嵐山駅から適当に北上。そのうち清涼寺の案内看板が出てくるかと。

もう16:30になろうかという時刻だが、天龍寺周辺はまだまだ人が多い。18:30からのライトアップ拝観の準備は既に始まっているようで、職員達がせわしなく動いていた。

天龍寺前のバス停の時刻表を見るが、バスはまだまだ来ない。再び歩き続ける。

ふと財布の中が寂しくなっていることに気づく。清涼寺を拝観してしまったら無一文になる計算。宿はカードで済ませられるが、宿までの交通費はどうにもならず。セブンイレブンか郵便局があれば…。

嵯峨小学校前で信号待ちしていると小学生達がやってきた。訊けば郵便局は横断歩道の先にあるという。しかし、渡った先にあったのはただの郵便ポスト…。やられた。とりあえず清涼寺まで行ってしまおう。


仁王門。楼上には十六羅漢があるとか。今にも雨が降りそうな夕空で光量不足、見事にブレてしまった。門前は忙しく人や車が行き交っていた。夕方の風景だ。


境内に入って左手に建つ多宝塔。ここ清涼寺にはだいぶ前から来ようと思いつつ、タイミングが合わずなかなか叶わなかった。タイムアップぎりぎりの時間だが、ようやく全てを拝観できそうだ。


経蔵。アヤシゲにライトアップされていた。祀られている三像と、『転法輪』と書かれた額で、内部が輪蔵になっているのは決定的。今回のメインは宝物館の特別拝観だが、まだ時間があるので少し焦らそう。

 
輪蔵考案者の大士像。輪蔵自体も堂内部もきらびやか。バロックだ。

 

 
四隅には四天王。どれがどれだかよく分からないが、堂内の四方に祀るやり方は中国的。輪蔵も中国で生まれた信仰装置だし、この経蔵はチャイナでまとめているらしい。ここ清涼寺の山号は五台山。これも中国だしね。

経蔵を出ると既に雨が。普通に降ってるよ! 急いで宝物館へ。


入ってすぐのところに普賢と文殊。鞍には「足置き」のような花がにょきっと生えている。象はなかなかのエロ目。獅子はどちらかといえば犬のよう。あり得ない青色だ。

なお、この文殊は中国の五台山(ここ清涼寺の山号の元ネタ)の文殊像に倣って造られたとか。どこまでも大陸との関係が強い寺だ。この普賢像は実は帝釈天で、後に転用されたらしい。やっぱりオトコマエだ。

宝物館二階には、メインの五臓六腑のレプリカが展示されていた。清涼寺本尊の釈迦如来像の胎内から発見された内臓模型だ。胎内というより体内だね。模型というが、絹製。

胃は白、心臓は赤、肺も赤、肝臓は青、腎臓は紫、胆嚢は青、膀胱は白、脾臓は黄色となっていた。中国の尼僧が封入したということだが、これらの内臓と色の対応には意味があるのだろうか。陰陽思想の影響があるのか?

パンフレットに拠れば、これらの内臓模型の周囲には血管や神経を意味すると考えられる絹網、血液や体液、肉を意味すると考えられる絹布が封入されていたという。また、口には歯、頭の中には鏡(脳を表している?)が入っている。さらには鼻と耳の穴は中に貫通しているのだとか。

このように、本尊の釈迦如来像は一つの人体模型ともなっていて、清涼寺サイドとしても「世界最古の内臓模型」「他に例をみない唯一のもの」と自慢げなのだが、このことは却って清涼寺サイドにとってはなかなか危うい因子となってしまっているように思う。

というのは、清涼寺では本尊の釈迦如来像を、三国伝来の像、すなわち「インド〜中国〜日本と伝わった由緒正しき像」としているのだが(仏教の正統がインドから日本へと伝わったことを暗示しているのだろう)、歯や脳内の鏡など分解できない場所(X線照射で判明した)に人体模型としての要素があるということは、初めからそのようなものとして造像されたことを意味し、さらに内臓模型は中国の尼僧が封入したということから、インドではなく中国で造像されたことがはっきりしてしまっている。つまり三国伝来の像ではないことが、ここに暴露されており、本尊としての正統性が弱まってしまっているのだ。

もう一つは、釈迦如来が仏としてのいくつかの並はずれた特徴を備えておきながら(水かき、眉間の巻き毛、頭の瘤など)、彼も他の人間と同じ人体構造を持っているということを表明してしまっているのだ。清涼寺でも「まさに最古の人体模型である」としていて、なかなか混乱しているように感じる。

