最終日。帰りの新幹線は20:00の指定を持っているが、東京には23:00頃となり、そんな時間に大きな荷物を抱えた状態で電車に乗りたくはない。明日は会社だし、体調もまだ本調子ではないので京都を14:00前には発ってしまおうと思う。

というわけで今日は東寺を訪問し、若干の食事・買い物を済ませて終了とする。

東寺では宝物館と塔頭の観智院の内部公開を開催している。東寺には何度も来ているがどちらも初めての訪問となる。

まずは宝物館へ。二階の最深部には、十一面観音を中心とし、その右手側に地蔵菩薩立像、愛染明王、左手側に地蔵菩薩半跏像、兜跋毘沙門天が並ぶ。

ここの兜跋はかつて羅城門の楼上に安置されていたもの。昨日観た清涼寺の兜跋と似ているような気がする。ノーマル毘沙門であれば、邪鬼が調伏される存在として足下にあるが、兜跋だと地天女が積極的に毘沙門天を支える存在として足下にある。むしろ眷属というべき存在だ。

地蔵の半跏像の方は胸飾りがゴージャス。かなりのオサレさん。ここのみ金色が奇麗に残っている。下に垂らしている方の足は、足置き場のような台に乗せていた。

かなりリラックスしているように見えるが、この姿勢は、実は女性信者にとっての「正しい坐り方」。本来は結跏(「あぐら」とは少し違う。太ももの上に逆側の足を載せる状態で、足の裏が上を向く)が「正しい坐り方」なのだが、骨格の違いからほとんどの女性にはできないため、片足のみをだらりと垂らす坐り方を女性信者の「正しい坐り方」として認めた。

すなわちこの地蔵菩薩は女性式の坐り方をしているのである。観音菩薩にも半跏像が多い。菩薩は解脱しないで人間界に留まり在家の人々を救済しようとする意志を持つ存在だ。男女どちらにも対応できるようにこのような姿勢を取っているのだと思う。

戒律では女性に触れてはならないとされるが、それは男・女の区別をしている人にとっての「道徳」である。目の前の存在を男なのか女なのかの区別をせずに、全ての人に対して同じように接することができればそのような「道徳」は必要ない。卑俗な言い方をすれば「何がエロなのかを知っている人こそ、エロい。つまり『それはエロだからダメ!』と言う人こそエロい。」ということ。エロの禁止は逆にエロの蔓延に加担しているのだ。

菩薩は敢えて俗世間に入り、俗世間のやり方を採る。菩薩は半跏を採ることでそういう意志を表明しているのかもしれない。この点でいえば、半跏像というのは大乗仏教の精神を具現する像だ(半跏像の如来は寡聞にして知らない)。少なくとも上座部仏教には半跏像は存在しないだろう。

さて、中央の十一面観音は元々食堂に安置されていたもの。火事で損傷している。一方一緒に安置されていた四天王は焼けてしまい黒こげの像として、現在食堂に安置されている。つまりこの十一面は、元々の家来とは切り離され、全くの他人たちと居るわけである。持ち物は火事の損傷のためにほとんど失われている。

愛染明王は、少女マンガのように目がきらきらしている。心なしか笑っているような…。怒り笑い?

立像の方の地蔵は、元々は西寺の仏像だったという。西寺の衰退に伴い東寺預かりの仏像となったらしい。

さて、一般公開部分も観ていこう。もう急ぐ旅でもないし。今回初めて気が付いたことをいくつか。講堂内部の手前側に安置されている増長天、持国天の二体には獅噛があることを確認した。

金堂では、日光菩薩の座の下のスペースに、獅子が居ることを発見。大きく目を見開き、静かにこちらの様子を窺っている。口は開いていた。一方月光菩薩のほうにも獅子が居た。ただし日光の方とは対照となっており、目を細め歯をきつく閉じている。ただし目は玉眼のようで、冷たく光っていた。心なしかにんまりと笑っているようにも見える。要するに、阿吽の獅子なわけだ。

そして今回、一番の発見はこれ。

金堂の北東(鬼門の方角)の鬼瓦の額には五芒星が。他の鬼瓦には付いていない。

 
五重塔の軒下には邪鬼がいる。これは前回お盆に来たときに確認済み。やっぱりブレちゃった。

さて、今回内部公開中の観智院へと足を運んでみる。昨日高山寺でも頂いたが、ここ観智院でも抹茶が頂ける。


この一見何でもなさそうな庭。実は空海の帰唐の様子を見立てている。石庭を海とし、向こうの木が生えている部分を中国大陸、手前側を日本としている。

 

上段右画像の中央に並んだ3つの石が空海の乗る船。嵐に遭遇し、空海が海龍王経を唱えたところ、海神に保護され無事帰国できたという情景を表しているらしい。

上段左画像の一番先にある石はシャチ、その後に浮いている細い石は空海が海に投げた金剛杵。波紋が広がっている。トンボのように見えるものはカモメらしい。

上段右画像、一番奥に見える2つの石は亀。そして下段画像の、船の後についているのは龍なのだとか。


仏間に置かれた不動明王。ただし見得を切っているかのような姿勢が珍しい。地引き網を引いているようにも見えるが…。


こちらは五大虚空蔵菩薩。それぞれ違う動物に載っているのが面白い。象の皮のダルダル感は、東寺講堂のものより激しい。


坪庭。光の差し込み加減が良かった。坪庭は、厨子の中に一つの仏教世界を構築するという方法と同じ発想から来ているように思う。


茶室。かなり天井が低かった。抹茶を頂くのは、こことは別の場所。

 
この庭を眺めながら抹茶を頂いた。茶菓子のまんじゅうは観智院オリジナル。何でも、武蔵由来なのだとか。真ん中の点は悟りを表すらしい。

この後、新京極方面へ。お昼は是非みうらじゅんお勧めのそば屋でと思っていたのだ。本家田毎という店のたぬきそばが美味しいのだとか。


これがたぬきそば。京都で「たぬき」というと「あんかけ」なのです!(大阪では通じない。京都のみ)「あんかけ」といっても、普通のそばにあんが載っているのではなく、つゆにとろみを付けている。甘く煮た揚げとたっぷりのショウガ。もの凄く美味しかった! 今後京都に来たら必ず食べることに決めた。東京で京風たぬきが食べられる店は無いものか。何故こんなに美味しいものが流行らないのだ?


新京極の中心に立つ摩訶不思議な像。地元民は待ち合わせに使うのだろうか…。

さて、これで今回の旅はおしまい。14:00前には京都を去り、16:30頃帰宅となりました。明日は仕事だからね…。

前半はヌルくなってしまったけど、今回は新発見が多くて面白かった。これまで興味・関心の違いから敬遠していた寺にも積極的に訪問してみようと思う。というわけで、もう次の予定が決まってしまった。


秋ならきょうと トップへ
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送