行道山浄因寺
名草巨石群を離れ、足利市街地をかすめて山の反対側へ。
左画像は、葛飾北斎画「行道山くものかけはし」。シリーズもの『諸国名橋奇覧』のうちの一つで、これから向かう行道山浄因寺の懸け橋を描いたもの。これを見るかぎり、とてつもない橋だ。 この絵を初めて見たときから、この寺に行ってみたいと思っていた。 |
間もなく浄因寺ということろで、岩に囲まれた切り通しが現れた。片側には祠のようなものが乗っている。若干の掛け造り。浄因寺と関係のある堂宇だろうか。
程なくして浄因寺に到着。駐車場自体が坂になっている。車を降りてさらに登らなくてはならない。北斎が描いたように、浄因寺は山の上にあるのだ。
大日如来の石仏が点在している。どれも違う方向を向いているのが面白い。 サッカー部の集合写真のようだ。 |
岩肌が露出している。名草巨石群もそうだったが、このあたりはかつては一つの大きな岩山だったようだ。 |
浄因寺の山門。山寺の風格がある。 |
山門をくぐってすぐのところで黒犬が待ちかまえていた。野良犬だろうか…。しかし、我々が来てもその場を動こうとしない。ずっと遠くを見つめている。
我々が犬を追い抜き、再び階段を上り始めると、黒犬が追いかけてきたが、我々には目もくれない。左画像のように、再び静止して一点を見つめはじめた。 何か別の目的があるように見えるのだが…。いったい。 |
さらに中門。石垣というものではないが、石を細かく積み上げて垣を作っている。右は岩肌。
ようやく境内に入り、目的の橋はどこだと探したが…。
え? これ? なんか北斎の画とは印象が…。まず低いし、長くないし、何より金属製だし…。 実は北斎は、『諸国名橋奇覧』では現実には存在しない空想上のとんでもない橋を描いていたりする。浄因寺の橋を描いた「行道山雲のかけはし」は、実在こそすれ、かなり誇張して描いたものだったようだ…。 |
木が邪魔して上手く橋と岩山を撮ることができないが、左には低いながらも岩山があり、その上には木造の堂宇が建っている。本堂というわけではないようだ。当然、この堂宇には橋を渡って行くことになる。左はその橋へアプローチするための階段。
堂宇へのアプローチ。それほど高くはないが、それなりに楽しい。
何のための堂宇か分からないが、丸窓の障子戸からすれば、なんとなく茶室のように思う。ただし、かなりの掛け造り。宙に浮いた茶室になっている。橋はたいしたことなかったが、これは相当の奇想だと思う。
別角度から橋と堂宇をそれぞれ。橋は、真下付近から撮ると割と迫力が増す。堂宇はほとんど岩山に設置していないのが分かる。
橋が架けられた切り通しを抜けると、ゴミ捨て場のような雰囲気になっていた。 左画像は、おそらくトロッコのレール。現役なのか分からないが、往時は寺に物資を運ぶために使用されていたのだろうか。レールはふもとまで布かれているのかもしれない。 |
左画像の階段の左方向に本堂がある。それほど特徴のない本堂なので割愛する。階段の先には堂宇があった。祠のような感じ。鎮守社かもしれない。
さて、雨もぱらぱらと降り始めたので浄因寺を出ることにする。
階段を下りていくと、中門のところで、さっきの犬が待ちかまえていた。 今度はせわしなく登ったり降りたりを繰り返していた。 そうしているうちに、息を切らしながら登ってくる人が一人。もうすでに通常の拝観の時間を過ぎようとしている頃だし、雨も降っているので、普通の拝観客とは思えない。 彼はこの寺の住職だった。持っているものから察するに、どうやら法事に呼ばれていたらしい。 そして、この黒犬は住職に向かっていった。 |
どうやら黒犬はこの寺に飼われているらしい。住職に訊いてみると、
「帰ってくるのが分かるんだ」
と言っていた。なるほど、この黒犬は先ほどから主人の帰りを察知して今か今かとうろうろしていたんだな。凄いな。
車を出して足利市街へ。当初の予定としてはこれで終了のはずだったが、日暮れまでまだ少し時間があるということで、まんじまるさんの提案でもう一つ寺院に立ち寄ってみようということになった。
信号待ちで出くわしたカメラ目線の犬。 |
織姫神社なるものがあった。外見からではそれほど変わったものではないが…。後で調べて分かったことだが、昭和になってから創建された比較的新しい神社らしい。 その神社の前の歩道橋は、その名も「織姫歩道橋」。手すりが朱塗りの欄干チックになっているのがにくいな。 |
渡良瀬川を渡る。森高千里はこの川を訪れたわけではないらしい。
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途中、群馬県の大泉というところを通過。 ここには多くのブラジル人が居住しているとか。写真の店はブラジルの雑貨店のようだ。 |