高野山奥の院
さて、今日はいよいよ念願の高野山。5:00起床。かなりな早起きをして電車へ乗り込む。
昨日心配していたチェックアウトだが、6:00前だというのにフロントには人がいて、杞憂となった。
予定を変更したので、最初の乗り換えが面倒になってしまった。近鉄八尾から鶴橋、JRに乗り換えて新今宮。そこから南海。これでぼーっとしていれば高野山へとたどり着く。
南海北野田駅。「きたのだ」という駅名がなんだか面白くて撮ってしまった。今日は平日のため、普通に通勤客がいる。自分が乗っているのは下りの電車のため、通勤ラッシュの時間帯にもかかわらず空いていた。
美加の台駅を過ぎると山がちになり、いくつものトンネルを抜けていく。
「学文路」と書いて「かむろ」と読む。面白い地名があるものだ。「かむろ」という音が先にあり、後付けとして字が充てられたのだと思う。だから文字の選択には意味がない。どうでもいいが、奈良の「なら」とは「平たい」という意味で、土地が平坦なことを意味している。だから「奈良」とは充て字だ。その昔は「平城」と書いて「なら」と読んでいた。この場合、「平城」(=「平坦な都市」の意味)という漢字の音を完全に無視している。意味を大和言葉で読んだものだ。
高野山に近づくにつれ車窓は再び山がちになる。終点極楽橋駅からはケーブルカーに乗り換え。それなりに客がいた。
ケーブルカー終点の高野山駅からも金剛峯寺の境内までは距離があるため、バスに乗り換える。時間が限られているため、一番遠い奥の院までまず行ってしまう。
奥の院入り口。荘厳な感じがする。 |
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歴史上の著名人の墓があるが、あまり興味はない。
左は新明和工業の慰霊碑。ロケットだ。誰しもがびっくりするはずなのだが、他の拝観客は怖いくらいスルーする。意味不明過ぎて見なかったことにするのだろう。
左は日本しろあり駆除協会のしろあり慰霊碑。「やすらかにねむれ」が「そして伝説へ」的なサブタイトルになっている。シロアリ駆除の業者もシロアリが居るおかげでご飯が食べられるわけで、慰霊の対象になっている。ところでどうしてこの形をしているのだろう。ちなみに京都の霊山観音にはふぐ慰霊碑がある。これもふぐ調理師協会によるものだ。
左は福助の慰霊碑。勿論中央にあるのは福助。右は…いわずもがな。もはやCMになっている。
左はUCC。わかりやすすぎる。右は麒麟麦酒だ。やっぱり麒麟だが、ラベルとはデザインが異なっている。
写真業界の慰霊碑。ずらりと並んだパネルは全て慰霊の対象人物の写真。 中央に立つのはきっとフィルムだろう。 |
動物供養塔。薬壷を持っていないが、きっと薬師如来だと思う。十二支がいるからね。少しわかりにくいが、右の方で手を掲げているのはサル。手で捕まえているのはたぶんカニ。さるかに合戦を意識したのか?
贅沢なことにウサギは二体いた!可愛すぎ。
慰霊碑群を抜けると、いよいよ高野山でも最も聖域なる場に近づいてくる。奥の院の終点は、空海が入定した場である。 杉に囲まれ、荘厳な雰囲気が増してきた。 この後、歴史上の著名人の墓所が続くが、あまり興味がないため紹介はしない。 |
さて、空海の廟が近づいてきた。手前には川が流れている。この川を越えると聖域となる。 川には沢山の卒塔婆がささっていた。流灌頂というらしい。灌頂というのは、直訳すると「頭に水をそそぐ」という意味で、仏法の正統な継承者や王者の即位に対して行う仏式。バプテスマと類似しているところがある。ヒンドゥーでも沐浴があるし、神道では禊ぎがある。水が聖なるものなのはどこの世界でも共通しているらしい。 ここでは、高野山で最も聖なる場に流れる水に絶えず浸るということを以て灌頂というのだろう。この場には荘厳な雰囲気がある。 |
灯籠堂の軒下にはたくさんの灯籠がつるされていた。 真っ暗ではないが、行き帰りの道が異なるので、ちょっとした戒壇巡り気分。 |
灯籠堂の奥にはもう一つの堂宇が。経堂だろうか…。 |
おそらく水子供養塔。あそこまで積み上げるのは凄い。 さて、そろそろバスの時間なので戻ろう。 高野山内は広いので、バスで移動しなくてはならない。 次は金剛三昧院。 |