秋ならきょうと 2006年11月5〜7日

出発までの顛末

11月の三連休には、今年のお盆に行った「大和路巡礼」で行き損ねた場所を訪問しつつ、紅葉狩りなど楽しんでみようと、以前より考えていた。

ただし、3〜5日の三連休を選ぶのは無謀過ぎると考え(宿の問題のほか、何より各所で混雑が予想される)、思い切って連休明けの6,7日に有給を取り、5〜7日の三日間に奈良を訪問することとした。

今回は、興福寺の国宝館、宝山、生駒、当麻、飛鳥、吉野などに加え、京都は三尾地方まで足を伸ばすというなかなかハードな予定をたてている(かなり無茶)。さらに、出発間近になって調べていると、京都の諸寺では紅葉のシーズンに合わせていくつかの寺で特別公開を行っているようだった。時間が許せば東寺、仁和寺などにも訪問してみることにした。

こうして一ヶ月前から諸準備を進めていたが、今年は気温が高く、残念ながら11月上旬頃はまだまだ紅葉のシーズンとはならないとの予測がたっていた。

さらに悪いことに、10月の下旬頃から体調を悪くしてしまった。発つまでにはなんとか治るのではないかと思っていたが、前日になっても体がだるい。体温計をくわえてみると平熱だった。ただそれでも体がふらふらする。最悪旅行の取りやめもやむなしという状況の中、とりあえず支度をして寝た。

当日を迎えて

そして旅行当日の朝。体調が回復している感じはしない…。かなり迷ったが、東京駅へと向かった。

東京駅を6:00に出る始発ののぞみの指定席に陣取ったが、体調への不安は依然として消えない。倦怠感のほか、吐き気も感じている。散々迷ったあげく、出発1分前にホームに出た。ゆっくりとホームのベンチに座り、目の前でのぞみが発つのを眺めた。

どうしても三日間も旅行をし続ける自信が無かったのだ。だって、あれだけ楽しみにしていた旅行なのに、既におっくうに感じてしまっていたからだ。興味が無くなっている状態で行ったとしてももったいない。体調が悪いならば回復に努めるほうが賢明だ。そう考えた。

出発を断念

旅行をとりやめてしまったので、4万円を捨てることになった。いつもは自分自身できっぷを手配して旅行しているので、キャンセルするにしてもかなりの融通が効くのだが、今回はたまたまJRのプランを利用していたために、都合が悪い。キャンセルするには、旅行の契約をしたびゅう店舗まで行かなくてはならない。びゅう店舗が開店するのは10:00、しかも自分が契約した店舗はこの日休みなのだ…。要するにキャンセル不可、全額が戻ってこないことになる(しかし本当は、最寄りのJR駅に行って駅員に指定席を取り消してもらい、さらに自分で宿に連絡してキャンセルし、後日びゅう店舗で取り消し手続きを行えば、損失はキャンセル代(総額の30%)で済むのだが、この時点ではそのことを知らなかった)。

さらに、二日も貴重な有給を取ってしまっているのだ。この損失もなかなかキビしいものがある…。ただ、体調が悪ければ有給を取らざるを得ないし、まぁ仕方無いか…。旅行に行ってもいないのに4万と有給2日が飛んだ…。

とんぼ帰りで自宅。朝ごはんを食べて睡眠を取った。

再び東京駅へ

起きたのは11:30を過ぎた頃。ちょっと体調が回復してきたように思う。行けるだろうか…。のぞみの指定は逃したが、新幹線の特急券はまだ活きている。乗り遅れたという扱いになり、後発の自由席には乗れるのだ。旅行に行っても行かなくてもいずれにせよ4万円は飛ぶのだ。現地で体調が悪化したら宿で寝ていればいいのだ。行ってしまおう。再度東京駅へ。

三連休とはいえ、その最終日であるためかのぞみの自由席は難無く確保できた。しかしのぞみが出たあとで吐き気がしてきた…。やっぱりやめておいたほうがよかったか…。

のど飴などで気分を変え、なんとか京都駅に到着したのはもう14:30を過ぎた頃。そして奈良に着いたのは15:00過ぎ。既に予約している宿のチェックイン時間になっていたので体調が悪ければこのまま宿に入ってしまおうと思っていたが、近鉄特急に乗っているうちに気分が回復したので、少し物件を訪問してみる(新幹線で気持ち悪かったのは、どうやら酔っていたかららしい…)。

