仁和寺。周辺は住宅地になっている。みうらじゅんの実家もこの辺りらしい。このままバスに乗っていると龍安寺にも行き着く。もし仁和寺の後で時間ができるようならば行ってみようかな。


仁和寺のでかい山門の前でバスを降りる(画像は境内側から撮ったもの)。

 
山門の外側には金剛力士、内側には二体の獅子が安置されていた。やたらと指の長い獅子。角のあるウン形がオス、天然パーマでア形がメスかな。タレ耳がかわいい!

 
御殿の入り口。メインの参道の西側にある本坊。この先に白書院と黒書院がある。地を這うようにして伸びた松。


入ってすぐのところにマハーマユリ像(ただし模写)。孔雀の羽が光背となっていて面白い。マハーマユリ本体は何故か女性っぽく描かれていた。


白書院から南庭を眺める。砂の海。樹木も年中同じ色の松が中心になっていて、一切の装飾が排除されている。砂の向こうには山門と勅使門。


白書院に掲げてあった額。四字の意味するところは分からないが、「光緒丁亥」という文字が気になる。清の光緒帝の丁亥年は1887(明治20)年。向かって左には「総統毅軍四川提督宋慶敬立」と書いてある。宋慶という名の四川提督から贈られたものと読み取れるが、一切この額についての説明がない。帰り際、受け付けのおばちゃんにこの額の由来を聞いてみたところ「門跡が中国に行って貰ってきたものらしいです」との答えが返ってきたがデタラメだろう。仁和寺は1867(慶応3)年に門跡寺院としての歴史が終わったのだから。


白書院の内部。戸には、松に絡んでいる藤が描かれていた。


白書院から宸殿へ。建物と建物を廻廊で結ぶのは貴族文化に由来している。いちいち履き物を穿いたり脱いだりする必要がないような仕組みとなっている。これも仁和寺が門跡寺院であったことの証左だ。

 
蔀戸。宸殿から眺める南庭は、一本の紅葉する樹木があることで、先ほどとは趣が違ってみえる。


宸殿から見た白書院。


宸殿の内部。あまり違和感を感じないのは、この書院造りが、現在見られる住宅建築の源流だからだ。我々にとって見慣れた造りなのだ。


ここ仁和寺は御室桜で有名。御殿の至るところに桜をモチーフとしたものが見受けられる。画像は桜の下での舞を描いた戸。一年中花見気分。桜マニアの寺なのだ。


宸殿の北側から見た北庭。色のほとんどない南庭とは対照的に鮮やかだ。先には五重塔も見えるように作庭されている。その手前には茶室の飛濤亭が建つ。

 
宸殿の下段の間(左画像)と中段の間(右画像)。東から西へ行く毎に部屋のランクが上がっていく。欄間の透かし彫りもゴージャスな桃山式。西洋で言うところのバロックだ。戸には野狩りが描かれ、上の壁には、飛び交う鳥。部屋に居ながらにして、狩りに出ている雰囲気を味わえる部屋になっている。


そしてこれが上段の間、いちばんランクの高い部屋だけあってゴージャスの極み。天井のカーブもバロックだ。桜もちゃんとおさえてあり、奥の戸には孔雀が。先ほどのマハーマユリと関係はあるのだろうか。


黒書院から見た宸殿。

 
黒書院の先には霊明殿がある。歴代門跡の位牌堂。黒書院とは廻廊で結ばれているが、途中で階段があるように、場所を高くして建っている。


霊明殿の本尊となっている秘仏薬師如来の写真があった。30センチ以下の非常に小さい仏像だが、台座の四面に十二神将が表現されているという非常に細かい仕事。しかし、細い目とヒゲをはやしたその顔はなんだか「水曜どうでしょう」の藤村Dに似ていた。

