ほけほけ京都巡覧 2005年3月19〜21日

なんだかんだでもう15:00を回ってしまった。東山のすぐそばに来ているので、今まさに内部公開しているという八坂の塔を観ておきたい。登れる塔としてこのこの塔を認知してからだいぶ経つが、今日まで内部公開に巡り会えなかったのだ。今日はなんとしても。

祇園交差点から適当に歩く。このへんは感覚で。こまかい路地が多いからどうせ地図見たって分かりゃしないのだ。かえって面倒になる。

昨日見かけたひさごは外にまで行列ができていた。この時間で。やっぱり人気店なのだ。

八坂の塔(法観寺)

到着後すぐにおばちゃんの団体が…。大挙して塔の中に入っていく。これじゃ今入っても何がなんだか分かりゃしないぞ。この手の物件の階段は傾斜が急な上に細い。おばちゃんたちが軽々と昇降できるようには思えない。混雑は目に見えている。とりあえず少し待機。

ぼちぼちおばちゃん達が降りてきたようだ。ひと通り塔を見終わって「トイレ、トイレ」と言って塔を飛び出している。「トイレどこ?」とトイレの前に行列を作っている…。

やはりいらいらしますな。この塔のすごさを分かっているとはとても思えないな。トイレのためだけなら塔に入る必要はない。それでも塔に入るのは、おばちゃん達が古い旅行スタイルを保持しているからだ。団体で訪問し、行列を作って一通り回って見て(「見るsee」であって「観るwatch」ではない)、それで満足、そしてすぐに次の訪問先へ、というスタイル。その総体が「旅行」である。イメージの消費のみの活動でしかない。どこにも主体性は見いだせない。何も残らない。「友だちと京都に行った。」それだけだ。しかしそれでもおばちゃん達は満足なのだ。しっかりと家にまでパンフレットは持って帰るが、一度も目を通すことなくゴミ箱行き。読まないならもらわなくていいのに。わざわざ家庭ゴミにしなくてもいいのに。全てがムダなのだ。しかしこういう人々が戦後経済を支えたのだ。バブルの残滓。

おばちゃん達はトイレ目的なので、割と早く塔を明け渡してくれた。


入り口。東側になる。


須弥壇の下が開いていて心柱の根本が見えるようになっている。塔の最基礎部分である。一本の木なんだからなぁ。


須弥壇。四方に向かって如来たちが鎮座している。


入ってすぐ、東面しているのはアクショービヤ。


北面は釈迦如来。これだけ大きく作っている。この釈迦びいきは法観寺が臨済宗だからか?


西面は大日。相変わらずかっこいいお方ですな。今日も今日とて印を結んでいる。


南面は宝生、と京都市の立て看板では説明されているが、果たしてそうだろうか。宝生は右手で与願印を結んでいるというが、この印は与願印ではなく施無畏印である。

これで以上である。しかし、五智如来というからにはもう一体が必要だ。不空成就の代わりに釈迦如来があるのだとしても、阿弥陀がいない。帰ってきてから調べたところによると、大日の上に小さくあるのだという。撮った写真の中から阿弥陀が写っているのを探したが…。

かろうじて大日の上に何かがあるのは分かったのだが。中央から下のごちゃごちゃとした彫刻は阿弥陀とは思えないので、左上に小さく写っている黄色いのがそうだろうか。もしそうならかなりイレギュラーな扱いだ。

この小さな阿弥陀は後づけではないか。普通なら大日如来は中央の心柱によって暗示されるのみである。それなのに像として作り、しかも本来阿弥陀が座すべき西面に安置してあるのだ。先ほどの「宝生」も正体不明だし、釈迦如来も大きさが違う。さらに言えば不空成就が本当。

謎の多い五智如来だ。京都で一番古い寺だが、13世紀に臨済宗に改宗するまでの宗派は不明。この来歴に秘密があるように思う。


光背の先が前に傾いている。午前中に観た勝林院の阿弥陀もそうだった。江戸期に作られたのだろうか。

さて、一層目で注目すべきは「五智如来」だけではない。装飾性の高さである。

 
壁画として来迎図。下段には花、雲、波。、


色彩豊かですな。これらの壁画は創建当初、飛鳥時代のものらしい。飛天も描かれていた。

登り階段。八坂の塔は登りと降りで同じ階段を使うと思っていた。八坂の塔と同様登れる塔である安来の清水寺三重塔がそうだったからだ。しかし驚くべきことに階段は同じ層に二つあった。すなわち同じ階段を使うことなく一方通行で昇降できるのだ。

つまりは大勢の拝観客を受け入れることを前提に建てたということを意味する。寺院の諸堂は本来僧侶だけが法要のために入る空間であるから、階段は一つあれば済むのである。さらにもう一つ。本来塔は仏舎利塔であり、それ自体で釈迦如来を示すもの。人が内部に入って登るためのものではなかった。現在の塔は15世紀に再建されたが、当初から見晴らしのために、つまりレジャーのために開放されていたのではないかと考えられる。室町から江戸にかけて人々の視点が奇抜なものへと変化していったが、これはこの変化のはしりではないか。以後建てられる登楼可能な塔やさざえ堂の原点でないかと勝手に想像するのである。階段の摩耗状況から、実際江戸期には庶民に開放されていたことが分かっているらしい。

 
階段途中で塔の構造が観察できる。


二層目から振り返ったところ。途中中階層で折り返す構造になっている。安来清水寺の三重塔と同じ。


落下防止のために階段を出たところに囲みがある。

 
心柱が丸見え。上下の階層をのぞき見できる。自分の居る階層を意識することができるのだ。心柱をよく見せるためにと鏡が置いてあった。にくい心遣い。

 
登りの階段は封鎖されていたが、見上げると上の階層が見えた。


西側の窓。腰より低い位置にある。すぐ屋根。この塔は五層目までは欄干がない。途中の層までは外に出ることができないのだ。

 南側の窓。何故かスリットになっていた。


降り階段を一層目までくだって振り返ったところ。豪華絢爛。


塔の入り口(東面)の右扉には降三世明王が描かれていた。写真はできるかぎり補正を加えたもの。炎と赤く逆立った髪、そして剣を持つ手が力強い。明王特有の青い肌も分かる。


左扉は不動明王、だそうです。もうなんだか分かりません。これも飛鳥時代のものなのだろうか。不動明王と降三世明王は脇侍としてこの塔の入り口を守っている。

なおこの塔は傾いたことがあり、金剛寺を開基した浄蔵が念力で直したらしい。ピサの斜塔も直してあげたらいいのに。

念願の八坂の塔が登れて大満足。色んな発見もあったし。謎の五智如来、階段の謎、豪華絢爛の内部装飾、そして扉の脇侍図像。

もう15:30。この後京都国立博物館へ行こうと昨日より決めていたが、時間的に遅いので明日に持ち越し。今夜は大津港の噴水ライトアップを見るため、京都を出ることにした。

八坂の塔近くの金剛寺では舞妓体験中の人たちが写真撮影していた。


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