不安をかかえながらスタート〜計画の変更

本来の予定では、初日に興福寺国宝館、ならまち散策、宝山、生駒を訪問することにしていたが、すでに夕暮れが近いので、今日は興福寺国宝館とならまち散策で済ますこととした。全体的な流れを考えると、今回の旅行では、宝山と生駒はパスせざるを得なくなった。

興福寺国宝展に遭遇

近鉄奈良駅から徒歩で興福寺へと向かっていると、いつも閑散としてるはずの三重塔の辺りがなんだか騒がしい。実はこの時期、興福寺では国宝展と称して、三重塔、北円堂、仮金堂が特別公開となっていたのだった。目的は国宝館のみだったが、なかなかこんなチャンスに巡り合わせることはないだろう。ということで国宝館もセットで観られる特別拝観券をもとめて、順に観ていくこととした。

興福寺三重塔公開

まずは三重塔。いつもは誰も見向きもしない三重塔だが、今回は人々が群がっている。塔に関してチェックすべき項目は主に以下の二つ。一つは内部に何が安置されているのか、そしてもう一つは二層目、三層目に床があるのか(階段・はしごの類が存在するか)。

初層の東面(正面)には、弁財天像が安置されていた。割と小さい。眷属として十五童子が配置されていた。調べたところによれば、弁財天の眷属として十五童子を備えるのはそう珍しいことではなく『仏説最勝護国宇賀耶得如意宝珠陀羅尼経』という経典に描写されているらしい。弁財天の功徳をそれぞれに表しているのが十五童子(あるいは十六童子)なのだという。すなわちそれぞれが弁財天の分身ということである。

ここで、その経典に宇賀耶(ウガヤ)という名が入っているのが注目される。ウガヤとはサンスクリットで水を意味する。日本では白蛇に翁の首を持つ稲荷神(宇賀神・ウカノミタマ)と同一視され、水神(なんせ蛇だし)、すなわち農業の神として祀られている。秋になると山から下りてくるキツネが、稔りの使者、つまり稲荷神の眷属と考えられるようになった。

ついで、仏教によって将来された弁財天(サラスヴァティ)が乗っている野干(日本には存在しない動物)が、日本ではキツネと同一視された結果、元々河の神であるサラスヴァティが、日本における水神の宇賀神と同一視された。そのため日本では、弁財天の頭上には白蛇身翁面の宇賀神が乗っているのである。

ひょっとすると『仏説最勝護国宇賀耶得如意宝珠陀羅尼経』は、弁財天ではなくウガヤ神についての経典であって、十五童子は本当はウガヤ神の眷属なのかもしれない。

三重塔の本尊として弁財天とは珍しい…と思っていたら、説明用の看板によればこの弁財天は江戸時代の作。一方三重塔自体は12世紀の創建(地味だが、五重塔より古い建物なのだ)。つまり、後から弁財天が安置されたにすぎない。それでは元々の本尊は何か?と係員に訊いてみたところ、この塔の本尊は、塔中央四面に描かれた仏画なのだという。

塔の中心は、X字になっていて、東西南北それぞれの方角に1000体の細かい仏画が描かれている。とはいえ、現在ではほとんど剥落しており、どの仏を描いているのかが不明だ。説明板によれば、東(塔の正面)に薬師如来、南に釈迦如来、西に阿弥陀如来、北に弥勒如来が描かれているのだという。これら仏と方角の対応関係は、オーソドックスなもので特に注目すべき点はない。ただ総計4000体というのは凄い。

西面から観てようやく分かったことだが、天井に取り外し可能な部分があり、係員に訊いてみると、やはり上層部への連絡通路らしい。ただし、はしごや階段の類は無く、必要な時にだけ取り付けるようだ。気になっていたことだが、二層目・三層目にはちゃんと床があるのだという。実際三階建ての建物なのだ。訊けば五重塔も各層にも床が存在するのだという。ただし、三重塔と五重塔もどちらも上層において、例えば法要をするためにはしごをかけるのではなく、主に保守用なのだという。それに上層部に特に仏像や仏画などが存在するわけでもないという。

