を吐き出していた…。

庫裡? 玄関内にも張り子の虎。軒の彫り物も虎だ。

なんとなく足下を見てみたらなんと狛虎! 阿吽ではなかったけど。

どこかの堂宇をつなぐ回廊の下をくぐって。おそらく宿坊か? 境内図が欲しいなぁ…。

梅も咲いていて雰囲気が良い。

何故か「1億円札」の束をくわえている虎…。全部で5億円くらいか…?

絵馬には張り子の虎とムカデ。のぼりにもムカデが。ムカデも毘沙門天の眷属。ムカデは、鉱山で働く山師の言葉で「金脈」を意味する。一方毘沙門天は金属神としての側面があるため、その点において繋がっている。

三重塔と、その前に立つ巨大地蔵。地蔵の内部は「胎内」となっていて、なぜかたくさんの提灯が下がっていた。

三重塔の内部。上に登ることができる構造になっていた。二層目は仏像が雑然と置かれていた。あれ、もしや? と思っていたら立ち入り禁止だった…。普通に階段への扉が開いていたので、すっと登ってしまった…。朝の掃除のために、開けていたにすぎなかった。

一層目の奥には…たぶん愛染明王が。

三重塔のあたりから本堂を望む。

張り子の虎は勿論、招き寅まで…。商魂たくましい寺。

三重塔の近くに建つ多宝塔。なんだか塔が連続しているとクドい…。

経蔵。軒下の彫り物が素晴らしい。

輪蔵だった。内部は絢爛豪華。四隅には四天王まで配置している。

トイレには粋な「記号」が。手を挙げているところで、ここから先は別だよ、ということを伝えている。

これを見て不思議に思った。このイラストを見て、どうして人は「性別によって入る所が違う」と分かるのだろう。これは奇跡じゃないかと。

「紺→男性、赤→女性」と認識もそうだけど、色を抜いてもどっちが男で女かということも分かってしまう。

何気なく見えて、実は利用者にかなりの前提を強いているんだなぁと。

本堂はもうすぐなのだが、その前に宝物館を見ておく。

やはり毘沙門天像が多い。右は兜跋だ。

これは核家族。中央に珍しい座像の毘沙門天、脇侍として奥さんの吉祥天と息子の善膩師童子。

降三世明王像。なぜこれだけが?

役小角画像。前鬼と後鬼もいる。3Dの像はよく見るが、2D画像は意外と珍しいのではないか。

不動明王も。キンカラの表情がもの凄いことになっているが、大丈夫か?

なんと刀八毘沙門天の画像も! 画像としての刀八毘沙門天は初めてだ。頭上に如来を乗せている。10本腕で8本の剣を持つ。三面で獅子に乗っている。これまで見たものとあまり差異はない。

さすが毘沙門天の寺だけあって、いろんな毘沙門天がいる。

信貴山中興の命蓮上人。ちなみに開基はよく分かっていないが、おそらくは現在のように昔から庶民信仰、現世利益の盛んな雑多な宗教施設で、自然発生的に始まったので起源がよく分かっていないのかもしれない。

頭上には飛龍、手前で瓶を持つ剣鎧童子。どちらも見た目そのままという名を持っているが、護法善神である。

宝物館イチオシの物件は「信貴山縁起絵巻」だ。ただし、実態としては命蓮が主人公であり、「信貴山縁起」を伝えるものではない。

「飛倉の巻」。命蓮が信貴山で修行している時、山崎長者という人物に対して念力で鉢を飛ばし、米を入れてもらっていた(おそらく布施ということだと思う)。ある時、長者が鉢を返し忘れて倉に鍵をかけて仕舞っておいたところ、鉢が倉を押し上げて倉ごと信貴山に飛んでいく。左の絵は倉が飛び始める様を描いている。人々の驚きの表情が漫画ぽくて面白い。

飛んでいく倉を追いかける家人たち。

鉢が見える。人々の驚きの表情が細かく描き込まれている。

鉢の隣に座っているのが命蓮。すなわち、ここに描かれているのは信貴山である。

「延喜加持の巻」。醍醐天皇が重い病気にかかったとき、さまざまな方法で回復を試みるが、どれも失敗した。そこで信貴山の命蓮はどうか、ということで、都に来てもらうようにすすめるが、命蓮は信貴山から護法童子を飛ばす。