やっと御殿が終わった。仁和寺はまだまだ終わらない。ちょっと残り時間が気になりはじめる。


先ほど御殿のほうから眺めた勅使門。

 
これでもかと施された透かし彫りがゴージャスだ。

 
参道をずんずん進み、仁和寺の境内最深部の入り口に立つ中門へ。四天王の左右には、鬼のような手下が。正と邪は異にして同一ということなのだろうか。


金堂。元は宮殿で、仏堂に改造された。内部には阿弥陀如来。


金堂の東に建つ経蔵の鬼瓦には、額に法輪を付けたものがあった。

 
五重塔。逓減率が小さく、自分の好み。東寺でも確認した軒下の邪鬼が、ここ仁和寺にもいた。四隅全てにこいつらがいる。最大のズームで手持ちなのでブレてしまい、白い固まりにしか見えなくなってしまった…。

この後、すぐに霊宝館に行ってしまい、観音堂と御影堂を見逃してしまった…。観音堂には二十八部衆も安置されているのだが、普段は非公開。春と秋の特別公開時に公開された実績があるので、次回を待とう。

霊宝館は10月から公開されている。なかなか興味深い仏像が展示されていた。

まず愛染明王。なかなかにでかい。持っている鈴には、ちゃんと中のベロもある。

ダーキニー図像。ダーキニーといえば女性の忿怒神なのだが、なぜかこのダーキニーは男性。乗っている動物も、狐ではなく白虎のような動物。燃えるような真っ赤な体をしており、三面に十二本の腕。

一番気になったのが、童子経本尊坐像。童子経とは子どもを病気や災害から守る、長寿祈願のための経典。まず、子どもを護る本尊のガンダルヴァ像が半跏の姿勢で厨子の中心に据えられている。ガンダルヴァといえば馬形の音楽神としての側面しか知らなかった。子どもの味方というのはなかなか新鮮で面白い。昨日興福寺で観たガンダルヴァと同様、獣のかぶりものをしている。左手に薬壺(おそらく病から子どもを護るという意味)、右手に三つ叉の槍(三戟)を持つ。三戟には、それぞれ5つずつ鬼の首が串刺しになっていて、合計15となり、これらが15鬼に相当するのだろう。

そしてその周囲に15人の童子たちと、童子たちに危害を加える牛や馬などの15の「鬼」が表されている。この場合の鬼は、角を生やし虎皮のパンツを穿いて金棒を持つあのオニとは違い、漢語的に「悪魔」という意味だろう。ただ、子どもにとってそれらの動物が鬼であるというのはイマイチよく分からない。厨子の左右両扉には、遊ぶ童子たちが浮き彫りになっている。

それに加えて童子経の曼荼羅もあった。中央に四本腕の不動明王が据えられているが、これがガンダルヴァと同体なのだとか。向かってその右に梵天、左にガンダルヴァが描かれる。梵天は何故か三面で珍しい。5匹のハンサ(鵞鳥)に乗り、白肌だ。ガンダルヴァはやはり三戟を持っていて(ただし左手)、半跏の姿勢。馬の頭を額に付けている。やはり馬神であるということをここで示しているようだ。

さて、その三体の周りには童子にとっての15の敵が描かれている。確認できたものとして、牛、獅子、狐、猿、馬、犬、猪、猫、烏、鶏、梟、蛇。他に女性が二体と天部のような忿怒の男性神が描かれていた。このチョイスはなんだろうねぇ…。童子経を読めば分かるんだろうか。

文殊菩薩は、獅子に特徴がある。文殊を乗せておらず、文殊の座の下に縮こまって、首をすくめている。というより、首がない。頭と背中が直で繋がっている。心なしかぐひひと笑っているかのようで愛嬌がある。

さて、仁和寺はここで終わりとしよう。現在15:00を過ぎたところ。これからの予定として、清涼寺の特別公開、天竜寺の夜間ライトアップがある。天竜寺は18:30からだから、今から清涼寺に向かったとしても時間が余ってしまうかもしれない。というわけで龍安寺に行ってみることにした。


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