ただ、興福寺の三重塔と五重塔の各層に床があり、登れる構造を持っていることを確認できたのはかなりの収穫だ。

三重塔を後にして、今度は北円堂。

興福寺北円堂公開


北円堂。いつもは近づくこともできない。一年に一日の公開期が設定されている南円堂より成立は古く、もともとは単に円堂と呼ばれていた。

内部は諸仏が安置されている内陣と外陣とに分かれており、拝観者の参拝道は円を描いていた。これもプラダクシナー・パタの一つだろう(プラダクシナー・パタについては『法隆寺の謎を解く』ちくま新書参照)。

北円堂の中心仏は弥勒如来。現世では菩薩である弥勒を如来としているということは、北円堂内部は56億7000万年後の世界ということになる。弥勒如来の背後にはアサンガ、ヴァスバンドゥの兄弟が控えている。そしてそれらを四天王が守護している。ここの四天王はギョロ目であり、口も独特のかたちで結んでいるので、まるで動物のようだ。


北円堂の入り口には鹿をモチーフにしたデザインの垂れ幕が下がっていた。

興福寺仮金堂公開

続いては仮金堂。境内の北部分にある。現在復興中の中金堂(興福寺の中心的堂宇)の代わりに本堂として機能しており、かつては講堂のあった場所に建てられている。おそらくは中金堂が復興したあかつきには講堂と名を変えるのだろう。

 
南東の方角の鬼瓦にのみ、額に五芒星が。画像は特別拝観が終了した後、閉堂の作業に取りかかっていた係員にお願いして撮らせてもらったもの。

仮金堂内部には釈迦如来と、その脇侍として薬上菩薩、薬王菩薩が安置されていた。中心仏の釈迦如来は江戸時代のものなので、鎌倉期作の薬上菩薩、薬王菩薩は元々は他の仏像を主人としていたということになる。

その四方には四天王。四天王の後背には炎が付いているが、そのなびく方向はすべて本尊の釈迦如来の方向に対して逆となっている。つまり、配置を考えた造形なのだ。釈迦如来から強い風が吹いているということだろうか。ちなみに、それぞれ獅噛がついている。  

さて、もう閉堂時間がさしせまっているので当初の目的だった国宝館を観て終わりにしよう。

興福寺国宝館 板彫十二神将

国宝館内部には実に多くの仏像その他の宝物が収められている。

まずは板彫の十二神将を。その名の通りプレートに彫られたもので、いわば2Dの仏像(?)ということになる。本来は薬師如来像の台座腰板に嵌めていたものと推定されているらしい。

3Dでないものの、なかなか興味深い造形となっているので順に観ていく。国宝館の職員に訊いたところ、右から左のほうへ対応する十二支の順番で並べてあるとか。全体的に神将というよりは邪鬼のようなユニークな造形。なおかつ2Dという制限下の制作とは思えぬほど、それぞれに個性的なポージングと大胆な構図を施しており、よほどのセンスのある作者であったことが伺える。

まずは子のヴィカラーラから。右下の様子を覗うような姿勢を取り、剣の束を右手で持ち、左手で何かを指さしている。「しかし地獄行く」

丑のチャツラ。顔面、首周り、膝など大部分が「白骨化」しており、最も妖怪的な神将となっている。裸足だしね。右方向を向き、左手で鞘を握り、右手で今にも抜刀するかのような動き。さらに内股の忍び足という面白い姿勢を取っているので、ひょっとすると暗殺のミッション中なのかも。注目すべきは、開けた口の中もきちんと彫っていることだ。歯の一本一本も丁寧に彫り抜き、舌まではっきりとしている。

寅のシンドゥーラ。直立して正面を向き、合掌している。つまりいただきますのポーズ。髪が左右対称に逆立っており、まるで炎のようだ。12人中正面を向いているのはこいつだけ。2Dという制限下では、正面向きというのは単調すぎてしまうから意識的に避けたのではないか。

卯のマコラ。右手と左手がクロスしている。左手で金棒を下向きに持ち(左利き?)、右手でピストルのような形を作っている。足は内股で、トイレをガマンしているような感じ。髪はクリクリのパーマ。丸い目を大きく開き、口をへの字に結んでいて、牙が出ている。豚のように鼻の穴が正面を向いている。最も邪鬼の雰囲気を持っている神将。

