京都異境巡礼 2003年7月27日〜8月2日

京都駅。ただ今12:00。新幹線が出る17:00まで時間を潰さなくてはならない。

京都駅(というか駅ビル)そのものに興味があるので、少し探索してみる。まず上へ。京都駅ビル大阪側は「大階段」があり、4階から11階まで続いている。僕がいくら階段好きでも今日みたいな猛暑に登りたくはない。エスカレーターで最上階へ直行。


大階段から見下ろしたところ。京都駅はすり鉢状になっている。

大階段を登りつめると「大空広場」という屋上に出る。ここから眺める夜景はすばらしいのだとか。ガラス越しに見るのだが、ガラスの透明度が低くてあまりよく見られない。暑くてすぐに退散する。しかし子供は元気だ。

その大階段の三方を囲んでいるのが伊勢丹。この中はよく冷房が効いていた。生き返る。快適なので主に伊勢丹を見てまわって時間を潰すことにした。

お昼を過ぎ、お腹も減ったのでレストランフロアを物色。…もう少し安いところはないのかいな…。10階に降りて、「クートッコ」なるエリアを発見。ここはファーストフードが13店集まっていた。これぞ庶民の味方やね。よしもとからもファーストフード店が出ていた。何でもここはよしもとプロデュースらしい。「クートッコ」って「食う所」なのだとか…。

食べて少し時間を潰した後、今度は「空中経路」に行ってみる。空中経路は大階段と中央コンコースの上空を東西に横切るガラス張りの回廊。回廊好きとしては見逃せない物件だ。上の写真にも写っている。


これが空中経路の内部。どこまでも続いているような感覚。冷気は流れてきている筈だが、日差しが直接あたるので暑い。


空中経路の途中で撮った京都市内。多分東寺方面。

一通りうろついた後、今度は下へ降りてみる。途中の階はだいたい女性のフロアなので見るべきものがない。京都駅の地下街キューブとポルタで本屋やCD屋を見て根性で時間を潰す。いわゆるデパ地下で食べ物を吟味。

16:30を過ぎたところでおみやげとして地酒を購入、夕食として寿司を買い、ロッカーから荷物を取り出して新幹線ホームへ向かう。また「肴洛」という名の駅弁を買い、目的の新幹線を待つ。かなり暑くてうんざりした。こんな暑さの中無理して観光しなくて良かった…。

新幹線に乗り込み、落ち着く。この新幹線(ひかり)は途中名古屋のみ停車、以後終点東京まではノンストップ。のぞみにも使われる車両なのだという。ひかりなのにのぞみとほぼ同じ速さ。このようにひかりにものぞみとさほど変わらない速度で走るものがあるので、高いのぞみ料金を払うよりは、こういうひかりを選べば乗り得感がある。

さて、京都駅を出たあとは夕食を楽しむ。まず寿司をたいらげ、それから「肴洛」を少しずつつまむことにする。


これが「肴洛」。先ほど駅弁と書いたが、ご飯が入っていないため正式には駅弁ではない。「新幹線グルメ」というシリーズ名で出ている。名前が物語っているように、おかずのみである。種類が多く、これで500円なのだからお得だ。別におにぎりを買ってこれをおかずにしてもいい。薄味で上品だ。

食べ終わったところで気持ちが悪くなる。どうやら新幹線に酔ったらしい…。いくら早くて快適なシートに身をしずめているとはいえ、こうなってしまうと何もかも台無しだ。

どうやら新幹線は自分には贅沢すぎる乗り物らしい。悲しいなぁ…。飛行機に乗っても酔う。死ぬほど気持ちが悪くなる。これまで一往復しか乗ったことはないが、最初の3分でもう最高潮になり、その後ずっとその状態が続いた。多分国際線などは乗れないだろう。新幹線はご覧のザマだ。高速バスは酔う時と酔わない時があって一定しない。幸いにも特急には酔ったことがない。なんて安い体なんだろう。

それに新幹線は速すぎて車窓を楽しめない。途中どこかで花火大会をやっていて、開催地が気になったのだが、地名を特定することができなかった。速すぎて車窓から確認できないのだ。新幹線に乗っていると地方の特色を味わうことができず、旅をしている気分にならない。

