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京都'08秋の特別公開その1 2008年11月2日

大徳寺本坊

だいとくじ ほんぼう

京都府京都市北区紫野大徳寺町53

京都市営バス大徳寺前バス停下車

マピオン

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大徳寺本坊

今年の11月の特別公開は、上旬と下旬にそれぞれ設定された。それぞれに訪問してみたい箇所があるので、大胆にも日帰りでどちらも見てしまうことにした。

JR東海ツアーズの人気プランに「京都1dayプラン」というのがある。のぞみ往復+税込み3150円相当のクーポン券で約20000円(時期によって前後する)でかなりお徳。行きと帰りの新幹線を工夫すれば12時間以上京都に滞在にすることも可能。

実は先月の末頃から発熱しており、一週間経っても下がらないのが不安。ノドの痛みも激しくて昨夜は眠れないほどという、かなりの体調不良状態で臨んだ。しかも日帰りということで予定も多少きつい。そのため、体調次第では臨機応変に予定を変更するしかない。

朝起きて体温を測ったところ、平熱だったので少しほっとしたが、寝起きが低いのは当たり前で、発熱が已んだわけではなかった…。

9時にならなければ特別公開が始まらない。ムダに早く行ってもしかたがないので、今回は東京を6:16は発車するのぞみを選択。

まずは大徳寺。京都駅から地下鉄で行って、バスに乗り換え。

大徳寺バス停と大徳寺の間に、左画像のようなものを見付けた。提灯に「天道大日如来」とある。ふいに天道ってなんだ? と思ったが、単純にいわゆる「おてんとうさま」、太陽のことだ。頭が回っていないなぁ…。

天道と大日如来はどちらも同じものを指しているが、「おてんとうさま」信仰そのものは仏教の枠のみに収まるものではない。

大徳寺付近の交番には粋なマークが。なぜかレトロ。紫色なのは、ここの地名が紫野だからだろうか。

大徳寺一久。精進料理のお店。こんなお店で食事してみたい…。

京都の紅葉の見頃は一般に11月下旬であり、全く期待していなかったが、左画像のように、大徳寺の東門あたりでは紅く染まっていた。

拝観開始となるまで時間があるので、大徳寺の諸堂を少しなめていこう。

大徳寺の三門には「金毛閣」という額がある。「閣」とは門のことではないから、三門の名前ではなく、楼上部分の名前なのだろう。

さて、「金毛」とは獅子の毛のことであり、ひいては獅子そのものを指している。釈迦如来の座るところを獅子座と言ったりするように、仏教では獅子を悟ったものの象徴とする。

つまり、この三門を経た者を獅子、すなわち悟った者と喩えている。

三門とは「三界解脱門」の略。それは、建築としてのgateではなく、解脱に至る段階、stageを意味しており、観念なものだ。つまり、ただ単純に「このgateをくぐれば悟れる」という即物的な意味ではなく、この「金毛閣」は、悟りに至るまでに三つの段階があることを端的に示している。

ちなみに三門とは、空門、無相門、無作門の三つの段階を指す。空門はそのまま空を理解するステージ。世の一切の現象は実体がなく、現象とは関係性の織物のみで成り立っているという考え方で、モノは無く、コトのみが存在するという態度。

無相門と無作門については推測するしかないが、相とは「かたち」や「ありかた」、「あらわれかた」を意味するので、無相とはモノの存在の否定や、感覚を引き起こす因子が外部に存在しないとする考え方だろう。また、作とは「はたらき」、「ふるまい」を意味するので、無作とはわれわれから対象への作用が存在するという態度を否定する考え方だろう。

