大徳寺塔頭芳春院
次の訪問先は大徳寺。妙心寺から大徳寺へのアクセスは意外にめんどくさく、一度バスを乗り換えなくてはならない。
乗り換えポイントである千本今出川の交差点で見かけたレトロな雰囲気の時計屋さん。営業しているのかどうかは定かではない…。 |
大徳寺着。今回は芳春院の特別公開が目的。だいぶ前から訪問したいと思っていたこの塔頭、くわえて紅葉の季節に来られてよかった。一番の目的はなんと言っても呑湖閣。重層建築好きの人間にとっては必見の物件だ。
既に10時をまわっており、他の拝観客も多くなり騒がしくなってきた。芳春院は大徳寺の最北に位置する塔頭。このすぐ東に常時拝観可能な大仙院がある。
参道には鮮やかに色づいた木々が立っている。まるで絵の具で塗ったみたいだ。
芳春院は山門を抜けてからの参道が長いが、その間も目を楽しませてくれる。
参道だけで何枚もの写真を撮ったが、くどいだけなのでこの数枚で終わりにするが、本当に素晴らしかった。 実はこの参道は、特別公開の時期でなくても入ることができるので、紅葉の季節は是非訪れて頂きたい。 |
参道の突き当たりには、粋な土壁。丸瓦を積み重ねたり、埋め込んだりしている。情緒があるので、特別公開でなくてもここには訪れて頂きたい。 手前はセンリョウか。 |
また図面におこした。
さて、ここからが公開エリア。臨済宗の寺院らしい庫裡だ。額には「護国禅窟」とある。庫裡内は非公開。庫裡の西側に
回廊に付随するこの門をくぐって方丈へと向かう。 大体の塔頭寺院では、庫裡から上がって方丈へと向かい、この回廊を通ることはない。しかし、これが本来の方丈へのアプローチ方法だ。 |
この門には優れた彫り物が施されている。梅の透かし彫り(左)。塔頭名の「芳春院」に通じるような気がするが、実際は前田家の家紋である梅鉢紋に由来するのだろう。芳春院とは、前田利家の夫人の戒名だ。わかりやすく言えば「まつ」。つまり芳春院は、前田家の京都出張所なのだ。なお、梅鉢紋は、この門の丸瓦の意匠としても使用されている。
右は扉の透かし彫り。
門の先には火頭窓があるが、その手前に個性的な形をした花瓶があった。せんべいの「わざとこわし」みたいな。その花瓶越しに方丈が見える。
方丈前庭は、典型的な枯山水庭園で「花岸庭」と呼ばれる。仏教で「岸」といえば「彼岸」を連想させる。『般若心経』、正式名『般若波羅蜜多心経』の「波羅蜜多(パーラミター)」とは「最高窮極の」という意味の他にも「向こう岸(彼岸)へ渡った」という意味も持つ。すなわち悟りの世界へとステージを遷移することを示す。
この庭の苔部分には、仏教では聖木として扱われる沙羅双樹(ナツツバキ)の花が咲くという。苔部分と方丈の間には、大海原を表現する砂庭が広がる。きっと庭名の「花岸」とは、沙羅双樹のある苔部分を指すのだろう。そして、そこへとたどり着こうとする意思を持って方丈からそれを望むのだろう。
花岸庭。左写真の中央に生えているのが、きっと沙羅双樹だと思う。砂庭中に置かれた石は、島を表したり、船を表したりするのだと思う。船は修行者のメタファー。それは彼岸にたどり着こうとする意思だ。
方丈内の本尊は、釈迦如来。そしてその左右を文殊と普賢の両者が固めている、典型的な釈迦三尊像だ。禅宗らしい。
さて、呑湖閣を観ようか。呑湖閣は方丈の北西にある。
方丈の西側から北を向く。枯山水庭園から、うってかわって今度は池泉庭園が広がっている。先に見えるのが呑湖閣だ。方丈と呑湖閣の間の池は飽雲池という。楼閣山水庭園というらしい。他の作例としては銀閣があたるという。
たぶん、水を砂で表現している枯山水の方丈前庭と、この池泉庭園とは作庭のコンセプトとして繋がっているのだと思う。池泉庭園から流れた水が、やがて海を表現した方丈前庭の砂となる。
呑湖閣へ架かる橋は「打月橋」という。月と名の付く橋は他にも渡月橋(嵐山)、堰月橋(東福寺)などがあるが、これもやはり池に映った月を越えて行くことからその名があるのかもしれない。額には「打月」とある。橋の中央部分には、高台寺の回廊のような「休み」のようなふくらみ部分がある。
さて呑湖閣。素晴らしい…。やっと念願叶った…。 二層目部分は2007年に改築したとのこと。係員に気になる二層目の床について訊いてみると、あるのだそうだ。というのも、一層目は位牌堂となっており、二層目には菅原道真が祀られているからだ。 なぜ道真かといえば、前田家の祖先は道真と伝えられているからだ。だから前田家の家紋が梅鉢紋なのだ。 |
一層目の火頭窓といい、二層目の中に何かが有げな雰囲気、素晴らしすぎる。
呑湖閣の背後には、白壁の部分がある。庇が付いているので、本当は裏側から入るのかな? と思ったが、「呑湖閣」の額がこちら側に付いているし、位牌堂というから、もしかしたら内部は廟によくある「凸型」をしているのかもしれず、白壁部分はその「凸」の出っ張っている部分なのではないかと思う。
呑湖閣へは、方丈から橋を渡って行くこともできるが、池に浮かぶ島を伝って行くこともできるようになっている。これが楼閣山水庭園というのだろうか。
ところで、呑湖閣というその奇怪な名だが、二層目からは比叡山が真東に見え、その奥にある琵琶湖を彷彿とさせることから。右写真は、方丈の北側から東を向いて撮ったもので、左側の書院と方丈とを結ぶ回廊の先に少しだけ見える山が比叡山。
書院の先の露地庭園。奥には二つの茶室がある。芳春院には落葉亭と迷雲亭の二つの茶室があるというが、それが上の写真のことなのかは分からない。
境内の隅にセンリョウがひっそりと咲いていた。 |
次は建仁寺。ちょっと大きな移動になる。