これまで東西の移動に夜行を使い、眠れず辛い思いをしていたので新幹線に変更したのだが、今度は酔ってしまって辛い思いをした。それに楽しくない。今後は新幹線もやめて、昼間鈍行で東海道を移動するやり方に切り替えてみようと思う。途中で何度も降り、散策して地方色を楽しめる。

酔いに苦しみながら2時間30分。高層ビルが見えだすともうそこは東京だ。ライトアップされた東京タワーを見て何故かほっとした。帰ってきたという実感があった。懐かしい。東京タワーを見て育ったわけでもないくせに。都民気取りかよ。図々しいなぁ、自分。

東京駅で下車。日本海に出て、琵琶湖の西を通り、東海道を通る経路の長い片道きっぷを記念に貰って、ここで今回の電車移動は終了。高速バスに乗り換えて自宅へ。バスからも花火が見えた。千葉県の流山あたりだろうか。

…バスにも酔ってしまった。新幹線から降りたあと少し休めば良かったなぁ。脂汗を夏期ながら到着を待った…。

以上で旅行記は終わりますが、今回の旅行を終えて分かったことや感じたことを書いてみます。今後どういう旅をしていくかという指針にもなります。


京都の人は車、自転車ともに飛ばします。道がせまいのにやたら飛ばす。京都の人はおっとりしている(「ほっこり」、「はんなり」とかいうのでしょうか?)という印象を持っていたが、そんなの絶対ウソ!

それに、京都は「古きを守り云々…」とかいうけど、これもウソ!というのを今回痛烈に感じました。確かに歴史のある社寺は多いけど、どれも観光地化されていて、とても「古きを守っている」とは言い難い。それにそもそも京都にもそんなに古い建物は無いです。自分は別に建物や社寺の新旧には一切拘らないので全然オッケーですけど。

それより僕は京都の近代都市として進化を続けるたくましさの方を強く感じたし、そういう京都が好きです。奈良市などを見ると痛烈にそう思う…。やれもっと景観に拘れ、などという意見もあるけどこれはどうも実際に京都に在住の人たちの生活を全く考えていない勝手な部外者の意見だと思う。例えば、自分の実家は、都会の人たちからはいわゆる避暑地として認識されており、「田舎はいいね」などと形容される。言っている都会の人たちには全く悪気は無いのだろうけど、僕はこの一言がとても嫌いだ。「そんなに田舎がいいなら住んでみろ」と。実際に住んでいる人たちの生活を全く考えない意見を述べるのは辞めてほしい。そんなに古都に情緒を求めるのなら、新幹線でアクセスするのをやめて徒歩で参ってみろと。情緒と便利さが両立しないことを知らなすぎだ。そんなに古いのが好きなら、竪穴式住居にでも住めば?

どんな古いお寺も建設当時の最新の技術、流行の様式で建設されている。どうしてコンクリートのお堂がいけないのだろうか。どうしてもお寺の説明というと、まず歴史から入る。これでは興味を持つ人が少ないのは当然だ。普通の人は、XXX年に開基とか、〜時代にとか言われたってイメージできない。それよりか、興味を持たせたいなら、どんなものがあるのか、目に見えるものを見せた方がいいに決まってる。それなのにお寺の人も寺宝を出し惜しみしているし。これではお寺がつまらないのは当たり前。庶民に仏教が何故受けたのかをもう一度よく考える必要がある。楽しいからお寺に行くのだ。少なくともきっかけはそうだと思う。…。

ちょっとアツくなってしまいました。

とりあえず、京都はもういいです。滞在が長すぎて飽きたのかもしれませんが、やっぱりそれほど楽しくないところだと思います。それと滞在型の旅行は自分に合っていないのだと思います。移動しながら各地をまわって、地方のにおい(特産物、方言、空気)を感じる旅行の方が性に合っていると思います。特に必要がない限り新幹線はやめにしたいと思います。旅行している気分になれない。かといって鈍行乗り続けても全然楽しくないけど。

次は滋賀県と北陸を巡ってみたい。大都市はもういい。


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