ほけほけ京都巡覧 2005年3月19〜21日

京都深草バス停から高速道路の外へ。高速バスのバス停ってかなり目立たないところにあるもんですな。地味すぎ。

ここから一番近い鉄道駅は京阪藤森。そこまでふらふらと。この辺りは下町臭い雰囲気。ほっとします。ちょっと寒さを感じるかな。

藤森から宇治へ。途中中書島で乗り換え。京阪に乗るのは2年ぶりか。あの時は暑かったなぁ。おけいはんも発見。…あ、藤森駅前のいも屋さんでスイートポテト買うの忘れてた。帰りにしよう。

車窓はのんびりした下町チックな雰囲気を保ったまま終点宇治に到着。今回の旅は「ほけほけ」ですから。ゆうるりほけほけ。京阪宇治駅はかなり立派でした。


宇治橋を渡って。長い時間バスに揺られていたから、開放感たっぷりで気持ちがいい!

今回最初の訪問先は平等院。さすがにお茶を扱う店が多い。先ほど駅のすぐ近くにもちょっとした茶畑があったし。

平等院

平等院は中学の修学旅行以来。拝観料600円は高いなぁと思って境内に入ったが、修理中で鳳凰堂の内部の拝観はできないとのこと…。おいおい。中が見られなきゃここ来なかったぞ。拝観不可なら拝観料を安くして欲しい。


気を取り直して外観から楽しもう。ライトウィング。二階の屋根から上は後になって作ったらしい。あそこに登りたいなぁ。しかし何のための建築なんだろう。この両翼部分は他には見ない。


あの中に入りたかったなぁ…。せめて扉が開いていてくれればなぁ。


レフトウィングは割と近くで見られる。


全景。夕刻は逆光になって苦しい…。

これで終わり。なんだよ。これで600円?

最後は鳳翔館とかいう展示館に。全く興味が無かったが、鳳凰堂の内部が拝観できなかったので、果たしてどんなものなのかを確認する程度のために入館。

…。

自分は「世界遺産」に対してかなり否定的だ。ユネスコの指定する「世界遺産」は、それ自体が既に権力的に働いている。第三者が推薦して指定するのではなく、当事者が自己推薦し登録する。そのためにただのハク付け、つまりは金のためだけの看板として機能する場合が多い。さらに登録後には適切な保存がされる必要があるため、ますますコマーシャルになる。

ムダ過ぎ。保存目的のために拝観料を取るなら、最初から「世界遺産」に登録しないでほしい。本末転倒じゃないか。保存したいなら、拝観を謝絶するのが効率のいいやり方だ。本当の意味の<世界遺産>であるなら、特定の人・団体が専有し、さらにそれを見せるための金を取るようなことがあってはならない。

さらにいえば「人類共通の財産」というのも「国民国家」と同じように空想でしかない。もともとは貴族の持ち物。彼らが金を出して作ったものだ。それを暴力で奪って「国民」、「人類」が財産としただけだ。しかも「普遍的な価値」など存在しない。共通の歴史認識を持つのが絶対に不可能なのと一緒だ。価値は人それぞれだ。ある一つの価値観を「普遍的な価値」とするのはヨーロッパ中心主義/植民地主義となんら変わるところがない。

それと仏像は仏堂の中に置いてほしい。あの空間とセットで見るのが楽しいと思うし、信仰上からもそのほうが妥当だ。

それから写真撮影を許可してほしい。保存のために拝観料を取っているのだから。というか、フラッシュを焚かなくても写真は撮れるから、そもそも「保存のための拝観料」を取る必要もないのだ。それでもフラッシュを焚かなくてもダメ、というなら、それは拝観料ではなく「撮影料」というべきである。最初から堂々と撮影料として金を取ったらいい。しかしそれができないのは、見せるほうに仏像・仏堂を「物」として見ているという「やましい」意識があるからだ。自分はそれがやましいとは全然思わない。仏像・仏堂は最初からただの物である。ただ、それを暴露されると今度は「不敬である」という理由で撮影を禁止できなくなるから、絶対に「撮影料」とは提示しない。つまり金を儲けるためには「撮影料」とは絶対に言えず、「拝観料」と言うしかない。この意味で、拝観料は非敬虔的な見地から取る金である。

寺院が取る方法は究極的には二つしかない。信仰上の理由を徹底するなら拝観謝絶にする。仏像・仏堂を物として見る立場なら撮影料と言って金を取る。後者の立場を徹底しているのが、東京国立博物館である。フラッシュを使用しなければ撮影が許可されている。

何故人を殺してはいけないのか、に対する有効な答えがないのと同じ。自分が殺されたくないから殺人を禁止する。その意識は利己的であり、利他的な精神を道徳的とする観点からいえば不道徳である。つまり殺人を禁止する道徳はそもそも不道徳でああり、「殺人を許可しない抑圧」と言うべきかもしれない。拝観料もその問題と同じく、実は非敬虔的なものなのである。

蛇足だが……。メディアは、勝手に作った道徳を人に押しつけすぎ。道徳は本来個人的なものだ。それと法と道徳を混同しすぎ。そして個人はメディアの報道を鵜呑みにしすぎ。どれだけ自分の考えで生きているかをよく顧みるべきだ。鏡に映る自分は一体誰だ?人が作った価値観・道徳で生きていないか?


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