辰のパジラ。両足をクロスさせ、左足を前に踏み出している(左利き?)。右手には矢じり。こいつも豚のような鼻を持つ。しょんぼりしたようなへの字口。マンガだ。

巳のサンティラ。日本風のくわがた付き兜を被っている。右手で細い棒を掴んでいるが、なぜか人差し指だけぴんとのばしている。

午のマジラ。矢を両手で掴み、ねらいを定めているかのような表情をしている。衣には振り袖のようなものがついており、戦闘の際に邪魔になるのではないか…。

未のインダラ。腰のしめ縄のようなベルトを掴んでいる。なんだか力士っぽい。背伸びしているような感じで立っているので、12人中最も足が長く見えるモデル風神将。

申のアンティラ。装飾性の高い冠を被り、口を開けている。開けた口の中は奥行きがあり、ここだけ3Dになっている。左手を指が反り返るまで大きく開き、何かが下からやってくるのを阻止するかのような姿勢。右手は背中側にある。何か武器を持っているのではないか…。

酉のミヒラ。この12人中最も大きな動きをしている。左足を大きく上げ、足の後を見せている。右手を振り上げ、左手は右方向いっぱいにのばす。広い顔をしている割には、各パーツが中央に寄っている。脚に纏うものは何一つなく、しかも裸足。筋肉や骨などが浮き出てみえる。それほど力がみなぎっているのだ。

戌のヴァジラ。右手で剣を持ち、左手をパー。手のひらをこちらに向けている。注目すべきは頭に被る豚の頭。膝当てにも豚の頭が使われているのだ。とんでもない造形ではないか。国宝館一番の発見だった。

国宝館の係員に「この神将は豚をかぶっていますね」と言ったが、どんなに近づいても「どれ?」と言うばかり。彼には見えていない。彼が見ているのは目の前のヴァジラではなく、あくまで彼の脳の中のヴァジラ像だ。そのヴァジラ像には豚など付いてないのだ。だからいくら近づいても気づくわけがない。そこで他の客に「ここに豚がいますよね」と話しかけてみたところ、最初は「どれ?」と言うが、そのうち見えてきて「ホントだ!」と言う。係員も気づいたらしいが、自分が「ひょっとするとこれは猪なんじゃないですか? このヴァジラは亥神将なのかもしれないですね」と言っても、「…いや、これは戌だから」としか応えてくれない。絶対に「そうかもしれないですね」とは言わないし、自分の知り得ないことは何も言わない。何のための係員なのか疑問に思う。

そして最後に亥のクンビーラ。最も神将らしい神将。右手で剣を持ち、肩にかけている。

これでやっと十二神将が終わった。しかし国宝館の物件はまだまだ続く…。

興福寺国宝館 その他の諸仏

厨子入りの弥勒菩薩半迦像。厨子の左扉内側には、上からヴァスバンドゥ、文殊菩薩、増長天、右扉内側に、上からアサンガ、浄名居士(ヴィマラキールティ)、持国天が描かれている。厨子の内部にもたくさん描かれているようだったが、確認できなかった。十六善神か? 弥勒菩薩の座の下には、静かに潜むように獅子が控えていて、こちらを見ている。また、厨子内部の天井からは飛天がつるされていて、ちょっとしたジオラマ。このちいさな厨子の中に仏教世界を具現化しているのだ。

興福寺国宝館 八部衆

さて、この国宝館で一番の人気グループである八部衆を観ていこう。なかなか個性的なやつらだ。一般に八部衆といえば、天(ディーヴァ)、竜(ナーガ)、夜叉(ヤクシャ)、ガンダルヴァ、アスラ、ガルーダ、キンナラ、マホーラガを指すが、興福寺の八部衆は微妙に違い、五部浄、シャガラ、ガルーダ、クバンダ、アスラ、ガンダルヴァ、キンナラ、ヴィヴァカーラとなる。

まずはおきまりのアスラ像。ここで一番有名なオトコマエであり、修学旅行生の女の子たちが群がっていた。ただ、はしゃぎ過ぎて何度も係員に注意されていたが…。関係の無いおしゃべりをしてうるさいのではなく、純粋な感動(教科書で見たことのある像を目の当たりにした感動)で騒いでいたので、それほど不快感は感じなかった。