さて、最後に本堂を見ておこう。急がないとそろそろ17:00になってしまう。

本堂では、狩野 "梅笑" 一信という人物による五百羅漢図が展示されていた。なかなかに面白い内容なのでいくつか紹介しよう。

威徳聲羅漢は自分の顔を手で剥ぎ、中からもう一つの顔が出ているという奇人羅漢。顔の下からもう一つの顔が出ているというモチーフは仏教では多く使われている。なお、名前の「威徳聲」は意味のある字(意訳)で、阿難(アーナンダ)のように元のサンスクリットの音訳ではない。本当にそんな名前の羅漢が居たかどうかは怪しい。中国での創作かもしれない。

衆和合羅漢は、蛇腹式の経典を開き、中からビームを出して鬼に充てている。

聖峯慧羅漢は、頭から奇麗に噴水を出している。水芸羅漢?

不動意羅漢は、顔を中央から裂いている。さらに坐して後に火炎が上がっており、名の通り不動明王のようなルックスをしている。

利娑多羅漢は、腋からビームを二本出しており、鬼を退治している。

首エン光羅漢は、鏡から顔だけを覗かせている。一体どんな状況なのだろう。鏡の中で暮らしているということなのか? 額からビームを出している。お得意のビームだ。

服貳王羅漢は、大蛇の口の中に坐している。かなりピンチな状況なのに落ち着き過ぎ。

慧依王羅漢は、坐禅して山の一部となってしまっている。その周囲にはたくさんの細かい鬼たちがいて、クモやトカゲ、ハチ、サソリ、ヘビなどのイヤな動物を掴んで、坐禅している慧依王羅漢に押しつけている。嫌がらせらしい…。しかし、その一部の鬼たちは香金手羅漢に杖でこづかれている。マンガじゃないか。

全ての羅漢についてこんな調子。作者は羅漢を超人もしくは怪人のように描いている。江戸の奇想趣味を反映している作品かもしれない。また西洋画の影響を強く受けており、全体的に気持ちが悪い。

羅漢だけでなく、その元で修行する者や敵対する鬼たちも細かく描かれており、なかなか見飽きない。

例えば、像を洗っていたり、首つり自殺を図る人の足を持ち上げて助けようとしたり、童子が殺生を戒めていたりする。また、他の動物を食べようとしている肉食動物を殴っていたりするが、肉食動物にしたら迷惑なだけだ。どうしろと。

これらの五百羅漢図には見覚えがあり、もしやと思って帰宅後に芝増上寺の五百羅漢図の図録(以前手に入れていたもの)を見てみると、内容が全く同じだったのだ(作者が同じ)。清涼寺と増上寺にはどんな関係が?


本尊の後に廻ると、そこには本尊釈迦如来の造像風景が描かれていた。造像過程の描写は他に例を見ない。人体模型としての「仏像」といい、何か仏像としての「神性」を排除しているかのような態度が感じられる。仏像はモノである、という唯物的な。その点で清涼寺はなかなか興味深い寺だ。

 
本堂の後からは廻廊が出ており、庭園へと繋がっている。ここはかなり紅葉が進んでいた。落ち着いた奇麗な庭園なのだが、拝観修了間際で誰もいない…。雨は止んだが、風が出てきた。ちょっと寒い…。もう出よう。


自分が最後の拝観客だったようだ。すっかり閉堂してしまった本堂。一人の通行人が本堂前で手を合わせていた。ここ清涼寺の境内は住民の生活道路ともなっている。

なかなか面白かったよ、清涼寺。

さて、この後は天龍寺なのだが、ライトアップ拝観までまだ1時間以上もあり、それにもうなかなか疲れているので今回はパスしてしまおう。くたびれた…。

JRで京都駅まで戻ろうと思うが、いかんせんその切符代さえ無い。セブンイレブンはこの辺りに無さそうなので郵便局だ。まず駐在所に入ってみるが、呼びかけても一向に警察官がでてこない。諦めて軒先に出ていた住民のおばちゃんに郵便局の場所を教えて貰った。

 
駅までの間に見た、高架下に建つ不気味な寺(?)。住宅地にいきなり恐山のような積み石が。地図には載っていない寺。一体なんだ?

駅までとことこ。そういやJR嵯峨嵐山駅は初めてかもしれない。間もなくやってきたがらがらの列車に乗って京都駅へ。

今日の宿はお盆にも宿泊したリッチホテル。

明日は最終日。東寺の特別拝観と若干の買い物を済ませたらさっさと帰ってしまおう。


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