左の絵は法輪に乗って飛行機雲を発生させながら醍醐天皇のもとへ飛ぶ護法童子。

護法童子は醍醐天皇のもとへ降り立ち、天皇の病気が回復する。

実際は天皇は回復せずにまもなく死亡している。

面白いのは、上の画像とは左で繋がっていること。コマ割のない漫画のようになっている。異なる時間を同一の空間上で表しているのだ。

護法童子が格好いいので、アップでお見せする。雲が、阿弥陀来迎図のように波打っている。

「尼君の巻」。命蓮には尼である姉がいて、奈良で修行していたが、命蓮を探して旅立つ。左の図は東大寺の大仏殿。手前でまどろんでいるのが姉の尼。

どの巻も、命蓮が信貴山から一切動かないのが面白い。

朝護孫子寺で見た狸はこれだけ。「これだけ」というのは意味がある。

毘沙門天には、製鉄の神としての側面もあり、狸も毘沙門天の眷属である。なぜなら、製鉄に使用される「ふいご」(溶鉱炉に空気を送る)と狸に関係があるからだ。

虎やムカデはそこらじゅうに居るのだが、狸はここだけだったのだ。

ようやく本堂に行き着いた。しかもここは朝護孫子寺の境内の果て。ここ以降は無く、これまでの道を戻るしかない。

本堂の額。ここにも左右にムカデが彫られている。

本堂の軒にもつがいのムカデ。

朝護孫子寺に来て、一番やりたかったのがこれ。戒壇めぐり。右が入り口で出口は左。なんと図面があり、ネタバレしてしまっている。なんと堂々と。

右手で壁を触りながら進んでいたら、いきなり格子に触れたのでなんだろうと思い、一枚目を撮影。中に何かがあるということで、格子の中を撮影したのが二枚目。ミニチュアの仏像が並んでいた。

紹介する順番が逆になったが、入り口。

本堂をクリアしたので、今度は戻らなくてはならない。境内入り口から本堂まで一本道ではなかったので、帰り道は違うルートを辿っていく。

石柱の上に金銀の阿吽の虎。成金趣味っぽい。

またまたとんでもないものを…。虎のトンネル…。しかも背には子虎が…。内部は四国八十八カ所のお砂踏み霊場に

なっている。ここまで虎にしなくても。

正面からみると、こんなとんでもない感じ。あごのはずれたネコのようだ。ちなみに内部はちょっとした洞窟空間になっている。お砂踏みと言いつつ、絵馬が掛けられていた。胎内くぐりの意味もあるようだ。

ここは千手院という宿坊。笑寅。笑ってるかな…。右画像は神道式の鏡だが、叢雲にやっぱりムカデが彫られている。

毘沙門天信仰というのはやはり民間信仰だと思う。見た目は仏教や神道だが、その内実は違う。境内が雑多なのも現世利益を求めて常に拡張していった歴史が地層のように重なっているからだろうし、仏教と神道が混在しているのも、決して神仏習合だからなのではないのだ。いいところ取りをした結果が、この朝護孫子寺という寺なのだ。宝山寺も同じ感じがした。なかなか難しい。

これは千手院の庭と、宿坊。池に糸が張ってあるのは、池の魚を鳥が食べにこないようにしているためだという。なるほど、他の寺でもよく見かけていたが、そういう効果があったのか。宿坊は木造二階建てのようだ。

二階部分の廊下。絨毯敷きになっている。決して水に濡れて汚れているわけではなく、雲を表しているとか。

実際、泊まっている人がいた。一番いい部屋を見せて頂いたが、襖には龍が描かれ、派手な毘沙門天の画像なども掛けられていた。落ち着きのない感じがしてあまり泊まりたいとは思わないな…。

最後に、護摩堂の内部を見せていただいた。毘沙門天三尊像が中心に安置されていたが、気になったのは本堂右側にひな壇に何体も安置されていたほう。案内していただいた方に訊くと「二十八使者」というそうだ。調べたところによると、眷属だそうだが、あまり詳しいことは分からず。ヤクシャの類のようだ。

朝護孫子寺では、毎年10月に二十八使者に扮した練り行列があるという。これもどうだろう、阿弥陀二十五菩薩練り供養から強引にいいとこ取りしたような感じがある。

なかなか面白い寺だった。

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