このアスラ像、ややもすればその上半身のみに注目が集まりがちだが、是非下半身も観るべきだ。実はサンダルを履いている。また、彼の腰巻きに施された細かな文様も、よく残っている。意外なことに正面の顔には髭が生えている。

次は五部浄。鎧と一体化したような兜(西洋の鎖帷子っぽい)は獣になっていて、獣の口から顔を出している形になっている。つまり、ご当地キティのようになっている。獣だが、にわかには特定しがたい。鼻は中途半端に長く、牙が上を向いて出ている。これらを以て象とすることもできるが、垂れた耳は豚のよう。獏だろうか…。眉間に微妙な力を入れている。鎧の胸あて部分には、花が描かれていたような感じ。お洒落さん。

次はキンナラ。自分はアスラよりもこいつの方がオトコマエだと思った。頭上には一本の角が生えている。

続いてシャガラ。頭から肩にかけて蛇がとぐろを巻いているとおり、つまり彼は龍王。顔が丸く頬がふっくらしているので、幼児のようだ。マホーラガという説もある。

ヴィヴァカーラは口ひげとあごひげを蓄えたおっさんタイプ。格好良く言えばチョイ悪オヤジ。童顔が揃っている中では最も大人な感じ。

続いてクバンダ。顔を赤くし、目を大きく見開いて、口を横に広げている。クバンダはヤクシャの類(つまり悪魔)だ。

次にガンダルヴァ。音楽の髪である彼は、先ほどの五部浄のように獅子の面を被っており、獅子の口の中から顔を出しているような形。目を閉じているが、顔をしかめており、静かな怒りをたたえている。

ガルーダは鳥神だが、ここのガルーダの肢体は人のそれであり、ちゃんと髪と人間のような耳まである。ただし、一見して鳥と分かるような特徴的なくちばしと、鳥のような丸い目を持つ。しかも鶏のようなトサカを持ち、頬には鶏のようなビロンビロンがある。ガルーダは鶏じゃないってば。なかなか面白かった。

興福寺国宝館 正了知大将(「踊り大将」)

他にもたくさん仏像は収蔵されていたが、もう一つ印象的だったものを挙げるとすれば、正了知大将。観音菩薩の眷属二十八部衆の一員であるサンジュニャーナ(散脂大将)の別名だとか(というか、サンジュニャーナの音訳が「散脂」で、意訳が「正了知(正しく了知する)」なんだろうな)。顔が左右に開いていて、中から別の顔が出ているという異形の造形が代表例だが、ここのは違った。一見して毘沙門天のようだった。この像は火事になったら自ら踊り出て逃げたという言い伝えがあることから「踊り大将」と呼ばれているようだ。ま、伝説なんだけど、その光景はヴィジュアル的に凄いぞ。金光経の護法神の一人でもある。

初日の終わり

 
一通り見終えて出ると時刻はもう17:00。南円堂と五重塔が夕日に照らされていた。空は紫色に染まっていて、夜のとばりが間もなく降りようとしていた。ならまち散策はもう無理だ。あまり無理せず、今日はもう宿に入ってしまおう。

近鉄奈良から新大宮駅へ移動。電車内は異様に混んでいた。連休最終日の夕方。家族連れが多かったかな。宿は新大宮駅から歩ける距離のはずだったが、微妙に遠かった。普通は宿の送迎バスかタクシーを利用するような距離のようだ。

JRのプランで泊まった今回の宿は、地下に天然の温泉があるのだが、なかなか疲れていたし、まだ体調にも不安があったので、部屋の風呂を利用した。

夜が更けると気温が下がってきたが、空調を入れても冷たい風しか出てこなかった。まだ暖房には切り替えていないらしい。がまんできなかったので、フロントに連絡すると間もなく毛布と加湿器を持ってきてくれた。

旅を続けられるか不安だったが、仏像を観ているうちになんだか回復してきたように思う。好きなものを観ていると体調も良くなるんだろうか。とりあえず、明日は行程を進めよう。もし無理だと感じたらさっさと東京に帰ってしまおう。


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