左手に東寺五重塔が見えると京都駅。たしか三尾へはJRバスが出ていたはず。余裕があればトイレへ、と思っていたら、乗り場には既にバスが。時刻表を見れば確かにもうすぐでてしまうらしい。現在既に11時になろうかというところ。乗り換えのロスは少なくしたいのでトイレをガマンするしかない…。三尾までは小一時間もあるのだが…。

バスは間もなく出発。乗客はほとんど観光客といったところ。市バスとは違ってバス停の数も少ないし、このまま三尾まで行ってしまうのだろう。

三尾(みお)とは嵐山・嵯峨野の先の神護寺、西明寺、高山寺の三寺周辺の地域を指す。三寺の山号(高雄、槙尾、栂尾)から三尾という。今回初めて訪問するエリアだ。


出発してすぐに見かけた左官の専門学校。

二条駅、大将軍を通過し、立命館大、竜安寺、仁和寺を経ると、バスはのどかな路に入っていった。依然膀胱はキビしいまま…。

神護寺と高山寺に訪問の予定だが(西明寺も入れたいが時間的に無理がある)、問題は順番。膀胱的には手前の神護寺で降りたいが、これからのスケジュールを考えると、一番奥の高山寺まで行ってしまったほうがいい。

高山寺の栂尾バス停で下車。一目散にトイレへ。

バス停から境内まではわずかの距離。紅葉の時期ということで入山料400円を払って境内へ。まだまだ紅葉のピークではないが、確かにところどころ色づいている。これもなかなか奇麗だ。

紅葉も気になるが、ここ高山寺は鳥獣戯画の所有者(東京国立博物館に出展中で寺にはレプリカがある)ということで、それにまつわるみやげものなどに期待している。


境内に入るとすぐに石水院。内部を拝観できるが、とりあえず境内を一巡してからにしよう。

左手には茶園。高山寺と茶の関係は、中興の祖である明恵にはじまる。宋から帰った栄西から茶を贈られた明恵は、各地に茶の生産を奨励して廻ったのだという。

明恵に関しては、彼の弟子成忍の画にてその像が知られるが、以前から見知っていたこの画像はなかなか興味深いものだ。木々の生い茂る山中にて、樹木の上で坐禅を組む明恵を描いているのだが、そこに居るのは明恵だけではない。枝にとまって首をかしげる一匹のリス、またつがいの小鳥が四組描かれている。小鳥たちが遊ぶように飛んでいることから、それらが明恵を警戒して逃げているのではないことが分かる。明恵は彼らに全く警戒心を与えていないのだ。

明恵の坐る木の小枝には香炉がかけられており、それは彼が集中するのに役立てられている筈だ。自分は坐禅の経験がないが、坐禅中の彼がどのような境地に至っているのかを、この画像から何となく理解できる。

禅においては、言葉は徹底的に排除されるべきものである。ソシュールによれば、言葉は世界を区切るものである。創世記のアダムの話のように、既に事物が存在していて後からそれらに名前を付けたわけでは決してない。渾沌を区切ること、すなわち言葉を使うことではじめて秩序が生まれ、世界が存立するのである。あらゆる動物のなかで人間のみ無力な時期(赤ん坊の時期)が極端に長いのは、言葉を習得する時間が必要だからだ。逆に言えば言葉を知らない人間、あるいは言葉を失った人間は人間ではない。

『現代のエスプリ』475号(構造構成主義の展開)において、「無思想の意識化」という論文で養老孟司がこう書いていた。「互いに違うはずのものを「同じもの」として捉えることができるのは言葉のお蔭である。動物の感覚が人間のそれに比べて特別に鋭いわけではない。動物は言葉を持たず、全てを異なるものとして認識するので、そう見えるだけだ」(部分要約)

さて、明恵に戻ろう。坐禅に集中している明恵は言葉を忘れているはずである。すなわち世界をそのまま渾沌として捉えており、全てを異なるものとして感覚している。そしてそれはちょうど動物と同じ境地である。明恵の周囲に動物を描くのは、彼に殺気が無いことを示すだけでなく、彼がそういった境地にあることを暗示するためではないだろうか。ちなみに高山寺としては単に「彼の慈悲心の現れ」としている。

もっと言えば、この画の中の坐禅中の明恵は全体に浸透し、分散してしまっている。明恵は世界とぴったり重なっているのだ。成忍が、坐禅している明恵だけでなく、木々や岩肌、鳥やリスなども描いた上で「明恵上人像」としているのは、そういう理由によるものだろう。

日本の絵画には古くから動物が描かれている。このような画像を観るたび過去の人も動物を愛でるべき存在として捉えていたんだなぁと思い嬉しくなる。ちなみに、人類学によれば、人間が動物に対して取る態度は三つあるという。「食べたい」「かわいがりたい」そして「なりたい」なのだという。明恵の画像についてはもちろん「かわいがりたい」もあるのだろうが、おそらく「なりたい」という動機から描かれているのだと思う。

ちなみに明恵はこんな歌を詠んでいる。
あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月
「松島や ああ松島や 松島や」のような何ともお茶目な歌だ。

明恵についてもう少し書くと、彼は自分が見た夢を40年間書き留め続けていたという。なかなか興味深い。

 
非公開の収蔵庫を過ぎると開山堂。残念ながらこれも非公開。オレンジから緑へのグラデーションもなかなか奇麗じゃないか。


こういうのも良いよね。

 
金堂。ただしここも非公開。本尊が安置されているはずだ。まだまだもみじは緑色。ただこれもこれで奇麗だ。


金堂道。この先が正式な参道になる。今回このまま戻ってしまったので、この先にあるパンフレットなどでよく見かける菱形の飛び石を見逃してしまった。


境内の至る所に鳥獣戯画の意匠が使われている。

さて、再び石水院まで戻ってきた。境内の堂宇を拝観できなかったので、この石水院を観ておこう。拝観料は600円。入山料と合わせると1000円となる。


石水院は住宅風(寝殿造り?)。入ってすぐ、なかなかかわいい童子像が合掌していた。


日光がよくあたる木々はよく紅葉している。軒先に出るとなかなかあたたかい。少しのんびりしていくか。

石水院内には、鳥獣戯画のレプリカや先ほど触れた明恵の坐禅画(奈良国立博物館に出展中)などが展示されている。なかでも良かったのは、

この犬! 運慶の作と伝えられている。力強い仏像を多く彫っている彼も、実はこんなかわいいものも造っていたのだ。たれ耳がなんともいえない。やっぱり過去の人も動物に対して「かわいい」という感情を持っていたんだなぁ。売店ではこの犬のレプリカが売られているが、お粗末。そのわりに高くて買う気にはならなかった。

 
茶室で抹茶を頂いた。実は寺で抹茶を頂くのは今回が初めて。石水院を眺めながら。茶菓子は小豆を寒天で固めたもの。砂糖をかじっているかのようにサクサクしている。ひたすらに甘い…。茶菓子の袋も鳥獣戯画をモチーフとしたもの。ここ高山寺オリジナルの和菓子だ。記念に袋も頂いた。

おばちゃんの団体さんがぞろぞろと入ってきた。石水院も騒がしくなってきたので、そろそろ出よう。

バス停の付近には、川魚をメインとした和定食を出す店などが並んでおり、なかなかに食欲をそそる。

やってきたバスに乗り込み、神護寺を目指す。京都駅から同じバスに乗っていた一人旅風の女性(さきほど自分と入れ替わりに抹茶を頂いていた)は途中の西明寺で下車していった。


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