上でみたように、「三界解脱門」とは空の理解のことであり、実のところ三つのstageどれも根っこには同じものがある。

禅宗は空思想をとりわけ先鋭化している。三門というものが禅宗寺院に多いのは、このためだろう。

大徳寺の勅使門。

仏殿。釈迦如来が中央に安置されている。天井には龍の絵があるようだが、ほとんど確認できない。

大徳寺の本坊。大寺院の核となる堂宇のに、他の塔頭とあまり変わらない様相を呈しているのが意外。庫裡前の庭園が素晴らしい。

庫裡から山門方向を撮ってみたのが左画像。右画像は玄関。その奥に方丈前庭園があるのだろう。

名前がよく分からないが、不思議な花をつける植物を見た。

とりあえず、今回も図面を作成した。内部は撮影禁止なのでしょうがない…。図面上部の白くなっている部分は、この後訪問する真珠庵。本坊の北に位置するこの塔頭は、塀を共有しているので、一緒に図面を作成した。また、図面下部には、大徳寺の法堂も描いておいた。こうすれば、本坊が大徳寺の境内でどの位置を占めるのかを把握しやすいだろう。

庫裡に入ると、すぐに左手にフードつきの竈が並んでいる。黒い煤がこびりついていて、使用されている感が高い。庫裡とは、現在ではほとんど寺務所や住職一家の住まいを指す言葉になっているが、そもそもは炊事場を意味する。禅宗のおきまりだが、庫裡の伽藍神とも言うべき韋駄天が祀られていたが、共に毘沙門天が祀られていた。

庫裡の天井には輿が下がっていた。これがどういう言われを持っているものなのか、特別公開を主催している協会のボランティア学生に訊いてみるが、右往左往しはじめた。やっぱりマニュアル以外の質問が来ると弱いみたいだ。とっさに寺の人が助太刀。「よく分からないが、開山の人にちなむものとか」と答えてくれた。ついでに、庫裡と方丈を結ぶ部分に中二階があり、小さな階段が架けられていたので何があるのかを訊いてみた。「冬季使用するホットカーペットなどが入っている、倉庫のようなもの」と率直に答えてくれた。

庫裡と方丈を結ぶ部分には、襖があり、その上に「副司寮」や「殿司寮」と書かれた額が掛かっていた。副司は文字通り住職を補佐する役職、あるいは会計を司る役職を指すから、副司寮はその住まい。殿司とは、仏殿や本堂を司る役職の人を指すから、殿司寮はその住まい。庫裡と方丈を結ぶ空間にも庭がある。なぜか円卓と椅子が並べられていた。

いよいよ方丈へと入る。方丈前庭は砂庭になっており、手前右手に苔に囲まれた二つの石、そして中央手前には、二つの銀沙壇が構えられていた。

南東隅には三つの石柱が立っており、釈迦三尊を意味するものと思われる。

方丈東庭は苔庭になっており、生け垣に沿って、16の石が置かれている。「七五三の庭」と呼ばれているが、足すと15で16と合わず、名ばかりの庭となっている。これら16の石は、一つ一つが羅漢になぞらえられており、十六羅漢を表しているとか。

さて方丈内部を。八室に分割されている。最も西の二室は客を迎えるための部屋で、襖絵として探幽による山水図が描かれていた。

そのすぐ隣りの二室には本尊釈迦如来が安置されており、方丈の中心となる部屋。室中と呼ばれ、板敷きの修行の間となっている。

その隣りの二室は霊廟。奥の部屋の手前に「霊光」という額が掲げられており、開山や歴代住職の位牌が安置されている。位牌堂のような位置づけ。

最も東の二室のうち、奥の一室「衣鉢の間」と呼ばれ、弟子への教義の継承を行う間。

方丈の北側へと回る。北東には小さな苔庭がある。中二階の建物が方丈に北接しており、方丈からはアクセスできず、外からかかっている小さな梯子で入る。内部は非公開であり、何が中にあるのかも不明。

方丈の北西には、背の低い生け垣で囲まれた場所があった。内部には五輪の塔のようなものがいくつか建っている。学生ボランティアに訊いても埒が明かないが、きっと無縫塔かと思う。無縫塔とは、歴代住職など僧侶の墓のことを言う。

方丈からは「起龍軒」という名前の茶室が接続している。学生ボランティアは「管長がお休みになる場所」と説明していた。

起龍軒と方丈、庫裡の間に箱庭が出来ていた。最近はこうした坪庭のようなものにハマっているが、撮影禁止となっているので辛い。

次は本坊のすぐ北にある真珠庵へと向かう。

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